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原書のすゝめ:#20 La Première Enquête de Maigret

ジョルジュ・シムノンは、ベルギーの作家である。

フランスでの執筆活動が長かったこともあり、フランス人だと間違われることが多いが、1903年、ベルギーのリエージュでフランス系の父とオランダ系の母の間に生まれた。

経済的な理由と父親の健康不良のためシムノンは15歳で退学し、職を転々としながらやがて第一次世界大戦終結後の1919年、新聞社で裁判所廻りの記者の仕事を得る。程なく頭角を表したシムノンは自分のコラムを持つまでになった。

同時に小説の執筆も始め、15歳の時に初めて書いた『アルシュ橋で』(Au Pont des Arches)という短編小説が、16歳の年に初出版された。

1921年に父が死去すると、シムノンはパリへ拠点を移し、次々に作品を発表する。このときに稼いだ金で車とヨットを買うが、しだいに自分の書くものに虚しさを覚え、《オストロゴート号》と名付けたヨットで世界を回る旅に出る。

そこで出会った多くの人々が、のちの作品に大きな影響を与えたであろうことは想像に難くない。


そうした執筆活動の中で、探偵小説を書こうと草案を練っていたシムノンが生んだ名探偵が「メグレ警部(のちに警視)」である。

メグレが登場する作品は、長短編を合わせると100編ほどあるが、今回はメグレが名探偵(正しくは名刑事か)となる前の作品を取り上げる。


白状すると、フランス語を学び始めて三年ほど経った頃に本書を手に入れ読んでみたのだが、実はほとんど歯が立たなかった。

そこで、今回の再読にあたっては、邦訳と辞書を片手にもう少し丁寧に読んでみることにした。



1
La déposition du flûtiste

 Une balustrade noire partageait la pièce en deux. Du côté réservé au public, il n’y avait qu’un banc san dossier, peint en noir lui aussi, contre le mur blanchi à la chaux et couvert d’affiches administratives. De l’autre côté, il y avait des pupitres, des encriers, des casiers remplis de registres énormes, noirs encore, de sorte que tout était noir et blanc.



初めて冒頭部分を読んだ時、役所か銀行の場面だろうと思った。私がざっくり理解した範囲だと、次のような情景が浮かび上がった。

 黒い柵が部屋を二つに分けていた。一般人側には行政関連の掲示物が一面に貼られた石灰の白い壁に面して背もたれのない黒塗りのベンチが一つだけあり、反対側には机やインク壺、分厚い帳簿でいっぱいのこれまた黒い整理棚が並んでいた。すべてが白か黒だった。


ところが、邦訳では次のようになっていた。

 黒い柵が部屋を二つに分けていた。警察を訪れるほうの側には、やはり黒く塗られた背もたせのないベンチがたった一脚、布告や命令が一面に掲示された、石灰の白い壁に押しつけられていた。反対側には机、インキ壺、厚い帳簿で一杯になった整理棚。これらも黒く、すべてが黒か白だった。

<『メグレの初捜査』萩野弘巳訳(河出書房新社版)>


原文と訳文の太字の部分がかなり異なっているが、邦訳が間違っているというわけではない。

ここが警察署だということに私が気がついたのは、この後に続く文からである。

L’agent au visage poupin, qui avait déboutonné son uniforme et qui essayait de dormir, s’appelait Lecoeur.

agentは後に続く形容詞によって、何かの代理人や公務員などの意味になるが、ここでは、uniforme制服という単語があるため、警察官を指す。

さらに、この後に登場するle secrétaire du commissariat du quartier Saint-Georges サン=ジョルジュ地区警察署の書記 という語を目にして、冒頭の場面はパリの地区警察署であることがようやくわかったのである。

 また、fiacre 辻馬車という単語が現れ、どうやら古い時代の話らしいことにも気づく。
すると、次の文章の太字の単語も解釈が変わることになる。

* * *

 Gendreur-Balthazar. Les cafés Balthazar. Ce nom-là s’étalait en grosses lettres brunes dans tous les couloirs du métro. Et, dans les rues, les camions de la maison Balthazars, tirés par quatre chevaux superbement harnachés, faisaient en quelques sorte partie de la physionomie parisienne.

今であれば、camionトラックのことだが、この後のtirés par quatre chevaux 四頭の馬に引かれたという箇所で、荷馬車だとわかる。

ジャンドロー=バルタザール。バルタザール・コーヒー。この名はどの地下鉄の通路にも、太い、茶色の文字で書かれていた。そして街々では、素晴らしい馬具をつけた四頭だてのバルタザール印の荷馬車キャミヨンが、いわばパリの景観の一部となっていた。

では、これがいつの時代の話かというと、前掲の文の少し前にこんな描写がある。

* * *

…qu’il (=Maigret) retrouverait un jour au quai des Orfèvres et que plus tard, quand on installerait le chauffage central dans les locaux de la Police judiciaire, le commissaire divisionnaire Maigret, chef de la Brigade spéciale, obtiendrait de conserver dans son bureau.
   On était le 15 avril 1913. La Police judiciaire ne s’appelait pas encore ainsi, mais s’appelait la Sûreté.

