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あくびの隨に 19話

前回

 街中の長屋の一つに、逸流たちは裏口から侵入を果たす。

 曰く、そこは数良が無断で利用しているねぐら。
 表にいる家主に気取られないように階段を上り、煎餅布団の引かれた二階に出た。そこからさらに天井の板を手近な棒で開けると、数良かずらは身軽に跳躍して屋根裏に登った。
 逸流いつるはやや戸惑いを覚えたが、いねが上がるのを手助けしてから自分もそこに入っていく。

 屋根裏は狭い造りで、すぐそこに柱や斜め屋根が待ち受けた。見通しは利かず、頭をぶつけないように注意しながら、埃っぽい梁の隙間に何とか身体を収納する。小柄な数良は不自由なく座ると、壁の一部の板を外して内部に明かりを取り込んだ。そこでようやくお互いの顔が確認できる。
 ようやく落ち着いて向かい合う一同。逸流は間を執り成し、手短な紹介から入った。

「えっと稲、この子は数良。稲を探してる間に会った子だよ」
「ふむ。ぬしは私とおらぬ間に、おなごを誑していたのか」
「冗談きついって。それで数良、彼女は稲。僕と一緒に旅をしてるんだ」
「ふーん。遊女じゃねぇのは分かってたが、おのれの連れだったとは意外だ。てっきりまた、とぼけたお人好しでもしてんのかと思ったぜ。つーか、その稲ってぇのもぜんぜん匂わねえけど、おのれらやることやってねえのか?」
「子供のくせに変なこと言うなって。だいたい、匂いって何だよ」

 逸流は数良の言動を理解に苦しみつつも、改まって彼女に礼を告げた。

「まあとにかく、助けてくれてありがとう。数良が来てくれなかったら、僕たちどうなってたか分からなかったよ」
「構いやしねぇよ。そこら辺ふらついてたら、たまたま逸流が追われてんのが目に入ってよ。他の野郎だったらどうでも良かったんだが、おのれみてぇなとんまに、うろちょろされてっと、こちとら商売上がったりよ。だから自分のために、仕方なく手ぇ貸してやったんだ。そこんとこ、ぜってぇに誤解すんじゃねぇぞ」

 荒っぽい口調で念を押してくるが、要するに数良は逸流を見過ごせなかったらしい。
 当人は親切心からではないと、つっけんどんに顔を背けている。しかし、それが照れ隠しであることは傍から見ても明らかだった。

「私からも礼を述べておこう。数良とやら、そなたのおかげで助かった」
「なっ……だ、だからそういうの、いらねぇってんだよ」

 数良は頬を赤くして否定している。お礼を言われ慣れていないようだ。

「そ、それよりも、だ。おのれら分かってんのか? さっきのありゃあ、桐之邸の屑どもだ。あんなんに目ぇ付けられた日には、まともに表歩くこともできねぇぞ」

 こちらの心配をしてくれるように、数良は親身に身を乗り出す。
 気遣いは非常に有難かったが、逸流はふとした疑念を呈した。

「あれ、でも君は普通に街を出歩いてるよね? 指名手配されてるっぽいのに」
「自分のこった良いんだよ。自分はこの街の暮らし方をよく知ってんが、おのれらは街の外から来たんだろ? どこに抜け穴があるとか、どいつに金握らせりゃ見逃してくれるとか、そういった常識を持ってねぇんだ。そして明日辺り死体で見つかっちまっても、誰も気に止めやしねぇ。そんな悲しい最後なんざ、迎えたかねぇだろうがよ」

 己の目でそれを見てきたように、数良はこの街の現実を教えてくれる。
 彼女の真に迫った言葉を受けて、逸流はよくよく彼女が物取りをするような人物に思えなかった。その乱暴な口調との隔たりにも違和感を覚える。
 屋根裏に住んでいることも気にかかり、逸流は少しだけ数良に踏み込んだ。

「数良は、どうしてそんなに僕たちのこと気にしてくれるんだ? やっぱり君みたいな子が、人の物盗むなんておかしいよ。何か事情があるなら話だけでも聞くけど」
「まぁた、こいつは抜かしやがって。おのれの目が節穴じゃねぇなら、自分のどこが真っ当な人間に見えるってんだ。こんなどぶ鼠みてぇな暮らししてるからには、他人を蹴落とさなきゃやってらんねぇんだよ……まぁ、匂いで人は選んでるけど……」
「……さっきも言ってたけど、匂いって?」

