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語学の散歩道#22 本物はどいつだ?

映画において「ホンモノ」かどうかを問うのは難しい。そもそも映画は「ニセモノ」だからだ。


初夏の太陽が街路樹からこぼれ落ちるさわやかな朝、『ブラック・スワン』を見た。怖いものが苦手な私はレイトショーでなくて本当に良かったと映画館を出てからホッとした。

それにしても、ナタリー・ポートマンの鬼気迫る演技と踊りは素晴らしかった。そこで、後日知人にこの話をしたところ、バレエ経験のある彼女の友人に言わせればナタリー・ポートマンの踊りはイケてない、あんなのは全然バレエじゃないと酷評していたという話だった。

私はバレエを習ったことも観たこともないのでそんな印象は全く受けなかったが、自分が経験したことのある分野だと、この違和感は非常によく理解できる。


わずかな期間だが、バイオリンを習ったことがある。ある日、羽田美智子(以下全て敬称略)がバイオリニストの役で出演したドラマを見た。彼女の演奏シーンを見たとき、優雅に弓を引く姿とは裏腹に、あんな弾き方では絶対にあの音色は出せないと随分むずむずしたものである。バイオリンは弓を弦に直角にあてて引かないと美しい音は出ない。ただ弓を上下するだけではダメなのだ。おまけに左手の指の動きが楽譜と合っていない。目と耳から得る情報のギャップが、どうにも気持ち悪かった。


もちろん、彼らは自分の役を演じただけであって実際にはバレリーナでもバイオリニストでもないのだから、本物と比べても仕方がない。しかし、そうと分かっていても経験が邪魔をして偽物感を察知してしまう。

こういう感覚を持ったことがあるのはおそらく私だけではないはずだ。だが、ボクサーやピアニスト、あるいは老舗の女将を演じるために、減量をし、楽器を猛練習し、着付けや所作の特訓を受けるわけだから役者業は大変である。そもそも、こういうものは何年もその道を極めるためになされた鍛錬の結果であって、一朝一夕でできるものではない。一本の映画のために「本物らしく」見せるのは至難の業で、なかには歯を抜いた役者までいるというのだから恐れ入る。しかし、役作りのためにどこまでやるのかというのは大いに考えられるべき点である。

真に迫る演技というのは、必ずしもいかに「本物らしい」かというところにだけあるものではないからだ。とりわけ、身体的な特徴を「本物らしく」見せるために自分の健康を損ねるほど追い込む必要があるのかどうかは疑問に思う。

では、これが言語の場合はどうだろうか。


ヨーロッパにはポリグロットの俳優が結構いるという話は以前したことがあるが(以下参照)、複数の言語や民族が共存するヨーロッパにおいて、これはとても意味があることだと思う。


いつだったか、知人のイギリス人からこう聞かれたことがある。

「ドラマでロシア人が英語を話したりするのって気になる?」

私は当然、気になると答えた。

「別に流暢な英語で話してもいいけど、ロシアンアクセントがある英語の方がリアリティがあると思う。スコットランド出身の役なのにコックニー(東ロンドンで話される労働者階級の英語)で話したら違和感があるでしょ?」
「いや、全然」

これを聞いた私は、外国語ならともかく、母国語でも違和感を感じないという感覚を意外に思った。言ってみれば、日本語だと関西出身の役の俳優がNHKのアナウンサーのような話し方をしても気にならないということである。一方、私は、京都人の役をする人が大阪弁で話しても気になる。

少なくとも日本のドラマや映画では演技指導に加えて方言の指導もあるから、やはり言葉にリアリティを求める傾向があるのではないかと思う。

とはいえ、言語におけるリアリティをどこまで求めるかということになると、これがまた難しい。


アメリカの人気ドラマで『クリミナル・マインド』という作品があるが、最近日本でもリバイバル版でシーズン16(本国では新シーズン)が放送されたらしい。

捜査官たちが犯人の行動や心理を分析して追い詰める追撃劇は最初こそ面白かったが、しだいにプロットの上手さよりも犯人の異常さや残虐さが加速し、やがて食傷気味になった。それでも不動の人気を誇っているのだから、やはり根強いクリマイファンがいるのだろう。

さて、このドラマに複数言語を操る捜査官としてエミリー・プレンティスが登場する。こう言うと怒られるかもしれないが、プレンティス役のパジェット・ブルースターは、アメリカ人にしては外国語の発音が上手い。スペイン語もフランス語もなかなかである。

気になるのは、それが中途半端だったことである。

どのエピソードだったか忘れてしまったが、スペイン語しか話せないという男の尋問をプレンティスが担当することになった。

< FBI捜査官プレンティスの尋問シーン >


字幕が英語になっているのはプレンティスがスペイン語を話しているからであるが、この尋問のシーンが案外長い。といっても5分程度だったと思うが、気がつけばいつの間にか二人とも英語で話している。男はスペイン語しか話せないのではなかったか?

繰り返しになって大変恐縮だが、あくまでこれは「語学堪能な捜査官」の役であって、役者本人がポリグロットである必要はない。とはいえ、途中から英語で話すくらいなら最初から英語で話せばいいのではないかと、どうしても思ってしまうのだ。いかにも中途半端である。


私と同じ語学友の友人が、スウェーデンのミステリを原作にしたBBCのドラマ『刑事ヴァランダー 』で主役を演じるケネス・ブラナーの英語が気になったと話していたことがある。スウェーデンでオールロケ、出演者全員がイギリス英語を話す中、ケネス・ブラナーだけがスウェーデンアクセントの英語で話すのはおかしい、と言う。

たしかにこれは、気になる。

ヴァランダーだけがスウェーデン人の捜査官という設定なら理解できなくもないが、はたしてこの状況でスウェーデンアクセントの英語を使う意味はあるのだろうか?


