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あくびの隨に 5話
前回
小さな通りの片隅に屋敷があった。
高い塀で囲まれ、表門の看板には道場という文字が見受けられる。
外観を見た限りでは稽古場のような建物は見えず、塀の内側には植込みと石灯篭のある開けた中庭。そこには一本のしなびた古木が、葉の一つもつけずに枝ばかり伸ばして、屋根を超すほどの高さまで伸びていた。
正面から入った逸流と稲は、子供たちに案内されて中庭に連れて行かれる。その気配を察知したように、家屋から足音が響いた。
静かな足取りで何枚かの襖を開き、屋敷の主が障子を開けて縁側に顔を出してくる。
「――何事だ。稽古の時間にも現れずに、また町中の見回りでもしていたのか?」
低く利いた声を響かせるのは、四十手前頃の壮年の男だった。
肩幅の広い屈強な体格に、地肌が剥き出しの坊主頭。筋肉質な身体付きに似合う、精悍な顔立ちは力強さに満ちており、その佇まいに老いは感じられない。口元に若干の髭が伸びていたが、身嗜みは恐ろしくきちんとしている。
これを裏付けるのは男の格好。彼の全体像を象る作務衣は修行僧のそれに近く、無地の紺色が雰囲気を厳格に引き締めているのだ。
しかし今は腰でも痛めているのか、左手が終始、背中側に回してあった。
「おっ父、こいつらよそもんだ。悪い奴じゃねえか見とくれよ」
鼻頭に傷の子供は男の倅のようだ。逸流と稲の素性を不審に思って確認を取らせる。
けれど父親は、子供たちと違って非常に思慮深い人物だった。
「これやめないか。無暗に人様を疑ってはいけないと何度言わせる。そのようなことをしている暇があるのなら、全員で廊下の雑巾がけでもしていなさい」
「ちぇっ。なんだよ、こちとら良かれと思ってやってんのによぅ」
不貞腐れる倅。そこに男は冷ややかな眼差しを送った。
「聞き分けがない者は、きついお灸を据える。それが嫌なら早く儂の言う通りにしろ」
重たい声で笑わない表情は、明らかに腹に据えかねていた。
これ以上、男を怒らせてはいけないと思ったのだろうか。口々に不平不満を垂れながらも、子供たちは草鞋を脱いで縁側から屋敷の中に入って行く。
どたばたと騒がしい足音が遠ざかった。
落ち着いた頃に、残った三人は目を合わせた。逸流と稲を見ながら、まず男は謝罪を述べる。
「誠申し訳なかった。子供らが迷惑をかけたようで返す言葉もない」
「あっ、こちらこそなんかお騒がせして……」
とっさに逸流はお辞儀した。
謝意を向けられると、必要以上に恐縮するのは人として自然の反応。だが稲の方は堂々とした態度で腕組みしていた。
「よい。そなたが非を犯したわけでもなし。いくら子のためとはいえ、他者の行いに無暗な謝罪などするべきではないぞ」
「ほほう、道理を心得ておられる。そう言ってもらえ恐悦至極。では、失礼して」
男は安堵したように一息ついた。
「儂は透非という者。この屋敷で子供たちを相手に道場の真似事する次第。もし差し支えなければ、貴殿らの名も確認しておきたいのだが……」
透非は遠慮がちに訊ねてくる。
そのことから一見穏やかな人柄に思えるが、瞳の奥には怪しい光が灯っていた。先に自己紹介をしたということは、こちらに拒否権を作らない常套手段。面倒事を避けるためにも、逸流と稲は素直に名を明かした。
「……なるほど、逸流殿に稲殿であるか。旅をなさっているということは、相応の事情があるとお見受けする。しかし、それを訊ねる前に一つよろしいか?」
右手の人差し指を立て、透非は二人に問うた。
「貴殿らは、この町に害を成すつもりはないと信じて構わないのだな」
「当たり前じゃないですか。僕たちはそんなことしませんよ。ねえ、稲」
「うむ。私もこやつも民草に干渉するつもりはない」
逸流と稲は、素直な心を透非の前に曝け出した。
二人の眼差しに一点の曇りもないため、透非は押し問答をすることなく納得する。
「あい分かった。貴殿らのことは、儂が責任を持って信用させてもらう」
「それは殊勝なことだが――然らば、背後に控えさせているものをさっさと下すことを勧める。態度も示さなければ、今度はこちらがそなたを疑う番であるぞ?」
ふとして、稲はおかしなことを言った。
透非の背後には開かれた障子があるだけで、その奥の座敷には何もない。
けれど心当たりがあるように、透非はぴくりと眉根を上げていた。
「……如何ともし難い。その無垢なる外見に騙されていたか。手練れの類とも見抜けないようでは、儂もまだまだ修行が足らないな」
自省するように呟きつつ、透非は今まで後ろ手に回していた左腕を前にやった。
するとそこには、透非の身の丈ぎりぎりの長さを誇る槍が握られていたではないか。
今まで柄や矛先を見せずに、彼はずっと背後に携えていたのだ。
相手に一切気取られずにあの長さの得物を隠し通すことなど、よほどの技術がなければ至難の業である。
「失敬。だが儂にも守るべきものがあるゆえ、なにぶん容赦してもらいたい所存」
「構わん。私もこやつも、この程度の些事に憤慨する狭量ではない」
「有難きかな」
透非は晴れ晴れした表情をするが、逸流からすれば今にも心臓が止まる思いだった。
留包国は逸流の過ごした現世と、まさしく異なる流れを持っているのだ。戦乱の世のように、人が人を殺すことだって容易く起こり得る。それでもまだ平和呆けしているのなら、即刻その考えを破却すべきであることを、逸流は身をもって痛感した。
「ほれ、ぬしよ。私たちの目的を話してやるとよい」
ときに、稲は促すように逸流から事情を話させる。
自分で話せば良さそうなものだが、やはり神ともなれば地上では何かしらの制限があるのだろうか。腐土の権現との戦いでも誓約という言葉を用いていたので、彼女なりに不自由なことがあるのかもしれない。
逸流はなるべく稲の負担を減らすつもりで、透非に向けて旅の理由を打ち明けた。
「僕たちは五大光家って人たちを探しているんですが、何か心当たりはありますか?」
「五大光家――とな」
なぜか透非は、さっと血の気が引いたように逸流と稲をまじまじ見た。
何か失礼なことを言ってしまったかと逸流は焦るが、透非本人はその驚嘆を押し隠すように続ける。
「いや……まずは上がると良い。語らいは茶でも飲みながら交わそう」
透非は槍を片手に、奥へと引き返していく。
一応、お招きには預かったが、彼の態度の理由はさっぱり分からない。
「あの男、五大光家の名を聞いた途端に顔色を変えておったが、よもや私の知らぬ間に大きく事が動いてしまったか?」
稲さえも透非の言動に対して不可解を得ていた。
この真相を解き明かすためにも、逸流と稲は履物を脱いで屋敷に上がり込んでいく。
【続】
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