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あくびの隨に 24話

前回

「――あっしに何か御用で?」

 尾行は呆気なくばれてしまった。

 飄々と道端を歩く司垂しだれが町角に姿を晦ましたときだ。
 少し遅れてそこを曲がった二人は、通りから司垂が消えていることに気づく。辺りを見渡したそのとき、すぐ脇にあった蕎麦屋の暖簾から、彼が首をひょこっと出してきた。
 兄という男と会話していたときほど物々しくはなかったが、右手はさり気なく帯刀に乗せている。しかし表情はとぼけた調子で、あとをつけた理由を訊ねてきたのだ。

「えっと、すみません。少しお話を伺いたかったもので」

 逸流いつるがすぐに応じると、司垂は顎に指を当てながら二人を見比べる。
 特に稲の顔を注視しながら、小さく微笑んで手招きした。

「まあ良いさ。どれ、冷やかしじゃ申し訳ねえし、ここの蕎麦でも食べながら事情を聞くとしよっかね。なあに、お代はあっしが持つんで、そちらの懐は気にしなさんな」

 太っ腹にも、司垂は奢りを申し出る。
 話を聞ける機会なのは好都合だが、己を尾行した怪しい輩と平気で食事を交わせる気概に、逸流は大層な懐の広さを感じた。

「この場は誘いに応じるとしよう」

 稲も乗り気だったので、二人は司垂の言葉に甘えることにした。

 蕎麦屋の店内は、玄関口を上がった直後の座敷に、いくつか簡素な仕切りが設けられただけの造り。脇の土間には蕎麦を茹でるための釜戸があり、頭に手ぬぐいを巻いた店主の男が黙々と作業に勤しんでいる。先客の姿もちらほら見受けられ、昼間から酒をかっくらう年寄りたちが、楽しげに談笑を交わしていた。
 座敷に上がると、司垂はすぐにあぐらを掻いて腰のものを脇に置く。そして仲居が注文を訊きに来ると人数分の蕎麦を注文した。
 茹で上がるのを待つ間に、向かい合う一同は自己紹介から入った。
 逸流、いねと名を明かしていき、司垂も己の素性を語る。

「あっしは司垂というもんさ。見たとこ旅人のようだし、そちらさんが知ってるかは分からねえが、これでも柳之家の次男坊で名が通ってる」
「やはりその羽織の家紋。私の見立てに間違いはなかったか」

 稲は得心がいったように頷く。
 侍の装いをする司垂は、どこか厳格で格式ある羽織を着ていた。そこには柳の木をあしらった刺繍が施されている。

「柳之家って……稲、もしかして?」

 逸流が心当たりを確認すると、稲は低く唸った。

「ふむ。五大光家ごだいこうけの血筋は悉く、隠匿の彼方に消え失せたと思っていたが、柳之国やなぎのくにだけはそのよすが途絶えることはなかったようだ」
「あれま。五大光家なんて懐かしい響き持ち出して、そちら歴史家かい?」

 とぼけた顔で、司垂は五大光家の話に興味を持つ。
 逸流は改まって彼に問いをぶつけた。

「あの、僕たちは五大光家を探す旅をしているんですけど、司垂さんはその血を引いてるんですよね?」
「まさしくその通りだが……ふうむ、そちらお二人さん」

 司垂は飄々とした態度の中に、鋭さの籠った眼光を携えた。
 一瞬、逸流はその場で射竦められる感覚を覚える。首筋に刃の切っ先でも添えられたように、非常に危うい気配が司垂から漂ってきたのだ。
 しかし、そんな状況で料理が運ばれてくる。
 ざるに乗った蕎麦と、脇に添えられた葱とわさびの薬味。お膳には椀とつゆと箸が載り、都合三膳がそれぞれの前で直に畳の上へと置かれていく。

「んまあ、まずは腹ごしらえから入ろうかね」

 司垂はすんなりと箸を左手に持ち、薬味を適当に摘まんで蕎麦に乗せる。 
 蕎麦をすくってつゆに入れ、浸しすぎないように、ささっと先っぽを濡らした。そこから、ずずっと豪快な音を立てて、蕎麦を一気にかき込んでいく。

「うん、美味い。ほれほれ、そちらさんも早く食べなよ。風味が逃げちまう」
「あ、はい。それじゃ、いただきます」

 勧めを受けて、逸流も司垂に倣っていった。
 麺を汁につけ、一気に口内へと頬張る。蕎麦の風味がいっぱいに広がるが、麺つゆは現代と少々異なり、薄めた醤油にほんのりと鰹節の匂いが混ざる。葱とわさびを入れて、ようやく食べやすくなる程度には、如何ともし難い時代を感じる味だった。
 稲も同様に蕎麦を食べていたが、男たちのように音は立てていない。どことなく気品を漂わせながら、静かに味わっている。

「……ところで、そちらの嬢ちゃん」

 おもむろに司垂は膝を立て、箸を稲に向けながら言った。

「兄者と話してっときに、この耳で聞いたんだが」

 地獄耳の如きその聴覚は以前、司垂自身が語ったことだ。

「そちら、あっしの名前をぴしゃりと言い当ててたな。こいつあ、旅人のくせして妙だとは思わねえかい?」
「ほう。名を呼んだだけで妙とは、些か気にかかる物言いだ。ぬしもそうであろう?」

 稲は司垂の圧を涼風の如く受け流しつつ、ちらと逸流に視線をくれた。  
 彼女の物言いたげな表情を汲み取り、逸流は代弁を兼ねて司垂を問いただす。

「司垂さんのような方なら、僕たちのこと覚えてませんか? ほら、松之国まつのくにで一度話しかけてきたじゃないですか」
「松之国?」

 司垂はその言葉を聞いた途端、大きく首を傾げてしまった。

「そちら、妙どころか変ちくりんなこと言いなさんね。あっしは生まれてこの方、国を出たことなんてありゃしない。もしや、誰かと勘違いしなさってるんでないかい?」
「はい?」

