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語学の散歩道#19 AI vs BI 【前編】

ドラえもんの道具で欲しいものが二つある。
それは…

どこでもドア暗記パン


子供の頃から丸暗記というものが苦手である。

語学だと、単語を一つ覚える間に三つは忘れている。しかも日を追うごとに記憶曲線のベクトルの降下角度はますます大きくなっている。
しかし、暗記パンを手に入れることはできない。

では、一体どうすればよいのか。
答えは簡単だ。


何度も繰り返して覚えること


そして、いまではそれが私の性癖になったようで、同じ映画やドラマを何度も繰り返し見る癖がついてしまった。

見たいものを、見たいときに、見たいだけ見る。ときには落丁することもあるけれど、私の辞書に「飽きる」という単語は存在しない。

というわけで、サブスクは割に合わないため論外となる。


ところが、昨年のブラックフライデーで買い物をした際、うっかりAmazon prime に登録してしまった。そのため、30日間プライムビデオ見放題という少々困った特典をいただいたのである。

つまり、手元にある本もDVDもそっちのけで視聴しなければならないということだ。しかも、30日後には解約手続きを忘れないようにするというリマインダーまで課されてしまった。

もちろんすぐに解約してもいいわけだが、せっかくの特典を利用しないというのももったいない。


そこで無料視聴できる映画やドラマを検索すると、例によってベタなタイトルのドラマを2つ見つけた。

そして、このベタなタイトルのドラマが例によって期待を裏切る面白さで、30日間ひたすら見続けた挙句、DVDまで買ってしまったのであった。


一つ目は『Spooks』(『MI-5 英国機密諜報部』)というBBCのドラマである。

ストーリーはまずまずというところだが、1話目からマシュー・マクファディン演じるトム・クインにロックオンされてしまった。

ついでに、日本語字幕にも。


字幕翻訳には、1秒につき4文字というルールがある。

ところが、このドラマの字幕は異常に長い。というよりも、長い台詞がそのまま翻訳されている。翻訳自体は上手いのだが、文章が長いうえに句読点まであるため、ぼんやり字幕を読んでいるとたちまち置いていかれてしまう。どこか奇妙だ。
もしかすると、この翻訳は…

私の疑念が確信に変わったのは、3話目からである。


これは、機械翻訳に違いない。


句読点や長文という難点に加えて、それまでまともだった日本語が3話目から急速に乱れ始めたのである。


ここ数年、Chat-GPTをはじめとするAIの進化には目を見張るものがある。とくに、言語分野におけるAIの成長はめざましい。

動物と人間の違いは何かと尋ねられたら、多くの人々が「言語」と答えるのではないだろうか。言語というのは、それほど高度に発達した伝達機能である。その言語を、本来生物ですらないArtificiel Intelligence 人工知能が操る時代になってきている。

この現象は、とくに言語に関わる「翻訳」という分野において危機的な状況をもたらしているのではないか。つまりこれは、強力なライバルの出現を意味するからだ。

では、AI は本当にBiological Intelligence 生物知能* を超えることができるのだろうか。


ということで、今回は字幕翻訳について何の知識も持たない私がBIを代表してこのAIとの勝負してみる、という話である。


AI vs BI

こうして、『Spooks』のシーズン2第4話を舞台に、前半戦の火蓋が切って落とされた。
※以下、BIは拙訳、AIはAmazonの字幕。


* * *

Blood and Money 

<あらすじ>
アメリカ合衆国からロシア政府へ資金援助された200億ドルの行方がわからなくなった。同じ頃、リチャード・ボウマン卿が頭取を務めるボウマン銀行からも10億ドルが盗まれ、証券トレーダーのジョン・ライトウッドが容疑者として浮上する。この危機に際して、英国政府とイングランド銀行のジョン・バリー卿はMI5(英国諜報部)へ応援を要請した。MI5のハリーとトムは、事件が単純な現金の横領事件ではないことを嗅ぎつけ、真相を暴こうとする。


<第1ラウンド>

まずは、ロシアマフィアのVictor Schvitkoy が、ロシア政府の財務官を脅迫して200億ドルの送金を迫る冒頭の場面から。

< 毎度ながらRade Serbedzija のマフィア役は怖い >

You have a password to an accout. I can't access it unless you enter the password. Please do so now. 

◆BI

口座のパスワードを知ってるな
俺はアクセスできないから——
入力してくれないか

◆AI

あなたはアカウントのパスワードを持っている。
あなたはパスワードを入力しない限り私は登録できない。
入力してちょうだい。

これは財津一郎氏のCMか…?



<第2ラウンド>

イングランド銀行の頭取、ジョン・バリー卿は、ボウマン銀行のリチャード卿に本件をMI5へ委ねたい意向を示す。ところが、MI5のハリーと旧知の中であるリチャードは、どうやらMI5を巻き込みたくない様子である。

< イングランド銀行のジョン・バリー卿 >

Sir.Richard:Can't MI6 do the job?
Sir.John:They want to keep a safe distance. So the last thing we want is the Fraud Squad.
Sir.Richard:Dear God, no!

◆BI

リチャード:MI6は?
ジョン:関わりたくないらしい 警察沙汰よりマシさ
リチャード:なんてことだ!

◆AI

リチャード:まさかMI6はこの仕事をできないの?
ジョン:彼らは安全な距離を置こう。少なくとも私達は詐欺集団を目指す。
リチャード:神様、やめて!

the Fraud Squad とは、ロンドン警視庁とシティ警察合同の企業詐欺捜査班のことらしい。だが、詐欺集団を目指すのは…。 神様、やめて!


