見出し画像

【創作大賞2024】「友人の未寄稿の作品群」4【ホラー小説部門】

◀前話 一覧 次話▶

未_怪談の常套句 のコピー


「これはとある知り合いから聞いた話なのですが――」

「知り合いのBさんから、相談したいことがあると呼び出されまして――」

「これはうちのお爺さんが体験した話でして――」

 怪談には常套句が存在する。「誰某から聞いた話である」という語り出しがその代表である。この常套句は、怪談が実際にあった出来事であるかのように感じさせるための、重要な要素である。

 実話怪談(怪談実話)を扱う怪談師は、怪異の体験者の話を蒐集し、整理をして、我々に語る。怪談師自身の体験談ではなく、他者の体験談を元にしていることが多い。

 この「誰某から聞いた話」という語り出しは、信憑性を高める効果がある。聞き手は、自分の知り合いが体験した話であるかのように錯覚しやすくなる。
 例えば、「友人のAさんが体験した話なんだけど――」という形で語られると、聞き手はその友人の存在を想像し、その架空の友人へ身近さや信頼性を感じる。

 さらに、身近な人から聞いた話という設定は、聞き手に「この怪談は本当に起こったのかもしれない」という感覚を与える。このリアリティは、恐怖を増幅させる強力な要素である。

 怪談師は、このようなリアリティを持たせるために、語りの技術や話の構成に工夫を凝らす。実際の体験談を基にしている場合、その体験の詳細をできるだけ忠実に再現しながらも、聞き手を引き込むために効果的な演出を加える。
 話のテンポを調整したり、重要な部分で間を取ったりすることで、聞き手の緊張感を高める。また、聞き手が共感しやすいシチュエーションや登場人物を設定することで、話のリアリティを強化する。

 このようにして、怪談は単なる物語以上のものとなり、聞き手に対して強い印象を残す。語り手が工夫を凝らした語り口と、身近な人から聞いたという設定は、怪談の魅力をさらに高め、聞き手に忘れられない恐怖体験を提供するのである。


 一方で、語り手自身が体験した、という体裁で語られる怪談も存在する。
 これらは、語り手がまるで自分が直接体験したかのように話を進めるため、虚実の境界が非常に曖昧になる。語り手の個人的な体験として語られることで、話の信憑性が増し、より一層恐怖を感じさせることができるのである。
 聞き手は、語り手の表現力や語りの巧みさに引き込まれ、あたかも本当にあった出来事であるかのように錯覚してしまう。


 明らかに創作と思われる、低質な怪談もインターネット上には多く見られる。インターネットの普及により、誰でも簡単に自分の怪談を公開できるようになった結果、質のばらつきが生じているのである。
 そのためインターネット上には、真実味に欠ける怪談や、単なる思いつきで書かれた低品質な作品も散見される。

 しかし、それでも一部の優れた創作怪談は、読者や視聴者に強烈な印象を与えることがある。これらの優れた作品は、語り手の卓越した表現力とストーリーテリングの技術によって、実話同様の恐怖を感じさせることができるのである。
 細部にわたる描写や心理的な恐怖を巧みに表現することで、聞き手を引き込み、物語の中に引きずり込む。こうした怪談は、その出来の良さから、あたかも本当にあった出来事であるかのように感じられる。

 さらに、優れた創作怪談はしばしば都市伝説化し、口伝えに広まっていくことがある。元々は創作であった話が、時間の経過とともに実話のように扱われるようになる。

 このように、インターネットを介して広まる怪談には質のばらつきがあるが、それでも一部の優れた作品は強い印象を与え、恐怖を感じさせる力を持っている。語り手の技術や表現力が問われる一方で、聞き手にとっては、その虚実を見極めることは難しい。
 それゆえ、創作であっても優れた怪談は実話同様に恐怖を引き起こし、語り継がれる価値を持つ。創作怪談もまた、怪談文化の一部として重要な役割を果たしているのである。


 ここで、以下の二点について怪談を二極化してみる。

  • 語り手が怪異の体験者であるか否か

  • 実話であるか、創作であるか

 これにより見える組み合わせは四つである。

a: 語り手が体験した実話
b: 語り手が体験した体の創作
c:  語り手が体験者でない実話
d: 語り手が体験者でない創作

 また、dはさらに二つの可能性に分かれる。

d-α: 語り手の創作
d-β: 体験者の創作

 以上の点について、怪異の体験者、怪談の語り手、怪談の聞き手の三者の視点で上記のパターンを詳しく見てみる。

 まず、怪異の体験者の視点から見ると、d-βが創作であることがわかる。体験者のみが自身の創作であることを知っているため、その虚実を見分けることができる。

 次に、怪談の語り手の視点で見ると、bとd-αが創作であることがわかる。bの場合、語り手は自分が体験したかのように創作を語る。語り手は自身の創作であることを知っているが、聞き手に実話のように感じさせる技術が求められる。
 d-αの場合、語り手自身が創作した怪談を語る。この際語り手は、架空の友人をつくるか、実在する人物に勝手に怪異を体験させる。

 最後に、怪談の聞き手の視点で見ると、怪談の虚実はaからdの全てにおいて判断ができない。聞き手は語り手や体験者の内心を知ることはできないため、語られる内容が実話であるか創作であるかを区別することは困難である。

 このように、怪談の虚実を見極めるためには、語り手や体験者の視点が重要であるが、聞き手にとってはそれを知る手段が限られている。
 語り手が体験者でない怪談を語る際、怪談の虚実はその場にいる者にとっては知り得ないものとなる。体験者の創作怪談が語られるとき、それは実話としてその場に存在することになる。語り手は、怪談を語る際に緻密な演出や心理的な描写を加えることで、聞き手に強烈な印象を与え、信憑性を高める努力をする。
 実話と創作の境界はますます曖昧になり、聞き手はしばしばその怪談の真偽を見誤ることがある。

 このようにして、怪談の虚実は複雑に絡み合い、聞き手にとっては見分けがつかない状態になる。これが怪談の魅力の一部でもあり、語り手と聞き手の間に緊張感と興味を生み出す要因となっている。


 怪談は口承によって語り継がれ、その過程で世に広まり、怪異は形を成す。語られた怪談は、次の語り手によってさらに変容し、進化していく。
 口承による伝承は、情報の伝達過程で変容しやすく、初めの話とはかなり異なる形になることもある。

 人の記憶は不確かであり、語り手が自身の経験を語る際にも、時と場合によって内容に差異が生じることがよくある。
 また、怪談が語り継がれる過程で、語り手はしばしば話の演出や改変を行う。怖がらせるために話を誇張し、エフェクトを追加することも少なくない。その結果、同じ怪談であっても語られるたびに内容は異なる形をとる。

 この変容が続くうちに、元の出来事がどうであれ、それらの怪談はそれぞれが一つの独立した物語として存在し続ける。

 結局、すべての怪談は語られる過程で「語り手が体験者でない実話」に収束する。怪談の本質は、その伝播と変容にある。初めの出来事の正確性がどうであれ、語られ続けることで怪談は人々の心に深く刻まれ、恐怖や不安を呼び起こす力を持つ。その不確実性と曖昧さゆえに、怪談は語り手と聞き手の間で何度も変化し、一層の魅力を放つのだ。


███


◀前話 一覧 次話▶


この記事が参加している募集

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?