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あくびの隨に 25話

前回

 町外れの林の間に、簡素な柵で囲われた場所があった。
 塚のような土盛りの上に乱立する、無造作な石群。目算だけでもゆうに三桁は超える。
 苔生したり欠けたりと、長く放置されていたとおぼしきこれら、全ての表面に文字が刻まれていた。
 その中でも司垂しだれは手前の方にあった、まだ汚れの少ない二つの石の前に立つ。

「……ある兄弟が、すりの常習であった」

 司垂は弱々しい声で語り始める。

「野外の小汚い藁を寝床とし、道行く者たちから財布を掠め取っていた。何度か小生も言葉を交わす機会に恵まれたが、再三の忠告にも応じず、彼らは犯行を重ねた」

 ぽつり――と。
 一同の前に、暗雲から滴が落ち始めた。

「兄弟は町方に捕らえられ、柳之家の白洲に出される運びとなった。そこで言い渡された沙汰さたは死罪。まだ色も恋も知らぬ身であったにもかかわらず、罪を悔いる機会すら与えられること叶わなかった」

 司垂は深い悲愴を湛えて、墓石代わりの石ころに向けて告解を述べた。

「兄弟の齢は十五と七。十六を超えた者は、大人と同義の処罰を行わなければならない。そして沙汰の直前に、その弟も生まれ年を迎えてしまった」
「裁きを免れ得ぬ年齢に達したということだな。して、そなたはこれを素直に受け入れたのか?」
「否。小生、何度も父と兄者にかけあったが、聞き入れてもらうこと能わず。なれば童顔であった容姿を理由に、未だ十六に達していないと兄弟に口にするよう願い出たが、彼らは頑なに首を横に振った。どのような罪を犯したとて、嘘だけはつきたくないと願う、兄弟の最後の人間らしさだったのだと今となっては身につまされる」

 司垂は自らの掌を見つめ、固く握り拳を作る。
 それと同時に、本格的に降り始めた雨が、彼の心境を表すかのようだった。

「……小生、その生き様に感服した。せめて苦しまぬよう介錯することが、小生に許された唯一のえにしと信じ、この胸の痛みを抑えて処刑場に赴いた。然らば――そこにあった人の業に、小生の身の毛はよだったので候」

 雨濡れる司垂の背中で、柳の家紋が色褪せるように滲んでいく。

「人の本質と一蹴するには余りあり、人ゆえの所業とも呼べる。周知の正義によって執り行われる処刑は、狭き町ではこの上ない刺激だった。抑圧された欲望を曝け出すように、兄弟へ投げられる罵詈雑言の悪辣たるや陰惨の極み。あまつさえ、柵外からこちらを覗き見る血走った無数の眼。筆舌に尽くしがたい光景が、そこにはあり申した」
「……人、か」
「誰も、助けようとさえしないなんて……」
「小生はあの日を境に、首斬りの任を辞することとした。父は多少の理解を示したが、兄者は先ほど、そちら方が往来で望んだ通りである」

 降りしきる大粒に、司垂は両手を広げた。
 雨露の浄化でさえ拭い切れないものに苛まれるように、彼は膝を地につけて墓前に平伏する。己の存在を貶めるように、閉じた瞼が見据えるものは亡き兄弟への償いか。
 逸流は、かぶっていた笠を稲の頭に乗せながら呟いた。

「少し、そっとしておかないか」
「……いや。心が剥き出しとなった今でなければ意味を成さん」

 思うところがあるように、稲は一歩を踏み出した。

「……死者への懺悔か。私も、久しく忘れていたが……」

 稲は呼吸を整えながら、司垂の傍に歩み寄った。

「かつて羅刹らせつは亡くした兄のために、神すらも討ち滅ぼそうとした」
「羅刹……?」

 ぴくりと頭を揺らし、司垂は立ち上がっていく。
 稲を振り返る表情には、どこか疑念と困惑とが入り交じり、彼女という存在にぐっと意識が吸い寄せられていった。

「そちら……誠、何者であるか」
「私のことなど捨て置け。それよりも、この爛れた世において、他者を貶めて得る悦ではない、真の享楽を人々に与えること。人の心根に巣食う悪鬼を知るからこそ、これを照らし払う痛快の伝聞屋でんぶんやとして、そなたはあるべきと私は思うぞ」
「伝聞屋……か」

 感じ入るものがあるように、司垂は語り口を変えながら続ける。

「それってえと、あっしのような喋りで民衆に触れ回れってことかい?」

 無理やり取り繕った体裁は、すぐにその表装を剥がした。

「これは首斬りの鬱憤を発散するために、公私を切り分けて使っていた三文芝居のようなもの。誰かを喜ばせるために語る真似など、小生などには不可能で候」
「そんなことありませんよ」

 逸流はとっさに、司垂の諦念を覆した。

「前に会った貴方は、立派に誰かを笑わせてました。内容は少しあれでしたけど、あの喋りこそが司垂さんの本当の姿じゃないんですか?」
「何度申されようと、小生に心当たりはない。元よりこの時世、諸国を巡り渡ることなど愚の骨頂。他人を笑わせることを生き様にするなど、現実を直視できない馬鹿な人間のすること。どの道、旅などすれば腐土の権現に殺されるのが関の山――いや」

