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#6 ナマクアランド

ナマクアランド。

南アフリカの北ケープ州に位置し、年に一度だけ一斉に花が咲き誇り、「神々の花園」と呼ばれているエリアである。

その昔、プラントハンターと呼ばれる人たちがいた。一見優雅な植物採集家のような響きだが、実際には探検家のような危険な冒険をした人たちもいれば、外交官やその付添人として国家的使命を帯びて世界各地の植物採集をして回った人たちもいたらしい。

プラントハンターは、食用や薬用目的で行う植物採集とはやや異なる。主な目的は観賞用として異国の珍しい植物を商業ベースで採集し、国内外の需要に対して供給する。あるいは、異国の植物を自国で栽培し、需要に応えるという第三次産業的なアグリビジネスに近い。


オランダの国花であるチューリップも原産地はトルコで、17世紀頃にオランダへ持ち込まれたものである。食用でも薬用でもなく、純粋に観賞用として人気を博した。まもなくチューリップの球根は高騰し、人々は競って品種改良による新種を生み出し、ついにはチューリップ熱あるいはチューリップ症候群と呼ばれるチューリップ市場への異常な投機熱に発展したことは、今では歴史のトリビアにもならない程よく知られている。

フランスの文豪アレクサンドル・デュマの小説『黒いチューリップ』には、このチューリップ症候群のことが描かれている。小説とはいえ、チューリップへの人々の野心や欲望の狂乱が伝わってくる。

< 邦訳を手放してしまったので、原書より一部引用 >


19世紀のイギリスは、プラントハンターの黄金時代だった。なかでも英国学士院の院長として学界をリードしたジョーゼフ・バンクス(1743ー1820)は数々のプラントハンターを世に送り出すと共に自らも植物採集に参加している。南アフリカについていえば、アバディーン出身でキュー・ガーデンの園丁をしていたフランシス・マッソン(1741ー1805)が、公式第1号としてケープタウンで植物採集を行っている。今では、当たり前にヨーロッパ各国の窓辺を飾っているゼラニウムの花は、実は南ア産の植物である。

プラントハンターたちは標本や種子、苗木などを持ち帰り、異国の植物を求める人々の需要に応えた。

<南アフリカ原産の多肉植物>

イギリスの国花といえば、誰もが薔薇を思い浮かべるだろうが、原産地はチベットから中国雲南省の辺りだと言われている。イギリスでも栽培されたが、品種に乏しく、アジアで栽培もしくは自生している品種には遠く及ばないものであったようである。それ故に、ナポレオンの皇妃ジョセフィーヌが薔薇を追い求め、7つの海を制した大英帝国もまたこれを求めて奔走した。

ヨーロッパで誕生日や結婚記念日などに限らず花束を手土産にするのは、こうした背景があるからかもしれない。花は貴重な贈り物なのだ。


それにしても、ランドはともかくナマクアとはどういう意味だろう。Wikipediaによれば、以下のとおりである。

ナマ人(Nama People)はアフリカ民族南アフリカナミビアボツワナに居住する。元来、コイサン諸語に属すナマ語を話すが、近年はアフリカーンス語も話す。ナマ人はコイコイ人系民族のなかでは最大の民族であり、他のコイコイ系民族はほとんど消滅してしまった。多くのナマ人のグループは中央ナミビアに住み、他の小さなグループは南アフリカナミビア国境ナマクアランド英語版)に住む。

<出典:Wikipedia>

ナマ人にナマ語にコイコイ族…。

思わずアフリカーンス語が学びたくなる。
なお、「ナマクア」は、コイコイ語で「人々」を意味する「-qua/khwa」に由来する言葉、ということらしい。

ナマクアランド、行きたい。
しかし、遠い…。

そこで、異国の植物を部屋に飾って、異国情緒に浸ってみることにする。

日本にいるのにいない感じが味わえるのは、自分では動けない植物が母国を偲ぶ郷愁を滲み出しているからだろうか。

<一度は行きたいあの場所> シリーズ(6)


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