退職した今だからこそ言える、誰にも話したことが無かった、葬儀の仕事に就いた理由
葬儀の担当者として仕事をしていた時、受付に行った喪家の人からよく尋ねられたことがあります。
「どうしてこの仕事をするようになったの?」
これは葬儀の仕事をしていて、本当によく尋ねられました。葬儀の担当者として仕事をしていたのは、25歳~29歳の頃。お客さんの多くは、50代~70代の方です。自分よりも圧倒的に若い方が、自分でもそんなに経験のない葬儀の仕事をしているのは、とても意外に映ったのかもしれません。
それに対する答えとしては、このように答えていました。
「就職活動していたら、採用されたのが葬儀社だった」
「大切な人の最後を見送る仕事に興味があった」
「悲しんでいる人たちの力になりたいと思って、この仕事を選んだ」
このような答えを用意して、答えるようにしていました。
しかし、僕が葬儀の仕事を始めた理由は、最初はもっと別のところにありました。
もちろん、上記の理由が全くの噓というわけではありません。
就職活動していて、採用されたのは事実です。
過去に参列した葬儀の経験と、その時にお世話になった葬儀社の社員さんの姿を見て、大変だけど素晴らしい仕事だと思っていました。
実際に仕事をしている中で、喪家の人々から「お世話になりました」「ルトさんのおかげで、無事にお別れができました」「最後まで本当にありがとうございました」と感謝の言葉を頂いた時には「役に立てて良かった!」と本心から思ったものです。
退職した今でも、葬儀の仕事をしていたことには、誇りを持っています。今後就職する新たな仕事も、葬儀関係の仕事をしたいと思っています。葬儀業は、誇りを持てる素晴らしい仕事です。
ある意味で、これらの理由も葬儀の仕事を始めた「本当の理由」でもあります。
では、葬儀の仕事を始めた「最初の理由」とはなにか?
これまで誰にも話したことが無かった、僕が「葬儀の仕事を始めた最初の理由」についてお話したいと思います。
恋愛や結婚と無縁になれると思った
最大の理由が、実はこれだったりします。
葬儀社で働いていれば、恋愛とも縁談とも一切無縁になれて、生涯を独身貴族として過ごせる。そう思ったのが、葬儀の仕事を始めた最大の理由でした。
「恋愛や結婚と無縁になるため!?」
「頭がおかしいんじゃないのか!?」
「20代という貴重な若い時期に、どうして恋愛や結婚を自ら遠ざけるようなことをするんだ!?」
「どうして葬儀の仕事を始めることが、恋愛や結婚を遠ざける理由になるのか?」
読んでこう思った方。それはごもっともです。
20代の若さで、恋愛を謳歌したり、結婚を意識して行動する。それはごく自然なことだと思います。それを自ら遠ざけるようなことをするなんて、どうかしているとしか思えない。それは実にごもっともで、僕の理由をおかしいと考えるのも分かります。
しかし、僕は恋愛や結婚について、全くと言っていいほど「いいイメージ」というものを持っていません。
もちろん、昔からこんな考え方をしていたわけではありません。
モテたいと思っていた時期はありましたし、彼女がいることに憧れて、積極的に行動したこともありました。いずれは結婚して家庭を持つだろうという気持ちは、漠然として存在していまして、疑わなかったものです。
しかし、現実は残酷でした。
過去に振られた経験は山ほどありますが、告白された経験は全くありません。告白すればキモがられ、告白したことをあちこちで喋られ、格好のイジメの材料として使われました。
同じ時期に、家庭内でも問題が起こりました。両親が離婚一歩手前の状態になったのです。結果的に、離婚することはありませんでしたが、家庭でも学校でも安心して過ごせる場所はありませんでした。唯一安らげたのは、親友と遊んでいる時か、ネットに没頭していた時ぐらいです。
さらに悪いことに、ネットとリアルで教わった女性や恋愛についての真実や実例をいくつも目の当たりにしていきました。
具体的には、次のようなものです。
「誠実で優しい男性はモテない」
「暴力的でDV気質のある男のほうがモテる。DV夫や彼氏から女性が離れていかなかったり、女が途切れないのがその理由」(←実際、不良やチャラい男の方がモテている事実をいくつも見てきた)
「一途だと思っているのは自分だけで、女性にとっては余裕が無いと認識され、気持ち悪い印象しか残らない」
「非モテな男に対して、女性はどこまでも無慈悲」
「浮気したorされた話」
「不倫の話」
「托卵やそれを正当化するような女性の発言」
「男が托卵された話」
「他の男に女を寝取られた話」
「非モテコミット」