<第3ラウンド>

サー・ジョンがリチャードにMI5のハリーとトムを紹介したあと、もう一人の出席者、アマンダが会議室へ入ってくる。

< できればこんな上司とは出会いたくない >

Amanda:Running a little late. Hope no one's inconvenienced. Please, sit down, everyone.

◆BI

アマンダ:遅れました
     どうぞお座りください

◆AI

アマンダ:少し遅れた。迷惑をかけないように。
     どうぞ、皆さん、お座りなさい。


たしかに、アマンダの態度はすこぶる偉そうだし口調も横柄だが、英国でSirの称号を持つ人物に対する言葉遣いとしてはいかがなものだろうか…


<第4ラウンド>

盗まれた金と犯人の行方を捜索するよう依頼を受けたMI5だが、この依頼に疑念を持ったトムは上官のハリーに相談する。

< 左がハリーで右がトム >

Tom:We could put someone into the bank undercover. Find out what they're all up to. 
Harry:Good idea.
Tom:Really?
Harry:Why not? We are spies.

◆BI

トム:銀行に潜入して探ってみますか?
ハリー:いい考えだ
トム:本当に?
ハリー:我々はスパイだろ

◆AI

トム:誰が銀行に潜入してみよう。彼らの狙うことを突き止める。
ハリー:いいアイディア。
トム:本当に?
ハリー:なんでダメなの?私たちはスパイなんです。


さて、こんな滑稽とも思える会話のあと、公園でライトウッドが磔刑の姿で発見され、トムたちは窃盗事件の背後にロシアマフィアの影があることを突き止める。


<第5ラウンド>

その後ヴィクトルはサー・リチャードの元を訪れ、金を自身の口座へ送金するよう脅迫する。追い詰められたリチャード卿は、たまらずアマンダへ連絡する。

Amanda:Speak.
(中略)
Sir.Richard:I am unhappy. I want to talk to the Chancellor.

◆BI

アマンダ:もしもし
リチャード:もうたくさんだ 大臣と話したい

◆AI

アマンダ:言え。
リチャード:私はいまめっちゃ不愉快なの。大臣に話したいんだ。

< めっちゃ不愉快なリチャード・ボウマン卿 >



ところで、ここで考えたいのは勝負の結果ではなく両者の違いはどこにあるのか、という点である。

上述の場面だけではわからないが、ほかにも名前がHarryと英語表記のままになっていたり、明らかに男性が話しているのに女性言葉になっていたり、部下が上司に命令口調で話したりと、Amazonの字幕には「文脈」というものが全く考慮されていない。


ここから言えることは、おそらく自動翻訳は声のピッチが高いと女性、怒鳴り声だと命令形、のように音声情報だけで状況判断する仕組みになっているのではないかということである。

映像からの情報は取り込まれておらず、あらかじめ登録された言語情報だけで「言語の置換」をおこなっているように思われるのだ。ただし、機械翻訳の名誉のためにひとこと断っておくと、語彙力は相当のもので、私よりもずっと上である。
一方、台詞を字義どおりに訳す傾向にあり、含みのある表現や登場人物たちの人間関係といった「文脈を読み取る」能力には欠けている。

ややこしいことに、日本語には女性言葉や男性言葉があり、丁寧語や尊敬語、謙譲語といった複雑な敬語表現、俺やお前というさまざまな呼称なども使い分ける必要がある。


もしかすると、シーズン1とシーズン2の第2話までは翻訳家がある程度修正し、その後は自動翻訳に任せたのかもしれない。
他社の動画配信サービスとの競合があることを思えば、できるだけ人件費を削減して費用対効果を上げたいところだ。そのため、人気ドラマ以外はコストダウンを図っているのではないだろうか。

Amazonの字幕については、「日本語が変。有料なのにあんまりだ」という評価を時々見かける。もっともな話である。

たしかにもっともな話だが、言語と文脈の関係について考える時、これはこれで面白い。


『Spooks』は2002年からBBCで放送されたドラマだが、Amazonの字幕がどの時点で作成されたのかはわからない。
翻訳は単純に言葉を置き換えればよいというものではないことは今回の例が示しているが、AIによる翻訳は、いまやTPOをわきまえた言語レベルに達するほど成長している。

自動翻訳は、まさしく「ほんやくコンニャク」であり、そんな夢のようなツールが現実化しつつある。

しかし、その一方でAIの進化とは反比例して、人間という「BI」はこの先退化していくのではないかと危惧するのである。


人間とは何かと問われたとき、もはやそこに「言語」という定義は存在しなくなるのだ。

自動翻訳は、たしかに便利な道具である。
しかしながら、言語というものは、どんなに苦労してでも自分で身につけていく方が格段に面白い。

暗記パンは欲しいけれども、ほんやくコンニャクは要らない。


ところで、この話には後日譚がある。

私は気に入った作品は何度でも見てしまう。
当然、この『Spooks』も全巻セットを探し回ったわけだが、とうとうeBay で目当ての品をAmazon.uk やAmazon.com の半値で手に入れることに成功した。

私はDVDの到着を指折り数えて待っていた。
ようやく到着したその日、さっそく開封して試聴してみた。ところが、何かがおかしい。


字幕が、オランダ語だ…


慌てて残りのケースを確認すると、幸いにもオランダ語字幕はシーズン1だけだった。念のため購入履歴を確認したが、やはり商品の説明にオランダ語字幕とは書かれていなかった。

友人に話すと、

「ええやんか、解体新書ターヘル・アナトミア、書けるで!」

と、お腹を抱えて笑っていた。


だが、少し違う。

私の目標は医者ではなく、オランダ通詞である。


*Biogical Intelligence 生物知能:ここでは私の造語



<語学の散歩道>シリーズ(19)

※このシリーズの過去記事はこちら↓



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