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【創作童話】こぞうと将軍〈其ノ二の二〉

前回までのお話はこちらから↓

*こぞうと将軍←こちらは読まなくても大丈夫!
*こぞうと将軍〈其ノニ〉


* * *


こぞうと将軍はしきりに首をかしげておりました。

「しかし、なんとも奇怪な出来事であるぞ。猿が薬を盗むとは」
「まことにおかしなことでございます。猿はあの薬をどうするつもりなのでしょう?」
「そう、そのとおりだ、こぞう」
「は?」
「猿が新薬を必要とするはずがないのだ。先ほど猿の腰に長い紐がついていたのを見たであろう」
「へえ、見ました。ということは、つまりあの猿は人に飼われている、ということでございますか?」
「そのとおりだ。誰かが猿を使って新薬を盗ませたのだ」
「なるほど。それにしても、一体誰の仕業でしょう?それに盗んだ薬をどうするつもりなのでしょうか?」
「ふーむ」
「明日、大工に命じて天井のはめ板を外せぬように釘を打ってもらいましょう」
「いや、それでは犯人を見つけることができぬ。はて、どうしたものか」

そう言って将軍が本草所の引き戸を開けた途端、何かが足元を通り抜けていきました。先ほどの猿が戻ってきたのかと思えば、それは白猫のおむすびでした。いつまにか城内に住みついた全身真っ白な猫で、城の裏手にある梅の木の上でよく眠っていることから、皆に「おむすび」と呼ばれておりました。

おむすびは、こぞうを見つけると喜んで足元に擦り寄ってきましたが、急に顔を上げると、いきなり百薬箱の上に飛び乗りました。そうしてしばらく匂いを嗅いでおりましたが、どうも様子が変です。引き出しの一つにしきりと顔を押し付けて、とうとう爪を取っ手に引っ掛けました。ところが、引っ張り出した引き出しが勢い余って抜け落ち、驚いたおむすびは百薬箱から飛び降りて一目散に逃げていきました。こぞうは床に散らばった新薬の袋を拾い上げながら、数を確認しました。

そして、机の上に並べると、拾った袋は十九。

こぞうは首を傾げました。
「先ほど猿がくわえていったのが一袋。先日盗まれたのが一袋。本来ならば、残りは十八のはず。ところが、ここにはあるのは十九でございます」
「うむ。たしかに妙であるな。しかし、昼間はずっとお前が百薬箱を見張っておったのであろう」
「それが実を申しますと、今宵の番に備えて少し仮眠を取ったのでございます」
「すると、その間百薬箱には誰でも近づけたということか?」
「いいえ。灰汁あく太郎に命じて見張りをさせておりました」
「ふむ。しからば、その灰汁太郎が怪しいとみえるな」
「それはどうでしょう。実は昨日の夕方、本草所役たちが帰った後で、新薬を別の場所に入れ替えておいたのです。つまり、いつもは『一のイ』の引き出しに入れているのを、ひそかに『二のホ』の引き出しと入れ替えたのでございます。ところが、あの猿は新薬の場所を知っておりました」
「なんだと?これはいよいよおかしな話になってきたぞ。しかし、いずれにせよ、これで盗人の目当てが新薬であることははっきりした。問題は、猿がどうやって新薬を見分けたのかということと、薬の数が合わぬということだ」

将軍は机の上に並べた新薬の袋を眺めながらしばらく考え込んでおりましたが、やがてその中から一つ袋をつかんでこぞうのほうへ差し出し、
「こぞう、この袋の紐をほどいて結びなおしてみよ」
と、命じました。こぞうは何のことやらわかりませんでしたが、命じられたとおりに紐をほどいて、再び結びなおしました。
将軍は、その袋ともう一つ手に取った袋を見比べました。
「やはりな」
「何かわかったのでございますか?」
「うむ。二つ分かったことがある」

そう言って、将軍は二つの袋をこぞうの前に並べました。

「こぞう、お前は左利きだな」
「へえ、さようでございます」
「この袋の結び目をよく見てみよ」
こぞうは二つの袋の結び目を見比べると、「あ!」と声を出しました。
「そうだ。これらの袋のうち、十八はお前が結んだもの。しかし、残りの一つは別の人間が結んだものなのだ」
「つまり、右利きの人間ということですね」
「そのとおり。紐の結び方が逆になっているであろう。それにもう一つ、袋の右端を見るがよい」

こぞうが袋の口の部分に目を凝らすと、わずかに切れ込みが入っているのが見つかりました。

「その袋はおそらく偽物である。本物と区別するために切れ込みを入れたものと見える。これで本物と偽物の区別をするつもりだったのだ」
「なるほど。盗人は賢い人間ですね」
すると、将軍はにやりと笑って、
「その逆だ、こぞう。犯人はずる賢くはあるが、賢い人間ではない。賢い人間ならばお前が左利きであることに気づき、結び目だけで偽物の目印にできたはずである。しかもそのほうが目立ちにくいのだからな。ところが、わざわざ袋に切れ込みを入れたところを見ると、犯人は結び目の違いに気がつかなかったのだ。つまり、犯人は余分な目印を必要とする程度の人間であったということだ」
「なるほど。ゆえにずる賢いが賢くはないということですね」
「そういうことだ」

こぞうは将軍の知恵にすっかり感心しながら偽袋の中身を検めようと紐を解いて袋を開いた瞬間、顔から血の気が引くのを感じました。
「問題は、どうやって猿が新薬の区別ができたかということだが…」
と、将軍が言うと、
「それについては、さきほどおむすびが教えてくれました」