「マッチングアプリは一部のモテる男が女を食い散らかすためのもので、それ以外の男は金を出すだけの存在」
こうしたものを見て行くたびに、僕はだんだんと、恋愛や結婚についていいイメージを持てなくなっていきました。こうして学生を終えるまでに、彼女ができたことは一度もありませんでした。
それはフリーターを経て、就職活動をしてからも変化することはありませんでした。
「所詮、恋愛も結婚も自分には関係のないこと」
「これまで誠実で優しい人になろうとしてきたけど、そんなことは意味がなかった」
「女友達はいたけど、彼女はできなかった。『いい人止まり』だったのが、全てを物語っている」
「これから自分に声をかけてくる女性は、きっとこれまで好き勝手に過ごしてきて、安定した生活をしたくなったから声をかけてくるのだろう」
「そんな好き勝手に生きてきた女性と結婚なんかしたら、真面目に生きていた自分は馬鹿を見るだけじゃないか!?」
「浮気や不倫されたり、自分がしたりする可能性だって、ゼロじゃない」
「離婚になったら、慰謝料支払いの問題が出てくる。どうして分かれた相手に、稼いだお金を支払い続けないといけないのか?」
僕は完全に擦れてしまいました。女性恐怖症ともいえるかもしれません。女性は怖いから、関わり合いは避けたいと思うようになりました。
そして、このような考え方をするようになります。
「もしも今後彼女ができそうになったり、結婚話が出てくるようになったら大変だ。こうなったら相手の方から、そんな話が出ないような仕事を選ぼう。相手が仕事を知ったら『そういう仕事はちょっと…』と思ってくれそうな仕事を探そう」
完全にひねくれています。そんな理由で仕事を探すなんて、おかしいとしか思えません。
そうして探したのが、葬祭関係の仕事でした。
「死体を扱う仕事をしていれば、恋愛とも結婚とも無縁になれるはずだ」
僕はその気持ちで就職活動を行い、見事葬儀社に就職して4年間、葬儀社で働きました。
事実、葬儀社で働いていた4年の間、色恋沙汰とは無縁の日々を過ごせました。
今も残っている、葬祭関係の仕事に対する偏見
ほとんど無くなりましたが、今も葬祭業の仕事については、偏見や差別が残っていると僕は思っています。
そんなはずはないと思う方は、2008年の映画「おくりびと」を観てください。もっくんこと本木雅弘氏が演じる納棺師の主人公が、納棺師になったことを知った周囲の人から「もっとましな仕事をしろ」と言われ、妻からは「汚らわしい仕事はやめて」「触らないで、汚らわしい!」と言われ、さらには実家に帰ってしまうシーンがあります。
現代でも死を扱う仕事や現実に、嫌悪感や拒否感を示す人はいます。
もちろんこれを非難したりはしません。誰でも少なからず死は「けがれたもの」だと感じますし、それでお金を得ている人に対して「けがらわしい」と感じる人が出てくるのは止められません。
だからこそかつては、被差別部落民が葬祭業を生業にしていたり、葬祭業の従事者の多数を被差別部落出身者が占めていた地域もありました(今がどうなのかは分かりません)。
これを部落産業ともいいます。
僕は死に対する「けがれ」や「恐れ」などは、ほとんど持っていません(持っていたら、葬儀の仕事はできない)。
しかし、そうでない人だっています。葬儀を仕事にしている人に対して、いいイメージを持っている人がいるのも、事実です。
その一方で、まだ良くないイメージを持っている人も居ます。
「昔は葬儀社と坊主が、ウチらが出したお布施を半分ずつしていたらしいじゃないか。今もそうなの?」
この言葉は、葬儀の現場で僕が本当に言われた言葉です。
こういう良くないイメージや偏見がまだ残っているのが、現実なのです。
さらに入社前の確認で、こんなことも問われました。
「ルトくんのご両親や親戚の中で、葬儀の仕事をすることに対して、難色を示している人はいる? それともいない?」
ここでもう一度、映画「おくりびと」の妻のセリフを思い出してください。
「汚らわしい仕事はやめて」
「触らないで、汚らわしい!」
だからこそ、恋愛や結婚とは無縁になれると思い、この仕事を始めました。これが、葬儀の仕事をした本当の理由です。
そして少しずつですが、葬儀の現場で働いていくうちに、誇りを持てる仕事になっていきました。
葬儀の仕事は、本当は素晴らしい仕事です。究極のサービス業と言われるだけあり、大変な仕事なのも事実です。
しかし、だからこそ感謝された時の気持ちは、格別です。
これを読んで葬儀の仕事に興味を持つ人が、1人でも出てくれると嬉しいです。
それではっ!
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