自分の心地の良いと思うことは年と経験ともに変化するって話

これは「会社を辞めて留学してわかる、若い頃との違い」のまとめのような話。

10年前は1泊5ドルのゲストハウスのドミトリーで平気だった。

二段ベッドが部屋にいっぱい並んで、ごちゃ混ぜの多国籍感に異国を感じ、そこでの一期一会の儚さと、ぬくぬく育った環境から抜け出して外で生活を営むサバイバル感と、ああ、旅してる!という充実感に満たされたのは、悲しいことに、もはや昔のことになってしまった。

当時は、母から「私はドミトリーなんて無理だわ」と言われても、「なんでよ、楽しいじゃん!」と、私の中のこの基準は永遠だと思っていた。

そう、永遠なんてないのだ。

もちろん今でも旅は好きだけれど、バックパッカー時代のエネルギーと好奇心は、年々薄れてしまっていることに気づく。それを実感するのはもちろん悲しいのだけれど、これはいろいろなことを経験することで、自分の心地よいと思える基準が顕在化、そして変化してきた結果なのだ。

むしろ、好奇心旺盛でガンガン行っていた時代は、自分の心地良い基準ってまだないに等しかったのかもしれない。むしろ、「金銭面と相談した結果犠牲にしていいものランキング一位」が「心地よさ」で、それを犠牲にして飛び込んだ世界で得られるワクワク感がマイナス部分をカバーして、心地良いことに目を向けることすらなかった。

これは、資金の限られた学生バッグパッカーと、ある程度好きにお金を使えた会社員と、違うステータスを生きてみたことで、見えてきたことだと思う。

働いて、今までの自分の基準とは違う世界を体感して、今までないがしろにしてきた部分もわりと好きかも、なんて思えてきたり。

自分が変わっていくことに少し寂しさを覚えるけど、でもそれはまた違う世界の幕開け。好奇心に胸を熱くした時代の気持ちにノスタルジーを感じながら、今年もまた歳をとる。


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