そう言ってこぞうは、将軍を連れて園芸所の脇にある一本の木の前にやってきました。
「これでございます」

こぞうは、先ほどのおむすびの奇妙な行動について説明しました。

「なるほど、それで猿は新薬を見分けたということだな」
「そのとおりでございます」
「でかしたぞ。おや、どうした、こぞう。顔色が悪いではないか」
「へえ、将軍さま。実はこの偽の薬のことで少々気になることがございます」

こぞうの話を聞いた将軍は深刻な顔になり、着物の袂から携帯用の筆を取り出すと何やら書付を走り書きし、こぞうへ渡しました。こぞうは将軍の目をまっすぐに見て頷くと、そっと城の裏手にある森の方に向かって走り去っていきました。


翌朝、将軍が昨夜の出来事を考えていると、市中見廻役しちゅうみまわりやくの善次郎がやって来ました。

「将軍さま。実は、昨日町で妙な噂を耳にしました」
「ほう。一体どんな噂だ?話してみよ」
「はい。なんでも『萬屋心身堂よろづやしんしんどう』という薬屋が新薬を売り出したとかで、聞いたところではこれが体内の毒素を出す万能薬で、すでに越後屋*が買い求め、抜群の効能であると触れ回っているそうでございます」
「なに?体内の毒素を出す万能薬だと?して、薬の名は何と言うのだ?」
「はい、『ホルムス』*といい、一袋銀二十匁もする高価な薬のようです。もしやこれは先日将軍さまが話しておられた失くなった調合書と関係があるのではありますまいか?」
善次郎の言葉に将軍は顎をさすりながら、
「うむ。いや、善次郎、よく知らせてくれた。引き続きその薬屋の動きを見張ってくれ。本件はくれぐれも内密に頼むぞ」
「ははあ。かしこまりました」


「どうやら犯人は薬屋の八百やお長右衛門ちょうえもんであったとみえる。しかも一袋銀二十匁とはな。藩府の薬を盗んだうえ、不当に利益を得るなど、とんだ不届き者である。本件、東町奉行所の天岡越前守あまおかえちぜんのかみ*に伝え、裁きを申し渡していただくとしよう」

そう言うが早いか、裃の襟を正すとさっそく東町奉行所へ出かけていきました。

さて、東町奉行所では将軍の訴えを聞いた天岡越前守が頭を捻っておりました。
「事の次第はわかり申した。しかしながら、本件には薬屋が盗んだという証拠がございませぬ。仮に薬屋が猿を飼っていたとしても、猿に新薬の見分けなどつきますまい。いくら将軍さまの訴えとはいえ、証拠がなくては私にはどうすることもできません。どうかここはお引き取りください」

聡明かつ公明正大で知られる天岡越前守が気の毒そうな顔で頭を下げたので、将軍はやむを得ず城へ帰ることにしました。

城へ帰った将軍は、部屋の中を行きつ戻りつしながら、なんとか萬屋心身堂の八百長右衛門の罪を暴く方法はないかと思案しておりました。しかしながら、長右衛門がこの一件に絡んでいることは間違いないとはいえ、新薬の存在を知っているとは思えません。まして、新薬が保管されている場所など知るはずもありません。
「きっと本草所内に手引きをしている者がいるに違いない」

ちょうどその時、内伝中うちてんちゅう係がこぞうからの書付を持って来ました。

「スベテ トトノイマシタ」

そこで将軍は一計を案じることにしました。文箱の蓋を開け、「コヨイ」とだけ書いた手紙をこよりに撚って蘭丸の首に結わえると、こぞうの元へ走らせました。


こぞうは手紙を受け取ると、本草所役たちに今日は早めに帰宅するように命じました。そして、明日は少し遅れるので、先に鍵を開けておいてほしいと言って本草所の鍵を灰汁太郎へ渡すと、こぞうは小さな包みを抱えて帰っていきました。

さて、市中では新薬のホルムスを飲んだ越後屋の旦那が、効能のほどを示すべく老舗料理屋の「千川」*でその健啖ぶりを発揮しておりました。
「これも新薬ホルムスのおかげよ。さあ、もっと酒を持って来い!」

この評判は東海屋*の耳にも入り、さっそく萬屋心身堂へ例の薬を買い求めにいきました。評判が評判を呼び、高価な薬にもかかわらずそれから一週間というもの市中の金持ち商人どもが連日萬屋心身堂へ新薬を買いに訪れました。

ところが、その数日の間に越後屋と東海屋を除く商人たちが次から次へと腹の痛みを訴え始めました。これはきっと新薬のせいに違いないということで、商人たちは一斉に萬屋心身堂へ押しかけました。

この知らせは東町奉行所に持ち込まれ、八百長右衛門は奉行所へ呼び出されました。しかし、長右衛門は、なんのことやらさっぱり分かりかねる、この薬はある筋から手に入れたもので詳しい出どころはわからぬのだと申し立てたのでした。


<作者註>
*越後屋:歴史上の越後屋とは関係ございません
*ホルムス:江戸時代の実在の薬「ホルトス」とは関係ございません
*天岡越前守:大岡越前守とは関係ございません
*千川:江戸時代の老舗料亭「百川」とは関係ございません
*東海屋:江戸時代の西海屋とは関係ございません



<さらにつづく…はず>


* * *


なんだかんだで三作目に突入した『こぞうと将軍』。

なんだこれは!史実と異なるではないか!と目くじらをたてていただきましても、日本史音痴の私にはそもそも歴代徳川将軍の名前すらおぼつかず、歴史ドラマなど到底書けません。ここは一つ「創作童話」というゆるい世界の出来事としてお許し願いたいと存じます。

というわけで、本日のお話はここまで。



※このお話が埋まっている小さな沼はこちら↓


【創作童話】こぞうと将軍〈其ノ二のニ〉

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