彼はもっとあとで、本庁ケ・デ・ゾルフェーヴルに移ってからも、これと同じ、いやほとんど変わらないストーブを見出し、さらに、もっとあとで、警視庁司法警察局がセントラル・ヒーティングになったときも、特捜部長・メグレ警視長は特に頼んで自分の事務室にこれを残しておいてもらうことになる。
 一九一三年、四月十五日のことだった。司法警察局はまだそう呼ばれておらず、治安局といった。

< 前掲書 >

1913年のパリ。
この小説の舞台は、すなわち第一次世界大戦が勃発する約一年前のパリである。そういうわけで、パリの街ではまだ辻馬車が走っているのだ。

シムノンが描くメグレ作品の面白さはこういうところにある。


本作は、メグレが地区警察署勤務だったときの事件で、夜勤中にフルート奏者が助けを求める女性の声を聞きつけて乗り込んだ邸宅で顔面を殴られ、近くのサン=ジョルジュ警察署へ通報にきたことから始まる。


事件が発生したと思われる邸宅は、バルタザールコーヒーで有名なジャンドロー=バルタザール家。当時のメグレは本庁に入りたい一心で、事件解決に向けて熱心に捜査をするのだが、いわゆる上流階級の壁と、地区警察を見下す本庁(当時はSûreté 治安局)の連中が立ちはだかり、メグレは屈辱を味わわされたのだった。これは、のちに地区警官のロニョンがメグレに対して抱く感情と同じである。


本作の内容についてはこれ以上触れないが、最後に一つだけ付け加えたい表現がある。
それは、アンスヴァル伯爵の旧友のフリをして自動車屋のデデから話を聞き出そうとしたメグレが、逆に職業を言い当てられたと思われる場面である。


 * * *

— Cherche ! Moi, je parierais qu’il élève des poulets.
   Était-ce un mot en l’air? Pourquoi ce mot poulet, qu’on emploie dans certains milieux pour designer les policiers ?

「考えろよ!おれはね、ヒナドリを飼ってるってのに賭けるね。」
 これは意味なく使われた言葉だろうか。ある世界では警官を意味するヒナドリという言葉を何故使ったのか?

辞書を引くと、確かにpouletには警官という意味がある。いやはや、邦訳があっても本作を理解するのはかなり難かしい。


その理由の一つに、フランスの警察組織が複雑であることがあげられる。そこで、フランスの警察物を読む際に必要と思われる知識について、若干補足しておきたいと思う。


最近は、テレビや動画配信サービスなどでフランスの刑事ドラマが放送される機会が増えたが、フランスの警察機構を理解するのはかなり難しい。
小説やドラマの本筋にはそれほど影響はないかもしれないが、多少なりとも知識があった方がより楽しめるのではないかと思う。

以下、調べ得た範囲で簡単にまとめておくが、なんせフランス人でもわからないのだそうだから、私の理解度も怪しいものである。


パリの警察組織は大きく二つに分けられる。
一つは都市警察としてのPolice 国家警察と、もう一つはそれ以外のGendarmerie 憲兵隊である。前者は内務省の管轄に属し、後者は国防省に属するが、アメリカにおけるFBI連邦捜査局と州警察との関係とは異なる。


フランスの国家警察は、1853年の第二帝政下でDirection de la Sûreté généraleとして設立され、ソーセー街にあって政治警察を担当していた。
1934年にla direction générale de la sûreté nationale (DGSN) 国家保安局に改組されたが、この時代にla Sûreté と呼ばれる時は国家警察を指している。その後、1966年の組織改変によりパリ警視庁と統合され、Direction générale de la police nationale (DGPN) 国家警察総局となる。


一方、いわゆるパリ警視庁は、シテ島のノートルダム大聖堂と向かい合うマルシェ=ヌフ通りにあり、1800年の統領政府時代にPréfecture de Police (de Paris) として設立され、首都警察という立場から独立した組織であった。


また、パリ警視庁の内部組織的な存在として、1812年にヴィドックがle brigade de sûreté 特捜班を設立し、1832年にle service de la Sûreté 治安捜査部へ改組された。本作でla Sûreté と呼んでいるのは、この治安局のことである。初期にはジェルサレム通りにあり、のちにオルロージュ通りへ移転した。

la Sûreté は、1907年にクレマンソーによって司法警察として継承され、1913年8月、direction de la police judiciaire (DPJ) 司法警察局として、パリ警視庁の向かいにあるLe palais de justice 最高裁判所の南側に間借りをしていた。この司法警察局(P.J.とも呼ばれる)が、36 quai des Orfèvres オルフェーヴル河岸通り36番地にあったことから、司法警察局のことをケ・デ・ゾフェーヴル、あるいは36 trente-sixと呼ぶこともある。

< 36, quai des Orfèvres(Wikipediaより)>



1966年にパリ警視庁と司法警察は、先に述べたDirection générale de la police nationale (DGPN) 国家警察総局、すなわち国家警察へと統合される。ただし、パリは大都市という性質を持つことから、パリ警視庁およびパリ司法警察は国家警察内においても内務省の外局という特殊な扱いになっているようである。

なお、メグレがいた頃シテ島にあった司法警察局は、2017年にパリ警視庁のBRIを除く他の部署とともに17区のバスティオン通り36番地に移転した。ドラマ『アストリッドとラファエル』の舞台になっているのは、こちらの建物のようだ。
(ちなみに1月14日よりNHKでシーズン4の放送が始まる。)


< 36, rue de Bastion (Ouest-Franceより) >


さらに、2021年、2023年と警察組織はまたも改編され、こうなるとフランス警察史だけで一冊の本が編めそうである。

翻訳の際に日本語での呼称が定まっていないのもフランス警察組織に対する理解を複雑にしている要因と思われる。


メグレシリーズの魅力については、次回も引き続き紹介する予定だが、以下ミランヨンデラさん、および新訳を出版された早川書房さんの記事もぜひ参考にしていただきたいと思う。


※1/12に新旧パリ警視庁の画像を追加しました。



<原書のすゝめ>シリーズ(20)

※このシリーズの過去記事はこちらから↓


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