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語学の散歩道#番外編 春に寄す

ここ2日ほど雨が降っていたので、3日ぶりで植物たちに水をやろうとベランダに出た。

驚いたことに、ついこのあいだまでとても生きているようには見えなかったコゴミの根幹から8センチほどの新芽が出ていた。葉が落ちて、こげ茶色の松ぼっくりのような姿の先端に、やわらかい、明るい鶯色の芽がひょっこり顔を出し、穂先にはゼンマイのような渦巻きを載せている。

隣の鉢では、イングリッシュラベンダーがつぼみをたくさん膨らませていた。


私は、英語でいうところのGreen thumbを持っていないので、植物の手入れがずぼらである。水と肥料は与えるが、剪定は冬越しが必要な琉球朝顔の蔓を刈り込む以外ほとんど手を入れないので、枝は自分たちの好きなほうに伸び放題である。誰もが太陽の光を求めて東のほうに顔を向けているのが可愛らしい。せっかく陽の光を求めているのに剪定してしまうのは申し訳ないから、などという言い訳をしながら自由放任主義を謳っている。

いいかげんである。


ニガウリをプランターで育てたこともあった。
苗を2本買ってきて、植えた。

新米のニガウリたちは、ベランダの強い風に吹かれながらしばらくの間自分の進む道を探していたが、やがてプランターの背面に備え付けていた支柱に張ったネットを見つけ、短い手をいっぱいに伸ばして網の一部をつかむことに成功した。


「ほ」
どこからともなくそんな言葉が口から飛び出した。


日当たりのよいベランダなので、夏場の遮光用のグリーンカーテンになるはずだったのが、玉簾ほどにも葉が茂らず、私の思惑は外れた。


ある日、ニガウリの花が咲いた。3つほどあって、その1つが実をつけた。
私は、オーガニックのニガウリを口にする日を夢見ながら、来る日も来る日も小指ほどの小さなニガウリを観察した。2週間たっても、小指は小指のままだった。ピクルスにすれば食べられるのか。そんなことを考えているうちに、いつしか小指は蔓からなくなっていた。

何が不満だったのか、ニガウリは一言も語ってはくれなかった。


昨夜のことである。
元同僚であった先輩の早期退職を祝うために、久しぶりに3人で集まった。馴染みになったカジュアルフレンチのビストロで、会えなかった3年間の空白を埋めるかのように語り合った。

先輩は、「そういえば、来る途中、公園の桜が満開だった」と桜の近況を開口一番で報告してくれた。

「え、もうそんな時期?」

私たち二人は驚いた。

30年ほど前には桜が新入生を迎えてくれたものだが、今では卒業生を見送る花になっている。このまま桜前線が北上すれば、卒業式を飾ることもなくなるかもしれない。

桜の花は、何も語らない。

前年の夏に花芽をつくったあとは、黙々と冬を過ごし、やがて寒が去ると休眠から目覚めた花芽が花弁を開く。季節の移ろいにただ身を任せている。

あるとき、京都の桜守の番組を見た。
桜守とは、いわば桜のエキスパートなのだが、桜についての知識だけではなく、桜に対する愛情も並々ではなかった。

愛おしそうに桜に話しかける姿を見ながら、この人は桜と対話ができるのだな、そう思った。


一方、私たちの酒盛りは、料理とワインに舌鼓を打ちつつ、尽きることない話で盛り上がった。忌憚なく、本音で語り合える仲間といるのは、本当に楽しい。私たちは再会を約束して、名残を惜しみながら数時間後、ようやく解散した。

楽しい宵であった。


20年ほど前のことになるが、庭先に子猫が1匹迷い込んできた。

大きな声で鳴きながら、親猫を探しているようだった。草むらに隠れて姿が見えない。どこから来たのか、親猫はどこへ行ってしまったのかさっぱり見当がつかなかった。

そうして2日ほど大きな声で鳴いていた。

私はいたたまれなくなって、ついに子猫に声をかけた。彼は草むらからひょっこり顔を出して、探していたものをようやく見つけたように、ニャアと大きく鳴いて私の方へ近寄ってきた。私の周囲をくるくる回りながら、しきりに体を摺り寄せてくる。

その日から、彼は家族になった。


幼いころから人間と過ごしてきたせいか、彼は私たちの話がよくわかる。

「ここにきてコロンして」と頼めば、「ニャ(はい)」と言って、コロンとする。苗を植えたばかりのプランターに横になり、「そこに寝たらダメよ」と注意されれば、隣の苗床のプランターに移動する。猫に2鉢とも苗床を潰された父は、途方に暮れていた。


出汁をとった後のかつお節を、初めてご飯にあげた時のことである。

初めは不審そうに匂いを嗅いでいたが、やがて意を決したようにかつお節を口に入れたそのとき、
「んまい!」
と、猫が言ったのである。

母に、
「いま、うまいっていったよね?」
と聞くと、
「うん、うまいって言った」
と答えた。


「うまかったの?」
と、さりげなく聞いてみたが、猫はもう何も言わない。
うっかり人間語を話せることがバレたのを隠すかのように、かつお節に熱中するフリをしている。

私は母と顔を見合わせた。

「猫って、本当は人間語が話せるんじゃない」

親子でそんな間の抜けた会話をしながら、かつお節をほおばる彼の姿を遠巻きに眺めた。


別の日、猫が外に出たいといってニャアニャアと鳴いていた。

彼は外に出るとしばらく帰ってこない。大抵は庭先で日向ぼっこをしているのだが、一度近所のボス猫とケンカをしてひどいケガをして帰ってきたことがあるので、私たちは気が気ではない。ケンカにはめっぽう弱いくせに好奇心だけは人一倍なのである。

「もう少し家にいなさい」
そう言って放っておいたら、トコトコと歩いていって部屋の隅に置いてあった段ボール箱にポンと飛び込んだ。そして、悲しい顔をしながら用を足し始めた。そうか、トイレに行きたかったのか、それは悪かったと平謝りに謝ったものの、その姿が何ともいえないほど愛らしく、私と母は文字通りお腹を抱えて笑ってしまった。それを見ていた猫がさらに悲しそうにうつむいたので、「気にしなくていいよ。箱はちゃんと片づけるから」と母と二人して慌てて慰めたのだった。


私の外国語習得はなかなか進まないが、猫語もまだまだだなぁとこの時ばかりは大いに反省した。


ホシガラスさんの記事を読みながら、そんな話を思い出しつつ、昨夜の宴の余韻に包まれて過ごす春の午後であった。


<語学の散歩道>シリーズ【番外編】

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