 何かに気付いたように、司垂は逸流と稲を交互に見やった。

「斯様な若き男女が、何故なにゆえこの柳之国やなぎのくにに足を踏み入れること能わった? 武具を持たず、用心棒を雇った様子もなく……」

 不可解を得て、司垂は徐々に胡乱の色を濃くさせていく。
 しかし、逸流の次の言葉は司垂の疑心に大きな影響を与えた。

「明るい未来を作ることを馬鹿って言うなら、僕たちも一緒ですよ。よこしまなる蛇を倒すために五大光家ごだいこうけを探して、結局実際に会えたのは司垂さんだけ。この旅の目的が果たせるかどうかなんて、まるっきり分からないけど……」

 何度も不安に潰されそうになりながらも、逸流の芯は折れずにある。

「でも僕は、ただ黙って待っている運命なんて嫌だ。道の先が見えなくても、その向こう側に必ず答えがある。それが自分の歩いてきた場所に対する、最大限の敬意だから」
「過去に対する、敬意……」

 感情を並べただけの逸流の想いを、司垂は深いところで聞き届けた。
 そこに迫るように、稲からは押しの一手を持ち出される。

「私の測り違えでなければ、種を撒くのもこれで最後ぞ。ぬしには厳しい選択を強いるやもしれぬが、その命尽きるまで助力を惜しまずにくれるな?」
「今さら何だよ。後にも先にも、僕はずっと稲を信じてるって」
「その言葉、しかと受け止めた」

 すっと頭上に掲げられる彼女の右手。
 地上に土砂降りを成す雲の彼方にこれを伸ばし、求めるものは光の柱。

繚乱季装りょうらんきそうが肆の光――〝雨隠あまがくれ〟」

 泣き空を掻き分けて、神の光の導きによって繚乱季装は現れた。
 塚の墓前に舞い降りる、一振りの大鎌。
 ニメートルほどの柄の先には、十字に交差した鋭利な刃が伸びている。
 これらは内側に折り畳まれており、一瞥しただけでは、張りのない骨組みだけの傘のようにも見えた。

「これは、白昼夢か……」

 司垂が驚きを漏らす横で、逸流は稲から呪封符札じゅふうふさつを受け取った。

「鎌の誓約は刈り。しかし此度は、私手ずから極意を示すとしよう」

 稲はそう言うと、逸流に雨隠を取らせる。

「ぬしよ、持ち手を握り締めたまま空に放るのだ」
「空に? ……分かった」

 意図は不明だが、彼女なりの考えを逸流は実行した。
 鎌の重量はそこそこ。少しずしっとくるが、両手が使えるので、持ち上げる動作に支障はなかった。
 逸流は鎌を握り、曇天を見上げた。
 周囲に土の臭いが立ち込め、雨の香りとともに鼻孔を侵食する。
 この独特な臭気は、ここが墓場であることも影響しているのだろうか。全身がずぶ濡れとなり、一同は今し方三途の川でも泳ぎ渡ってきたような装いとなっていく。
 けれど、生者は死者と決して交わることはない。胸を空く穴があったとしても、日々という糧がこれを少しずつ埋めていく。それが前を向いて歩く者の務めであり、振り返った先には何もないことを表す啓示でもあるのだ。
 逸流は濡れ滑る柄に、季力を込めていく。
 人が変わるためにはきっかけが必要なのだ。
 過去に縛り付ける因果を断つために、死を別つ四つの刃が今まさに大空を巡る。

「いけ……っ!」

 下げた両肘を鋭く空へと突き上げると、逸流が放った鎌は変形を兼ねた。
 伸びる柄の関節には、季力で形作られた光の鎖。昇竜の如く曲がりくねって天を衝き、遥か遠くをなお走る。そして雲に迫る直前で静止した雨隠は、鎌の役割を果たす四つの刃が開閉された。蛇腹に飛んだ柄と同様、滴に濡れそぼる白刃も関節部が開き、光の鎖によって四方向に伸ばされていく。
 これらが一定の範囲を掌握して宙に留まると、鎌刃の付け根部分が一気に回転を始めた。
 遠心力を伴いながら、雲を引き裂く無窮の嵐。
 振り回される鎌の形は、まさしく雨を凌ぐ傘のようだ。
 刃の傘は渦巻く強風を生み出し、曇天を激しく押しのける。
 柳之国を覆い隠す灰色の空は、光の回転によってやがて切れ間を見せた。
 飛び散る驟雨は何処いずこに四散。
 淀んでいた景色も、顔を覗かせる蒼穹に澄み渡っていき、雨隠の力は見事その天空を晴らし出した。

「止まぬ雨など存在せん。人の心に影が差すならば、天はそれを照らし晴らす。そなたの陰りは決して消せないものではないのだ」
「雨隠……繚乱季装の、奇跡……」

 司垂は陽光を浴びて目を眇めた。
 役目を果たした雨隠が、蛇腹を畳むように引き戻されてくる。
 逸流はしかとその衝撃を受けながら、身体に引き起こされる疲れを甘んじて受け入れた。

「ふぅ……稲、これで良かったのか」
「ご苦労だった。あとの意思は、五大光家に任せるのみぞ」

 稲は司垂を見やり、彼の心境の変化を待ち望む。
 空を見上げたまま司垂は何も言わず、ひたすらに青空を瞳に宿していた。 
 そこに入り込む余地はなく、逸流もだんだんと眠気が差してきたとき。

「――司垂」

 ふとして、三人の後方から響く男の声があった。

【続】


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