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あくびの隨に 12話

前回

 悪夢を見ていたように、その感覚は場面が切り替わるような錯視だった。

 そこは灰色の大地に覆われた死の森。相変わらず枯れ木ばかりの殺風景が広がって辟易とするが、この場には以前と異なる点が存在した。

「――正気に戻ったか?」

 すぐ隣に、いねが佇んでいたのである。

「あ、れ……僕は、寝てたのか?」
「血迷うたか? ぬしは眠れば贄と呼ばれる身。記憶の混濁はあろうが、ぬしの意識が途切れることは終ぞありはせん」

 稲は自信ありげに言うので、逸流いつるはそういうことなのだろうと納得した。
 そして改めて彼女を見ると、今までと変わらない長袖と袴と、非常に印象的な灰色のポニーテール。
 逸流自身も旅人の装いをしており、特に表立った変化はなさそうだった。
 ただ若干気分が悪く、逸流は少し古木に寄りかかって記憶を手繰り寄せる。
 つい今し方まで、自分は何をしていたのか。
 たしか、あくびを噛み殺してから意識が断続的になって、その前は腐土の権現と戦い――

「……稲! 透非とうひさんたちは! あのあと、どうなったんだよ!」

 忘れてはいけない事柄が、逸流の脳裏をびっしりと埋め尽くした。
 逸流は半狂乱気味に稲を問いただすが、彼女は至って落ち着いている。小さくため息をついて、こちらに歩み寄ると手を伸ばした。

「冷静になれ。ぬしは利口な男のはずだ」

 稲の冷たい掌が、ぴたりと逸流の額に触れる。
 熱した鉄を水に入れるように、急速に理性が整えられていった。稲が手を離すと、逸流は我に返って彼女を見つめ返し、言葉にならない感情を何とか口に出し切る。

「僕は……救えなかったのか?」

 零れ落ちそうな悲哀を、稲は拾い上げるように優しく告げた。

「ぬしに振り返る道なぞない。踏み抜いた草花に胸を痛めるぐらいならば、目の前に咲き誇る花園に目を向けよ。私は変わらずここにあり、その隣にいてやる」

 稲から向けられる労わりに、逸流の心は安らぎを覚えていく。
 決して悲劇を忘れてはいけない。しかし、それを足枷ではなく糧にする心持ちでなければ、背負った責の重さに押し潰れてしまう。
 逸流は顔を上げ、晴空を仰いだ。

「ああ。君の言う通り、今はやれることをやろう」
「それでよい。ぬしの暗い顔など、私はあまり見たくない」

 本心からそう思うように、稲の言葉に気休めは感じられなかった。
 逸流は稲とともに旅路を再開する。ここで立ち止まっていては、喪ったもの全てに申し訳が立たない。
 しかし、気を取り直したのも束の間だった。

「なあ、稲――」

 逸流が指針を訊ねようとした矢先。

 突如、鳥たちのざわめきが大空を舞った。
 何かに触発されたかの如く、鳥の群れが頭上を飛び去っていく。どこか怯えるように太陽と反対の方向へ逃げて行き、凶事の知らせをもたらした。
 動物のいない封節の森で、蠢くものは腐土の権現。けれど、これらが活発となるのは周囲に人の気配を見咎めたときだけだ。
 そう、逸流と稲以外に誰かがこの森に存在する。

「ぬしよ。あえて訊くが、これをどうしたいと思うておる?」
「当然、助ける」

 逸流はすかさずそう言うと、稲はやれやれと首を真横に振る。

「致し方あるまい。もしかすれば――此度の種を撒けるやもしれぬしな」

 何か小言を募りつつも、稲は逸流に同意して現場に急行した。

【続】


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