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過去を顧みる③

いよいよ最後になります。最初からお付き合いいただいた方には感謝申し上げます。ありがとうございました。
今回も恐らく長文になりますので最後までお付き合いいただけますと幸いです。

大きな過ちの3つ目は、転職です。
先日あるテレビ番組の特集で、なぜ日本の賃金が上がらないのかについて議論をしていました。結論としては、日本人のマインドセットの問題で、もっと自信をもって自分を売り込んでいけば自ずと賃金も上がる。そんな話でした。その番組の中で、こんな話がありました。日本国内では全く売れなかった20万円の日本刀が、海外のコンペに出したら、2000万円で売れたというのです。需要と供給というように、価値は自分が決めるものではなく、誰かが決めてくれるもので、限界を自分の中で創ってはいけない。そんな風に感じました。私の記事もどこかに需要があればいいなと思います。価値はありませんので、勿論無料です。(笑)いつかは、価値が生まれてくるのかな?
前置きはさておき、私は2年間公的機関で務めた後に、なんと2度も転職をしています。今回は何故こうなってしまったのか。そして、今転職を考えている人に私なりの転職についての考えを少しでもお伝え出来たらと考えています。

まずは、何故転職を決意したのかについてです。端的に言うと、仕事のつまらなさからです。入社直後に上司が産休になり、自分に仕事がほとんど回ってきて任される中で、もっとできるんじゃないかと思った矢先に異動で、また振出しに戻って今度は、ルーティーンワークの権化のような仕事ばかり。これに嫌気がさして、転職を決意しました。
”若いしまだやり直しはどこかで利くだろう”当時の私はこのように思っていました。しかしながら、それは間違っていました。書類を出せども書類選考で落ちることは日常茶飯事、気が滅入る事もありましたが、とにかく出し続けることが日課のようになっていて、それが正義だと考えていました。それも今思えば間違っていました。
まさに当時の私は、”井の中の蛙大海を知らず”でした。自分の組織における立ち位置や社会における自分の実力を過信しており、それ自体の把握すらできていなかったことが全てだと考えています。”自分なんてほんとに大したことはない”という想いが欠けていたのだと思います。勿論そんなことばかり思い続けていたら、自信がなくなり、仕事にも影響が出そうですが、根本的にこういった考え方は常に持っておくべきだと思います。初心に帰ることの大切さを改めて感じる今日この頃であります。。世の中は想像以上に広く、自分より上の人なんていくらでもいます。だからこそ、人生って面白いんでしょうし、日々成長しようって思えるんでしょうね。

転職というのは、よく”お見合いの場”だといわれます。お互いに良いなと思えば、マッチングする。それ以外は、サヨナラの世界だと。
私もその通りなんだろうなと思っています。特に顕著なのは、面接です。就活に面接は付き物ですし、それなくして、入社はできません。当たり前ですが、これは本当にブラックボックスです。すごく良い雰囲気でも、不合格なんてことはザラにありますし、逆にあまりよくない雰囲気や受け答えで、合格なんてこともあります。未だに何が正解かわかっていません。
人間同士の対話ですから、当然ながら主観は入ってきます。この主観が厄介ですね。答えがないですから。どんな人にも好かれるように振る舞える人にとっては何ともないことかもしれませんが、そう振る舞えない自分のような人間にとっては、本当にどうすべきかわかりませんでした。面接のときだけでも、ピエロのように違う人格で振る舞えば終わりだという意見もあります。それも一つだと思いますが、でもそれでいいんでしょうか。これから人生の半分以上を過ごすであろう会社において、その偽りの自分で取り繕って面接を通過して、いざ働くとなって、そのギャップを自分で埋めきれず、耐えきれなくなっていく。それはそれで辛いのだろうと考えます。だからと言って、根暗で暗い素の自分を出したら間違いなく全て落ちるでしょうし。そこは本音と建て前が大事なのかもしれませんが、、、
じゃあどうすればよいのか。当時の私は、ある程度面接での限界は感じていましたので、結局、ハロワで練習をしても、本当に最低限の練習にしかならないし、そこは最低限抑えておく。それしかないなと。予想外の質問が来た時の対応は、どうしても直ぐに身につくものではありません。だからこそ、他に目を向けるべきだなと考えました。そこで、目を向けたのは資格です。これは、結論から言って間違いでした。どれだけ履歴書の見栄えを良くしてもそこまで大きな影響はないと思います。
最近のニュースで、某求人サイト大手の企業が、件名に学歴フィルターと思われる件名をそのまま入れてしまっていたという報道がありました。やはり依然として、学歴フィルターというのは存在するのでしょうし、履歴書にしても、全てのものに目を通すほど人事も暇ではないのでしょうから、ある程度の学歴フィルターは存在するのだろうとは思っていましたが、実際に目にすると、なかなかキツイものがあります。。勉強ができるのと仕事ができるのとは全く違う能力だと思うので、そこは一つ境界を感じています。アルバイトをしていても、高卒だから大卒だからという差別はなく、優秀な人は高卒大卒に関係なく、いますし。優秀な経営者も、大学中退(高卒)もざらにいますし、そこに価値はないのだと思います。(義務教育までが大事)
話は少し脱線しますが、日本の子どもの貧困率は先進国ながら高いというのは有名ですし、そういった経済的な背景から大学入学を断念したという方もおられるという話は聞きますし、奨学金制度の問題点(大学卒業後も、その返済に追われることも問題視されています)も未だに改善されていません。

話が大きくなってきましたが、もう少し日本全体として労働の流動性を持たせるべきだと考えます。即ち、能力で判断する社会に舵を取らないともう学歴で判断するような時代ではないのだろうと考えます。コロナで見えてきた、専業の危険性。一つがつぶれたときに潰しが効くような代替業の大切さ。それは、個人においても然りであり、一つに特化して専門性を突き詰めていくことは大切ですが、それがどうなるかわからない危うさを秘めたものであるという事を再認識する必要があり、履歴書をきれいにするような資格に囚われるのではなく、本当に社会に通用する凡庸スキルの必要性を感じています。それに加えて、何をやっているときが一番自分が輝いていて、楽しいと感じるのか。それだと思います。

転職というのは、”自分を理解して自分の強みが何で、それを活かして何がやりたいのか”、そういった基本的なビジョンなく、ただ闇雲に今の環境や仕事を変えたいがために、転職という大海に出たら、間違いなく漂流します。これは断言できます。

もし今転職を考えている人がいれば、もう一度立ち止まって考えてほしいです。今の職場で何が不満で、それって考え方ややり方次第で何とかならないのか。辞めてまでしたいことが自分にあるのか。ただ今の現状から逃げたいだけじゃないのか。もし当てはまることがあるなら、転職という荒波にあえて立ち向かう必要はないと思います。

最後までお付き合いありがとうございました。


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