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あくびの隨に 20話

前回

 陽が落ちて、辺りがすっかり宵闇に満ちた頃。
 数良かずらがどこからか持ってきた握り飯で夕食を済ませ、三人は屋根裏で時を過ごしていた。
 床に適当に置かれた提灯は、数良が下からくすねてきたもの――と本人談だが、実際は彼女のために用意されたものなのだろう。
 数良は頬づえをついて床で横になり、じっと瞼を閉じている。
 明かりに照らされた横顔は幼い少女そのもので、穢れを知らない無垢と言われても、何ら疑う余地はなかった。

「……寝物語ではないが、話を聞かせてやろう」

 囁くように、柱に背を預けていたいねが切り出してくる。
 よこしまなる蛇によって、眠ることを許されない逸流は、頷きながら相槌を打った。

「うん。どんな?」
「神も夢を見ることがあるのだ」

 今まで眠った姿を見せたことのない稲が、そんな冗談のようなことを言い出す。

「ぬしにも既知だろうが、そも神が眠り続けるのは邪なる蛇を封じるためだ。余分な力を消耗せぬように、活動範囲を最小限に抑えている。されど眠りの合間に神は夢を見る。それはこの留包国で起こる先の未来であり、来たるべき現実でもある」
「はあ……」

 腑に落ちない様子の逸流に、稲は身近なものでその現象を説明する。

「例えば、ぬしがこのあと、そこの提灯を消す未来を見るとしよう。さすれば、この未来に到達した時点で、ぬしは提灯を消すのだ。これは覆ることのない確定事項。外部より異なる刺激を与えぬ限りは、その未来の到来を防ぐことはできぬのだ」
「予言とか、未来予知みたいなものか?」
「然り。そして神の予測は絶対だ。仮に人類の滅亡を見通したとすれば必ずそうなろう」
「それは、ちょっと……」

 ぞっとしない話に、逸流はうすら寒いものを覚えた。

「――なんか、聞いたことあるなそれ」

 と、横になっていたはずの数良が、ふとして口を挟んできた。
 上体を起こし、稲の話題に興味が湧いたように、話を持ち出してくる。

「昔の人は、神様に良い夢さ見てもらうために、いっぱい信仰したそうだぜ。そうすりゃ、神様の見た良い夢が現実に反映されるからな」
「ほう、よく知っておるな。そなたの言うように、かつては事ある度に祭事を催して興に準じていた。それが神に影響を与えたかと言えば答えは否だが、少なくとも負の感情を糧にする邪なる蛇に、余分な力を与えぬことには繋がった」
「でも今の神様は、糞みてぇな夢ばっか見てんだろ? だから世の中こんな腐って、誰も心から笑えなくなっちまったんだよ」
「ふむ……まったくもって、その通りやもしれん」

 稲は笑うように首肯していた。
 別段、未来が見えるからと言ってそこに干渉できるわけではない。仮に神様が酷い夢を見たからと言って、それを八つ当たりされては堪ったものではないはずだ。
 もっとも、稲がそれを気にする素振りはなかった。

「なれば、そなたが不幸であるのも神のせいか?」
「え……いやいや、そんなこった思ってねぇよ」

 稲の何気ない追及に、数良は俯きがちに答えた。

「そりゃ、自分は裕福じゃねぇ。けど、仮に自分の家に金がありゃあ、そいつは親の代からあるってもんよ。そんで親が金なんて持ってたんなら、そもそも自分はこの世に生まれちゃいねぇんだ。自慢じゃねぇけど、おっ母は桐之邸の人気者だったんだぜ」
「桐之邸、か」

 五大光家ごだいこうけに繋がるかもしれない話題に、稲が敏感に反応を示した。

「そなたのこと、よければ聞かせてはくれぬか?」
「稲、それはさすがに……」

 まだ子供の数良の口から話させるには、些か荷が重すぎる内容だ。
 逸流は苦言を呈するが、数良はさほど深刻な顔をせず、世間話でもするように身の上を語り出した。

「構わねぇぜ。つまんない話になっけど、おっ母は桐之邸でずっと客の相手してたんだ。でもあそこ、赤ん坊できると追ん出されるだろ? だから中には、最低の選択取る奴もいんだけど、おっ母はちゃんと自分を産んでくれたのさ」

 深い感謝を覚えるように、数良は続けていく。

「でも街じゃ、てめぇの食費と献上金で手一杯で、餓鬼を養える奴なんざ少ねぇ。だから知り合いのつて辿って、行き着いたのがこのおんぼろ長屋ってわけさ」
「それで下の人たちは数良のこと何にも言わないんだ。……ん? 知り合いなら、どうしてこんな隠れ住むような真似を?」
「いやな。自分を預けて、おっ母は元の生活に戻っちまったんだが、しばらくは会いに戻って来てくれたんよ。でも自分が七、八歳のときに、ここの大家は自分を適当な廓に連れてきやがったんだ」
「え……そんな歳で……」