 今度は逸流が首を傾げる番だった。

「そんなわけないですよ。だって、あんな背の高い人そうそういるわけないし、自分のこと、伝聞屋でんぶんやの司垂って言ってましたから」
「伝聞屋……そう、あっしが名乗ったんで?」

 逸流が頷くと、司垂はぽかんと口を開いた。
 まるきり知らないといった顔に、演技の類は見られない。記憶の底から抜け落ちたように、司垂はゆっくり顔を横に振った。

「まあいつか遠くに行ったら、人を笑わせる生き方したいなあと思ったことはあっけどな。こんな汚れきった人間に、そんな資格はねえって分かりきってっから、泡沫の夢と諦めをつけてた夢想も夢想よ。なのに、そちら本気であっしが伝聞屋を名乗っていたと言いたげな面してなさんな。もしやあっしは、狐か狸に化かされてんじゃあるめえな?」
「まやかしと判断するはそなたの勝手。しかし私たちはそなたが五大光家の血を引くゆえに導かれた。結論を急くつもりではないが、早々にこの現実を受け止めよ」

 有無を言わさぬ稲の言葉に、司垂は神妙な面持ちを作り始める。
 蕎麦を平らげ、仲居にお茶を要求。

「そうさな。そちらが真面目な話を望んでんだ。あっしも、ちょいと仕事の面構えをさせてもらうが――」

 司垂は真摯に二人と向き合った。

「先立ってそちらの目的なるを、小生に語っていただきたく候」

 司垂はあぐらから正座に切り替え、背筋を正して仲居が持ってきた茶を啜る。
 それは、虚飾ではない本来の彼の姿。体裁を整える語り口に、一切の軟派な振る舞いはなかった。

――――――――

 よこしまなる蛇の打倒――稲が神であることを伏せながら、これを最終目標に掲げていることを話すと、司垂は渋く眉間を寄せる。

「そちらの言い分は、辛うじて理解に及び足る。けれど不可解を挙げるならば、五大光家がこれに加担したとて、邪なる蛇を討ち果たせる確証も曖昧。或いは、そちらが邪なる蛇の遣いとして、五大光家の滅亡を謀る間者の可能性も否めなきこと。なればこそ、おいそれとそちらに全幅の信頼を置くような真似は致し兼ねる」
「妥当な判断であるが、私たちがそなたに証を提示する必要はない。なぜなら、こちらはそなた自身の信用問題が控えているのだからな」

 司垂の真っ当な意見を、稲はそっくりそのまま返した。
 最初から交渉決裂させてどうするのかと、逸流は気が気でなかなかった
 しかし稲は遠慮なく、突然親指を立てて自らの首を斬る仕草をする。明らかに挑発的な態度に逸流は肝を冷やしたが、それは思いのほか司垂には堪えたらしい。

「……そちら旅人であったな。柳の下を望んだ上での交渉だったとは気づきもせなんだ」

 番門の外のことを挙げて、司垂は一筋の息を吐いた。

「承知した。この話し合いは小生にとって分が悪い。旅人にはさぞ酷な光景と映ったものと論ずるが、あれは柳之国における最大の汚点。兄者と道端で晒した醜態すら目撃されていては致仕方なし。先んじて小生の恥を語るとしよう」

 司垂は遠い目をしながら、心象の黄昏へと焦点を合わせていく。

「柳之家は、代々まつりごとの担い手として、民草を取り纏めて来た。その最たるものが罪人の処罰。当家の嫡子以下の男児に宛がわれる、首斬り役人の務めである」

 処刑人。それが次男として、柳之家に生を受けた司垂の本職だった。
 誰かが引き受けなければならない汚れ役。これを引き受けたこと自体は、司垂も文句はなかったという。柳之家に生まれた者として、己が役職を誇りにすら感じていたのだ。
 しかし司垂にとって、それは不幸の始まりだった。

「一口に罪人といえど、その種類は千差万別。罪状の軽い者もいれば、大罪を犯した者もいる。さすれど、これに大きな過ちを見出したとき、小生の心は揺らいだ」

 忌々し気に、司垂はこの街の実情を露わにする。

「罪状過多の推移によって、微罪即死罪と相成った」
「……悪いことしたら、簡単に殺されるってことですか?」
「然り。罪の相場が下落の憂き目となり申した。既知の通り、活発する腐土の権現ふどのごんげんによって人々は町の外を自由に出歩くことのできぬ身。自ずと心に陰鬱を宿し、それに耐え難きとなった者による犯罪が横行した。そして悪事は扇動を兼ね備える。一揆と同様に、ひとたび一石が投じられれば周囲にこれが連鎖を招く」
「それゆえの水準の引き下げか。いつの世も難儀なことだ」
「されど、それが人の常。鞭打ちや流刑だった行いに対し、死罪を言い渡す次第となったが……小生もここまでは我慢に耐えられた。ひと月前、あの処刑に立ち会うまでは」

 司垂は唇を噛んで、そこから先の言葉を呑み込んだ。
 苦い記憶に苛まれるように、僅かに震える身体には悲憤の気配が立ち込める。

「……誠申し訳ないが、場所を移しても構わぬであろうか?」

 ふとして、司垂は移動を提案してきた。
 特に断る理由もなかったので、逸流と稲はこれに頷いて残りの蕎麦を食べきった。
 司垂もお茶を飲み干すと、懐から財布を取り出して仲居に料金を払う。
 その際、釣り銭の受け取りを拒否しながら、俯きがちに暖簾をくぐっていった。
 一行は司垂の案内の下に、ある場所へと向かう。

【続】


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