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ページの上に、ひろがる色彩。

先日も本についての文章を書いたばかりではあるのですが、実は、このごろ思うように本を読むことができていません。

職場でちょっとした環境の変化があったせいなのか、とにかく、すぐに眠たくなってしまいます。
眠る前に本を読もうとしてページを開いても、いつのまにか船を漕いでしまうのですよね。

以前はそんなときでも無理をして読み進めようとしたものですが、今は体の声に耳を傾けるように心がけています。
"のんびり、ゆっくり読んでいけば良いよね"

そんな気持ちで、先日購入したばかりの長田弘さんの、
「自分の時間へ」を少しずつ読んでいるところ。

"手わたされた言葉のこと"
"秋に読んだ本のこと"
シンプルさゆえに、想像がふくらむタイトルが並ぶ目次を眺めているだけで、楽しい気持ちになります。

昨晩ふと目に留まったのは、"本の色と本の服のこと"
というタイトル。本の服、ということばが気になって読み進めていたところ、こんな文章に出会いました。


本棚の本を見れば、人となりがわかる。というのも、本棚の本の色、本棚の本の文字には、じぶんでも気づかぬうちに、いつのまにかかならずその人のもつこころの色、こころの文字がかさなっているからだ。本の装丁は、ただ単にその本を飾るものでなく、その本を読んだものの心映えを、いつのまにかあらわすようになる。じぶんのこころの色、じぶんのこころの文字を知りたければ、じぶんの本棚にある本を見つめれば、きっと見えてくる。

「自分の時間へ」"本の色と本の服"より
長田弘

思わず眠気もさめてしまうほど、はっとしました。
そしていったん本を置き、自分の本棚を見つめます。

本棚というのは、本というあくまでも自分の外側に在るものが並んでいる。そう思ってきました。
もちろん、自分が素敵だと思うもの、心ひかれるものを並べているのですが、それが"じぶんのこころの色、じぶんのこころの文字"だとは認識していなかったのです。

けれども、今、本棚に並ぶ本を見ていると、確かにそこにはわたしのこころや、記憶までも並んでいる、という実感が湧く。

"そういえばあの頃は全く本が読めなくて、それでも読みたくてこの本を買ったな"
"自分には難しくて読みきれないかも。でも、この美しさを理解したい。そう思って手にした歌集だったね"

その本を選んだときに抱えていた悩み。
読みながら頭の中に思い浮かべていた景色。
そして、読み終えたあとに変化した気持ちの存りよう。

本棚を見つめていると、本の上に、"わたしのこころ"が徐々に姿をあらわしていくのを感じます。
"こんな一瞬に立ち会えるから、本を読むことが好き"
自分のこころの中から、そんな声が聞こえました。

長田さんは、本を"こころが着る服"だと表現します。
その表現にふれて、本屋さんで本を選ぶとき、その本を読みたいかどうかはもちろん、その時の自分の気持ちになじむかどうかを考えていることにも気がつきました。

洋服を選ぶときに、布地の厚さや柔らかさを確かめるようにして、装丁や字体から今の気持ちに沿うものであるかを、無意識に判断しているのだと思います。

そういえば、「自分の時間へ」を本屋さんで手に取ったときも、手のひらがほんのり温かくなるような感じがしたな。

そう思い返しながら、本棚から離れ、読書を再開します。
今読み進めているこの本も、いつしかじぶんのこころの色を帯びてくる。
白黒のページの上に、いくつもの色彩がひろがる光景をまなうらに浮かべると、気持ちがしんと鎮まっていくのを感じるのでした。


最後まで読んで下さり、ありがとうございます。 あなたの毎日が、素敵なものでありますように☺️