また、『NCIS:ハワイ』というアメリカのドラマだったか、シリアかイラクのテロリストが登場する場面について、彼らの話すアラビア語はモロッコあたりのアラビア語であって中東で話されるアラビア語ではないと思う、と指摘したのも彼女である。

こんなことはドラマの本筋には何の影響もないのだが、長年語学をやっていると、こういうディテールがどうしても気になる。むしろ、こんなくだらない発見が面白いから、語学はやめられない。


さて、ようやく本題だが、10年前に製作され、ファンには不評だった実写版の『ルパン三世』。
ルパン役に小栗旬、次元大介役に玉山鉄二、石川五ヱ門役に綾野剛、峰不二子役に黒木メイサ、そして最後に銭形警部役に浅野忠信を迎えた豪華キャストだったが、残念ながら評価は高くなかった。

< 左から玉山鉄二、小栗旬、黒木メイサ >


アニメの実写版に対する評価は非常に難しいところで、とくにそれが人気アニメの場合は、実写版に対する期待値がそもそも低いような気がする。

< この脚の形だけで十分次元大介だと思うが…>


しかし、私がここで注目したいのは、アニメと実写の比較ということではなく、『ルパン三世』の物語そのものにおけるリアリティである。


ご存知のとおり、ルパン三世はアルセーヌ・ルパンの孫である。つまり、初代ルパンはフランス人の怪盗である。それがなぜか、孫の三世は日本語を話し、日本人の仲間とともに世界をまたにかけてお宝を求めているのだ。

そこで問題。

ルパン三世の母国語は日本語なのか?

おそらく、そうなのだろう。正確なところは知らないけれども、少なくともテレビではいつも日本語を話している。

ところが、実写版の『ルパン三世』では日本語に加えて英語が話されているのだ。本作は、シンガポールで発生した盗難事件で幕を開ける。

<プロローグ>
ある日、シンガポールの現代美術館から古代オリンピックのメダルが盗まれる事件が発生する。翌日、香港警察本部を訪れた銭形警部は、捜査官たちを前に盗難事件のブリーフィングを始める。犯人は1年間消息を絶っていたルパン三世、峰不二子、ピエール、ジローら若手の盗賊たちだったが、銭形は事件の黒幕に、盗賊集団「ザ・ワークス」を束ねる老盗賊トーマス・ドーソンが絡んでいると考えていた。高齢を理由に引退を考えていたドーソンは、「古代オリンピックのメダルを盗んだ者に次のリーダーを譲る」と宣言し、ルパンたちに犯行を行わせていた。銭形は「ザ・ワークス」のメンバーを一網打尽にできると考え、捜査官たちを引き連れてドーソンの邸宅に張り込む。

<Wikipediaより〜LupinがRupanと表記されているのがこれまた気になる>


出演者が登場人物に似ているか、ストーリーが面白いかということよりはるかに気になったのは、英語で話される場面があることだ。そのため、映画館では吹替版と字幕版で上映されていた。


そもそもルパン三世の人気ぶりには声優陣も一役買っており、とくにルパン役の山田康雄氏の没後、後任として栗田貫一が抜擢された際にはバッシングも多かった。本人ではないのだから仕方がないだろうと気の毒に思ったものだが、それだけルパン人気が高かったという証しなのかもしれない。今ではすっかりクリカン・ルパンも違和感がなくなった。

あれほど特徴のあるルパン三世の話し方を今回は英語でやろうというのだから、これは大きな冒険である。ついでながら、江戸時代の岡っ引き、銭形平次の子孫にあたるという銭形警部は、埼玉県警に出向歴をもつ警視庁所属の警部で、その後ルパン専任捜査官としてインターポール(ICPO)にまで出向している国際犯罪捜査官である。

というわけで、銭形警部の語学力も気になるところだが、香港警察署では英語で話しているのだから、大したものである。


小栗旬を初めとする俳優陣は、体格づくりやアクションなど、過酷なトレーニングをこなしたうえで撮影に挑んだ。国民的人気アニメに対する挑戦としてそのプレッシャーは計り知れなかったと思うが、これまで当たり前に日本語で見ていたアニメに、外国語というリアリティを吹き込んだという点で非常に新鮮であった。アニメ版では全編日本語でも全く気にならなかったのに。


名作『カリオストロの城』の舞台は、ヨーロッパの小国リヒテンシュタインだそうだ。モデルになったのはサン・レオ城で、アドリア海に面するイタリア半島北東部のリミニから路線バスを乗り継いで1時間ほどで到着するらしい。ちなみに、リヒテンシュタインの公用語はドイツ語である。

クラリスとドイツ語で会話するルパンの図を思い浮かべると不思議な気もするが、実際に彼らは何語で会話をしたのだろうと考えるのは、想像するだけで楽しい。

なお、イタリア語のルパン三世はなかなかイケていると思うが、どうか?


映画という虚構の世界に、どれだけ本物らしさを求めるか。制作者側にとっては悩ましい問題である。


※全編ご覧になりたい方はこちらの動画でお楽しみください。↓



<語学の散歩道>シリーズ(22)

※このシリーズの過去記事はこちら↓


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