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あくびの隨に 26話

前回

 振り向くとそこには司垂しだれの兄、柳之家嫡男の姿。
 直前にあれだけの口論を聞いていた逸流いつるは、思わず身構えそうになる。
 しかし、ようやく視線を地上に戻した司垂は兄を視界に入れると、穏やかな表情でそこに問いかけた。

小生しょうせいを斬りに参られたのですかな?」
「ふん。それもやぶさかではないが、われがここに来たるは天上の光を見収めたゆえだ。お前とともにある男女が、その原因とみて取れるが……」

 司垂の兄は逸流といねを一瞥だけして、妙なものでも見たように司垂へ視線を戻した。

「それよりもお前、どこか憑き物が落ちたような顔をしている。あの豪雨に晒されて、風邪でも引いたのではなかろうな」
「戯れは頭皮の薄れだけに留めていただきたい。小生は何も変わってはおりませぬよ」
「口の減らぬ弟だ。しかしお前は昔から口だけは達者だったが、今は底抜けに下手であることに気付いているか?」
「そうであろうか? いや……兄者がおっしゃるのだから、なにぶんそうなのであろう」

 司垂は非常に落ち着いた様子だった。
 在りし日の記憶を呼び起こすように、兄に対してある追認を願い出る。

「一つ。兄者に訊きたきことがありますれば、これを拝聴することは可能か?」
「……構わぬ。お前の顔が見納めとなるやもしれない時節が来たのだ。気の済むまで問いを重ねることを許そう」

 司垂の兄は町で口論していたときとは別人のように、真剣に耳を傾けていた。

「それでは、小生がお訊ねするは真に一つ。兄者と父は――あの兄弟に死罪を言い渡す折に、その若さを微塵も考慮なさらなかったか?」
「その件であれば論議は尽くした。我も父上も、処断に際し手心を加えることなく沙汰さたを言い渡したのだ。これを理解せぬは、お前の不徳の致すところである」
「……あのときから、小生は頭に血が上るばかりであった」

 兄の言葉に、司垂はたしかな感想を漏らした。

「しかし、今ならば理解し得る。兄者も父も、その心根は優しき御仁。あのとき、すりの兄弟を裁けと声を掲げるは民衆であり、そこにお二人の意が介入することは許されなかったのではなかろうか?」

 問われる本質は、きっと身内にしか分からない感覚。
 司垂は兄が本心から処刑を望んでいなかったことを見抜いたのだ。
 兄は僅かに反論しかけて、ずっしりと肩を落としていく。

「……柳之家を守るために、我らは民衆の味方であり続けなければならん」
「お家など、取り潰されたとて如何様いかようなものか。肩書なぞなくとも、人は生きていける。あの兄弟も……これから、生きられるはずであった……」

 司垂は失われたものに心を痛めるが、それを諭すように兄は続けた。

「民衆を敵に回せば、おそらくこの国は滅ぶ。驕るつもりはないが、我ら一族は腐土の権現ふどのごんげんより長らく彼らを守り抜いてきた。時には不平不満を買うこともあったが、人の上に立つ者なくば、人という生き物は繁栄しない。あまりにも脆弱なその生き方を、お前はその目で嫌というほど見て来たであろう?」
「その上の犠牲ならば、どれほどの非道も許されよう、と」
「我はこれを確固たる真実としてお前に伝えるだけだ。お前の心など考慮はせぬ」

 一度対立した平行線に終わりはない。
 決して交わることのない思惑が、彼ら兄弟を結ぶ縁となっているのだ。これに口を挟むことは、第三者の何者にも許されないだろう。

「……兄者。小生はこの町を出て行く所存」

 そのとき、司垂は心根のしこりを失くすために自らを曝け出した。

伝聞屋でんぶんやという夢を、小生は――あっしは見てみたい」
「何?」
「この世の苦楽をこの目この耳で知り、それを浮世に生きる人々に伝えたいのさ。だから最後に兄者の本心を推し測りたかった」
「……それは」
「仮にあっしを斬りたいのなら、それも受け入れるつもりだったが、それすらも兄者は懐に潜めてしまわれて……そこには少しばかり、哀愁を覚えるってもんよ」