 逸流が疑問を訊ねると、数良はぴくりと鼻を動かした。

「そうたいした話でもねぇ。自分は昔っから鼻が利くんだ。例えば、逸流からは女の匂いがしないし、稲からは男の匂いがしない。こんな街で、そういう輩はまともじゃねぇんだよ。色に溺れず、畜生みてぇに発情しない真正の大馬鹿。他人を不幸にするぐれぇなら、自分を貶めるような、現実の見えねぇ人の良すぎる連中なのさ」

 どこかその在り方に焦がれるよう、瞳の奥を輝かせる数良。けれどその口から溢れ出るのは、悪態ばかりだった。

「でも自分は、そういうんが一番でぇ嫌いなんだよ。他人を幸せにしてやって、悦に浸ってるつもりかっての。世の中、綺麗事じゃ食っていけねぇんだ。やっぱそういう馬鹿は一度しっかり痛い目見ねぇと、そのどたまに刻まねぇだろ。この掃き溜め以下の世で、生き抜くために本当に必要なのは、心の醜さだってのをよ」

 彼女なりの現実の受け止め方は、誰にも批難できないものだった。時代に合わせた人々の生き様に、恵まれた現代人の逸流が口を挟める余地はない。
 しかし、どのような場所であろうと人の道を踏み外せば、それこそ畜生以下の所業。
 逸流にとって、その在り方を認めることだけはできそうになかった。

「それで僕のこと狙ったわけか。まあ僕はこの街のこと知らないし、やりたくないことやってる人のことを、とやかくは言えない。でも自分が不幸だからって、そこに他人を巻き込もうとするやり方だけは駄目だと思う」
「へっ、おのれに理解させようって気もねぇよ。のうたりんらしく、好き勝手に偽善を続けりゃ良いさ。そんで死んでも、今度こそ自業自得だしな」
「そうかもしれない。でも君も似たようなものじゃないか?」
「あぁん? 急に素っ頓狂なこと言ってんじゃねぇぞ」

 数良は猫のような目を、細くさせる。
 隣で稲がやれやれと首を横に振る中、逸流は己の考えを放った。

「思ったんだよ。君が根っからの問題児だったら、こんなに僕と話したりしない。本当に悪い奴ってのは、さっきの二人みたいに問答無用だ。会話が通じる時点で君は悪党に成りきれてないようだし、この家の人たちは君の出入りに気づいてるみたいだった。見て見ぬふりしてるのは、数良が良い子だって知ってるからだろ?」
「なっ――ふ、ふっざけんのも大概にしろっての!」

 虫唾でも走ったように、数良は勢いよく立ち上がった。だが彼女がいくら小柄と言っても天井まではすぐそこだ。我を忘れた者の末路は非常に分かりやすい。

「あいでっ!」

 脳天をぶつけ、頭を抱える数良。その場で小躍りしながら、再び座り込んだ。
 この騒ぎで階下の者が反応しないのも、やはり数良の存在が認められている証だろう。

「……ったく、おのれのせいで災難続きだわ。瘤になったら、責任とらせっぞ」

 恨みがましく数良は逸流を睨むが、そこに稲が横やりを入れてきた。

「虚勢を張るのはよいが、この弁論はそなたの負けだ。こやつは度を超した、大うつけ。一撃で舌を切り落とせなかった時点で、すでに勝敗は決しておった」
「あんだよ、くそ……これだから人の良すぎる奴は、はた迷惑なんだ」

 数良は呆れと言うよりも、観念したように肩から力を抜いた。

「下にいる奴らだってそうだよ。自分のことなんざ、とっとと見放しゃ良いもんを、いつまでも気にかけて来やがる。こんなみなしご救ったとこで、見返りなんざあるわきゃねぇのにさ。下手すりゃ、恩を何倍もの仇にして返すかもしんねぇってのに」
「みなしごって、孤児のことだっけ。じゃあ、今までずっと一人で?」

 逸流が抱きかけた憐憫の情を、数良はすかさず一蹴した。

「やめろ、同情なんざ欲しくもねぇわ。ったく、どいつもこいつも、癪に障りやがる」

 むしゃくしゃしたように、数良は髪を掻きむしる。

「ちくしょう、腹減ったわ。何か食いもん取ってくっから、おのれらはここで待っとけ」
「あれ、まだここにいて良いのか?」

 逸流が真っ当な指摘を入れると、数良は失言でもしたように口を覆った。

「ち、違ぇからな。数刻後に、野暮ったい死体が出たなんて聞きたかねぇだけだ。だから街を出てくんなら、見張りの手薄な夜中にしとけってだけのこった」

 念を押すように二人を言い含めて、数良はいったん屋根裏を降りて行く。
 どこまでも悪ぶれない彼女に、逸流は少しだけ微笑ましさを覚えた。

【続】


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