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流しの看護師になったワケ


2021年〜フリーランスの看護師になった。
就職するまでそんな働き方があるのを知らなかった。

今となっては当たり前に思っているけれど、出会う人には「なんだそれ?そんな働き方があるのか」と言われるので世間ではまだまだ流しの看護師は定着していないらしい。



私はアートイベントや展示が好きで、休みになったら飛行機に飛び乗っては徳島から東京へ遊びに行っていた。でもだんだん移動費を払うくらいなら東京に住んだほうが安くつんじゃないか⁇と思うようになった。

(徳島には阿波踊り空港という空港があり、JALのみが発着していて東京へは早割りだと片道10000円くらい)

(そもそも最初の就職先を東京にすればよかったんじゃないかと思う方もいらっしゃるかもしれないが、奨学金などの関係でそれは無理だったのです。)


まあそんなこんなで転職を考えるようになったものの、そのころはまだフリーランスの事を知らなかったため正社員での再就職を考えていた。


しかし


・東京に知り合いがそんなにいる訳でもない
・行く先の病院はどうやって見つけよう?
・就職先が自分と合わなあったら?(何ヵ所も転々と就職先を変えるなんてあんまり印象良くないし、現実的にすぐ辞めるなんて難しいよな…)


なんてぐるぐる考えては動けずにいたのだ。



そんな時にちょうど職場で''応援ナース''という肩書きの人に出会った。



話を聞いてみれば、6ヶ月ほどで全国の病院を行ったり来たり出来るというのだ。

しかも
・高収入(50万以上可能)
・家電付きアパート完備
・引っ越し代、赴任費用支給
・原則訪問面接なし

な、なんという魅力的な響き、、!

調べてみると
都市圏応援ナース・沖縄応援ナース・北海道応援ナース・離島応援ナースなど 日本全国求人があり、3.800人以上の利用者がいるとのことでなんと安心感がある。


私は旅する人生への扉をたたくことにしたのだ。


私が出会った流しの先輩たちは旅が好きで身軽な人が多かった。

何ヶ月か日本で働いては、お金を貯めて海外にバックパックで旅に出る人や山が好きで季節に合わせて行き先を決める人、合間でいろんな仕事をする人などいろんな人がいた。

なんて素敵。仕事のための人生ではなく、楽しい人生のための仕事をしていた。

(どの畑でも、え?この人いつ家帰ってるの?職場に住んでるの??みたいな人はいるんじゃないかと思う。)

転職決めたときはすごく不安で、正社員の先輩看護師には外に出たらギャップを感じるぞ!なんて脅されたりもした。

本当に自分はやってけるのか、やっぱり慣れたところにもう少し居て、いろいろ勉強してから…なんて足がすくんだりもした。


けれど、身軽でキラキラと生きている人を見て感化されない訳がないのだ!
足を踏み出してダメだったらその時考えよう!
いったれぇええい!うりゃあああ!

とまぁ、バンジージャンプを飛んだわけです。



飛んだ身として一言伝えたいのは、飛ぶ勇気も必要

ということである。
私はあの時飛んだ日から人生第2章だと思っていて、足を踏み出して本当に良かったと思っている。


それからというものの、全国の旨い酒と肴を求めて漂流する旅が始まったのであった。



ナースパワー

▶︎▶︎▶︎to be continued


次回

【神戸に流れ着き憧れのモデルさんに出会えた話】





#流しの看護師 #看護師 #ナース #フリーランス #フリーランスナース #東京 #徳島 #転職 #流しの看護師から #起業 に至るまでの話


〜RUTEN はじめました〜
まだまだ手探り中ですがよければ新しい冒険にお付き合い下さい。

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RUTEN

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