 司垂は踵を返すように、墓前に背を向けて歩き出した。
 それを止める言葉を兄は持たず、弟に対し刀を持って身構える素振りもなかった。
 けれど司垂が脇をすり抜けようとしたとき。

「我らもあの兄弟に、まことよわいを重ねて問うた」
「……っ、兄者」

 そのとき司垂は、兄との紛れもない血の繋がりを感じる。

「己の仕出かした過ちを、生きた歳月とともにその身に刻んでいたのだろう。その覚悟だけは感服するに値するものであったと、お前も胸に留め置け」

 司垂が見た兄の横顔は、己と同様に微かな侘びしさを含むものだった。

「父上には、我が責任を持って話しを通しておく。お前はお前の道を生きよ、司垂」
「……忝く存じ奉り候」

 去って行く兄の背中に、司垂は深く一礼をして見送った。
 その別れを見届けた逸流と稲に、司垂はゆっくりと振り返りながら頬を緩める。

「恥ずかしい姿を見せちまって、顔から火が出る思いだわ。それよりも、そちら。五大光家ごだいこうけとしてあっしに何かさせるつもりらしいが、旅に同行でもすれば良いのかい?」
「そなたはそなたの好きに生きよ。種はすでに撒かれた。もはや、私たちが余分に口出しすることもあるまい」

 せっかく見つけた五大光家に対して、稲はそれを断るような台詞を述べた。
 逸流はなぜと問いかけたかったが、押し寄せる眠気が、今にもあくびを伴って口から漏れそうになる。
 せめてあと少しだけ、まともに司垂と会話をしたいと思ったのだが――

「ぬしは無理を致すな。残る道は念願。ここで、ぬしを欠くわけにはいかぬのだ」

 諭すような稲のあやしかけに、逸流は瞼が閉じかけた。

「なんだかよく分からねえが、稲さんてったっけ。そちらにも訊きたいことがある」
「じきに私たちは行く。要件があるならば疾く話せ」
「いやね、そちら逸流さんが持ってるやつ、あっしの見立てによりゃ繚乱季装だよな。それについて、あっしはちょいとご先祖さんのしたためた書物を読んだんだが……」

 司垂はそこで、とある重大な秘密を暴き立てた。

「実はその一節に、引っかかるものがあんのよ。『――五つの光、その全ては芒之家当主によって奪われる運びとなった』ってね。この芒之家ってぇのは言わずもがな、最後に灰之防人かいのさきもりに選ばれた家系だが、稲さんは何か知ってるかい?」

 試すような問いかけに、稲は口を噤んだままだった。
 一拍置いて、司垂は自力で導き出した答えを告げる。

「まっ、要するによ。繚乱季装りょうらんきそうって――今は全部、羅刹らせつが所持してるんじゃねえのかい?」

 薄れる意識の底で、逸流はたしかに羅刹という名を聞き届けた。
 稲は短く息を吐きながら、一転して司垂に問いかける。

「そなたは私たちを信じ切れぬ、と?」
「いんや。元より、あっしは平和な世を夢見る、馬鹿なお二人さんを信じたまでのこと。その正体が物の怪の類でも問題はないさ。なんせ浮世じゃ、腹に一物、手に荷物ってね。誰かし、いろんな事情を抱えてるもんさね。大事なのは、それを信じ抜こうって気概の持ち合わせが、あるかどうかに尽きるってだけのお話よ」

 気持ち良いほどに、司垂は口が達者だった。
 稲はそれを良しと受け取り、力の抜けていく逸流に肩を貸す。
 しかし逸流は、あくびを噛み殺す直前の、ほんの一瞬。

「        ――羅刹」

 何か、途方もない感覚に支配された。

【続】


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