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【創作大賞2024】「友人の未寄稿の作品群」6【ホラー小説部門】

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未_わたしの1 のコピー


 わたしには、行きつけの喫茶店がいくつかあります。共通点は一つ、タバコが吸えることです。

 最近の日本では、喫煙スペースが減少し、それに伴って喫煙可能な飲食店も減っています。令和2年4月に施行された健康増進法の改正により、多くの飲食店が「店内全面禁煙」か「喫煙可能」を選択することになりました。喫煙可能な店では、20歳未満が入店できなくなっています。

 「望まない受動喫煙」をなくすという目的から、喫煙者と非喫煙者の住み分けが進んだのは、両者にとって良いことだと思います。そのおかげで、わたしは喫茶店で遠慮なくタバコを吸うことができるのです。

 タバコの煙は、見たくないものをわたしの視界から消してくれます。喧騒や雑踏、現実の厳しさがわたしを取り囲むとき、この一服が安らぎをもたらしてくれます。紫煙がゆらめくと、それが現実から一時的に逃れるためのカーテンとなるのです。

 一口吸うごとに、心の中のざわめきが和らぎ、目の前の嫌な現実がぼんやりとした影に変わっていきます。失敗や後悔、ストレスや不安。それらすべてが煙に包まれて、しばしの間だけでもわたしの頭から離れていきます。

 この喫茶店での一服は、わたしにとって小さな逃避の時間です。誰にも邪魔されることなく、自分自身と向き合う時間。コーヒーの苦みとタバコの香りが混じり合う瞬間、わたしはようやく心の中の静寂を取り戻すことができます。

 もちろん、煙が消えるとともに現実は再び目の前に現れます。

 また一本、また一口、煙を吸い込むと。現実の厳しさが薄れていき、心に一瞬の平穏が訪れます。タバコの煙が視界から見たくないものを消し去ってくれるその瞬間、わたしはほんの少しだけ、自分自身を取り戻すことができるのです。



 道端で、片方だけの軍手を見つけました。その軍手は少し汚れていて、使い込まれた様子がありました。

 軍手の持ち主は、どんな人だったのでしょうか?庭仕事をしていたおじいさんかもしれません。建設現場で働く職人さんかもしれません。あるいは、引っ越しの作業員さんかもしれません。

 ふと、もう片方の軍手はどうしているのだろうかと考えました。きっとそれは、片方だけでは使い物にならず、捨てられてしまったのでしょう。家の隅に置かれることもなく、役割を果たせないままゴミ袋の中へと消えていく姿を思い浮かべると、少し切ない気持ちになります。

 特に価値があるものではないかもしれませんが、使い古された様子を見ると、何度も使われてきたことが伺えます。その持ち主にとっては、日々の労働を共にした道具であったことは確かです。

 忙しい日々の中で、わたしたちは多くのものを失くしてしまいます。それは物理的なものであったり、心の中の何かであったりします。わたしたちはいつも何かを探し、何かを失いながら生きています。

 軍手は、片方だけではその価値を失い、捨てられる運命にあります。捨てられて、新しいペアが買われることになります。片方を失った瞬間、軍手の役割は終わり、次の軍手がその役割を引き継ぐのです。この運命は、わたしたちが日々失っていくものに対する、無情な現実を映し出しているようにも感じます。

 失われた片方の軍手と、残されたもう片方の軍手。その孤独感は、わたしたちが時折感じる孤独とも重なるように思えます。わたしたちもまた、どこかで失われた何かを探し続けているのです。もう片方の軍手がどこかで再び持ち主に出会うことは決してありません。

 軍手が片方だけ道端に落ちていた、何気ない光景でした。


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