自我の考えに救いがあると信じれば、同一化する。しかし自我と同一化することで、「何かが失われている」感覚がつねにつきまとう。

自我と同一化することは、自分自身を攻撃して貧しくすることである。
(しかし同一化が救いだと信じている)
だからこそ、自我と同一化している者は、「自分から何かが失われている、奪われている、欠けている」と感じるのである。そうなると「憂鬱と怒り」が経験される。
これは「真の自己の愛」を自己嫌悪と取り替えることでもあるし、そうなれば、自らを恐れる者にし、自分のことが嫌になってしまう。
このさざなみのような動揺、不安感は十分に自覚できていても、「自分が自我と同一化したことが、その源」だとは認識していない。なので、この不安感に対処するためにいつも「世界との間に何らかの取り決め」をする。そして調整する。


動揺や不安を覚えるときは、「自我と同一化」している。
自我の思考と同一化すると起きることは、以下3つ。

・自分から「何かが失われている、奪われ、欠けている」と感じるようになり、その後、憂鬱や怒りが経験される。
・真の自己の愛を自己嫌悪と取り替えたので、「自らを恐れ」「自らがイヤ」になってしまう。
・このさざなみのような動揺/不安感は十分に自覚できていても、「自分が自我と同一化したことがその源」だとは認識していない。ゆえにこの不安感に対処するためにいつも「世界との間に何らかの取り決め」をし、そして調整する。
(例えば、不安を打ち消すために、「食べ物」をたべる、「友人」に通話を頼む、「競馬」で興奮しようとする…などは、その対象が不安に対処できる自らが取り決めて信じたもの)

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