 逸流は素直に驚くが、稲は落ち着かせるように補足する。

「年端も行かぬ者は、禿として下働きをさせられる。客の取れる年齢までな」
「……なんだか、気分が悪くなる話だ」
「けっ、それがこの街なのさ。でもこの長屋も、その頃は実入りが少なくてな。自分の飯代まで手が回らなかったって聞いた。だからそのことについちゃ、もう責める気はねぇ。あんな糞溜めみてぇな場所、こっちから出てってやったぜ。……でもな、自分がどうしても許せなかったのは……おっ母に、嘘つきやがったことなんだ」

 拳を握り締め、数良は悔しさが滲むように唇を噛んだ。

「自分が死んだって、ここの連中はおっ母に吹き込みやがった。どうせ廓からは出て来られねぇだろって決めつけてたのさ。だから自分がこの長屋に戻って詰め寄ったとき、あいつらはもうおっ母がここには二度と来ねぇって言いやがった。当然だよな。死んだ奴、探す馬鹿なんざいるわけねぇ」
「数良……」
「おっ母がどこに行ったかは大家も知らなかった。自分は泣きながらそこら中走ったけどよ、こんな広い街で見つかるわけねぇわな。それ以前に、おっ母がまだ生きてるかどうかさえ、分かったもんじゃなかったんだからさ」
「……肉親との別れか」

 逸流と稲は、思い思いの情をこの場で抱く。

「でもよ。しばらく街をふらついてから、自分の足はふらりとこの長屋に戻って来ちまった。ここにいれば、またおっ母が会いに戻って来てくれるんじゃないかなんて、夢みてぇなこと考えちまってよ……」

 数良は床板を軽く叩いてから、髪に差していた簪を抜く。
 これを強く握り締めて、数良はその肩を震わせた。彼女の小さな体躯に収まりきらない感情の揺らぎは、子供なら抱いて当然のはずの寂寥。
 大家が彼女にこの場所を貸し与えているのは、贖罪の気持ちがあるのかもしれない。
 おそらく母との唯一の繋がりである簪を手に、数良はゆっくりと面を上げた。

「どうしてだろうな。こんなこと、誰にも言ったことなかったのによ。なんか、おのれらになら話すのも悪かねぇって、そう思っちまったんだ。馬鹿みてぇだろ?」

 いっそ笑い飛ばして欲しいと、数良の奥底が垣間見える。
 しかし逸流は、そんな彼女の心を蔑ろにできる性格ではなかった。

「ううん、そんなことない。数良みたいな良い子が、弱音を吐けない方がおかしいんだ。僕たちじゃ根本的な解決はできないけど、でもそれで少しでも君の気が休まるのなら、こうして数良と出会えた甲斐があるよ」
「な、何だよ……ほんとに気色悪いと、寒気すっからやめてくれや」
「え? 今の、そんな気持ち悪かったかな、稲?」
「さてな。ぬしのお人好しが、実に愚かしいことしか私は与り知らぬ」

 数良と稲の二人して、逸流の味方はしてくれなかった。
 しょぼくれる逸流に、数良は変わらない憎まれ口を叩きながらも、その表情には、ほんの微かな綻びが見えていた。
 子供なのに、心から笑うことのできない壮絶な生きざま。
 そこに救いとなることはできないが、せめて彼女本来の明るさを引き出せるのなら、それも一つの助けだろうか。数良は偽善と罵るかもしれないが、少なくともそこに残されていた笑みだけは本物だと、逸流は信じてみたかった。

「……やはり惹かれることは運命か」

 何か呟く稲をよそに、話し疲れたように数良は再び身体を横にした。

 しかし、それからほどなく。

 ふとして、数良はきょろきょろ首を振り始める。
 床に置いていた提灯を手に取り、不意に壁の一枚の板を外した。
 真っ暗な夜闇は提灯の明かり程度では映しきれないが、数良が気にかけていたのは景色ではなく別の何か。

「この臭い……っ!」

 数良は素早くその何かを察知すると、床板を取り外して下に降りて行く。
 二階で寝ていた男が何事かと騒ぎ立てていたが、お構いなしに数良は階段を踏み鳴らしていた。どうやら彼女の人並みならざる鼻は、危険な臭いを捉えたようだ。

「稲、数良を――」
「種を撒く前に消えてもらっては困る。ぬしよ、ここはあとを追うべきぞ」

 逸流が同意を求める前に、稲も数良を追う判断をする。
 二人は屋根裏を抜け出して、すぐさま数良を追って行った。

【続】


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