○月○日 4年で世界は変わる①就活に負けて病気になるまで

おひさしぶりの、ひーちゃんです!

2017年に初めての投稿をして、2019年に最後の投稿をしたわたくしです。

2017年の日記を読んで、「なつかしいなあ〜」と思っていました。
同時に、心がチクチクしました。

あの頃の私は、世の中に揉まれ、社会にないがしろにされ、世間に見捨てられ、なにより、自分で自分を「駄目なやつ!」というまなざしで見ていました。

あの頃はほんとうにつらかった。
大学三年生で就職活動をしなきゃいけなかったころ。
新卒一年目はただの「既卒」になりさがるだけだったころ。
だからお金のある人は、わざと留年したり、学ぶつもりのない大学院に行き、なんとか新卒カードを失わないように必死だったころ。
リーマンショックと政権交代と東日本大震災で、日本がぐわんぐわんになっていたころ。
新卒で入職しないと「人生終わり」と言われていたころ。
新卒で企業に通らなかった人が、将来を悲観して自殺したというニュースが流れていたころ。
派遣社員の「3年しばり」がなかったころ。
東京の最低賃金が1000円に満たなかったころ。
まだ『ブラック企業』という言葉がなかったころ。
就活雑誌を読めば「去年の先輩で内定を勝ち取った人の平均エントリー数120社」と書かれていたころ。
ハローワークに行けば「履歴書は手書きで。女の人はタイトスカートで。じゃないと評価してもらえない。」とアドバイスされていたころ。
就職相談に行くと、「あなたがもし企業側だとして、新卒で就職できない、若いだけで、なんの能力もないあなたを、雇いたいと思いますか?」とまっすぐ目を見て言われたこと。

私は、正常な判断ができなくなっていました。
大学三年生が終わり、大学四年生の日々が過ぎていくなかで、まだ内定がもらえない。私はあのニュースで見た、既卒の人たちの、暗いオーラをまとった後ろ姿にはならないぞ、と自分を奮い立たせていました。他の皆がA4のラミネート加工された『新卒』のカード下げるなか、真っ黄色な『既卒』のカードを下げ、企業ブースで無視され続けるあの人たちにはならないぞ、と。

だけど、なぜだか、自分がその方向に吸い込まれるように進んでいるように思えて仕方なかった。
成人してもなお、自立できず実家にいる人に対して『パラサイト』という言葉ができたのも、このころからだと記憶している。ニートや引きこもりというわけではないのに、一生懸命働いても賃金が安すぎて自立できない『ワーキングプア』と呼ばれる存在もいると、ささやかれ始めたころだった。
若い女性は、そんな世情を前に、就職活動をせず『婚活』をする人もいた。世間に出ても仕事にありつけない、だったらさっさと結婚して、身を固めて、子どもを生んで、あとはパートでも専業主婦にでもなればいいや、と、そういう考えの人がまだいた時代だった。むしろ、そっちのほうが賢い、と言う人もいた。女性の価値は『若さ』なのだから、と。

とにかく、世の中は若い人に仕事がない異常事態に、遠くから面白おかしく出歯亀をした。渦中にいる自分は、常に息切れをしながら、どこにゴールがあるのかもわかるず、もがき苦しんでいた。

自分の進む道はどこ。私の明日はどこ。私の居場所は、幸せは、いったいどこにある?


そんな私に数年ぶりにやっと答えが返ってきた。

降ってきた答えは『傷病手当金』だった。

『ブラック企業』という言葉がようやくちらほらと出てきたころ、私は職場でのパワハラ、モラハラに耐えて耐えて耐え抜いて、病気をして、休職した。

なんで私がそんなに我慢したのかというと、
それはやっとつかみとった正社員の仕事だったからだ。
とある政権が、テレビcmで、女性に「私の夢は正社員!」と声高に言わせるほど、それほど『正社員』になりにくい時代だった。
だから私は、そのご縁に感謝して、愚直に頑張った。頑張りまくった。
その結果が、『傷病手当金』。

情けなかった。

自分がもっと、仕事のできる人間だったら、幸せになれたのだろうか。
もっと、頭が良ければ。
もっと、要領が良ければ。
もっと、世渡り上手ならば。
もっと、コミュニケーションが上手なら
もっと、偏差値の高い大学に行っていれば
もっと、就活に強い学部に行っていれば
もっと、生まれが良ければ
もっと、都会に住んでいれば
もっと、可愛かったら
もっと、痩せていれば
もっと、もっと、もっと、もっと、


私は、なんで生きているのだろう。
でも、死ぬ気力も私には残っていなかった。
ただ、消えたかった。
タイムマシンに乗って、その日の母と父をどうにかして、私がこの世に生まれなかったことにしたかった。
そしたら、誰も悲しませず、いなくなれるのに。
そんなことばかり考えて、過ごしていた。

周囲には、「仕事もしてないのに、家に置いてもらえて、幸せじゃない。」と言われた。


幸せなものか!!!!これが!!!!
世間に「無能」の烙印を押され、履歴書はグチャグチャ。若さも25をすぎてあっという間に無くなる。下はどんどんあがってきている。世間はもう新卒では就職に困らなくなってきている。急に内定取り消しになった新卒に逆オファーが行く時代になった。私はどうだ!!!!たった数年早く生まれただけで、なんの経験もつめず、積むことも許されず、職歴に穴を開けないように派遣社員の渡り歩きでお茶を濁し、永遠になんのスキルも詰めない、常にギリギリを歩いているワーキングプア・パラサイト・行かず後家・おまけに病気持ちの四重苦。こんな私を誰も好きにならない。誰も採用したいと思わない。私はただ残された時間を老後を恐れて生きるだけの肉塊だ。私という人間に価値は1ミリもない。育ててくれた両親や心配してくれる友達に申し訳ない。目を閉じれば、職場の、ハローワークの、就職あっせん企業の、高圧的で事務的で足の先から頭のてっぺんまで私を値踏みする社会の目が私を見下してくる。私はそれから逃げた。心と体がぶっ壊れる寸前に逃げた。
そんな私が!!!!幸せなものか!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!


心の中で叫びながら、傷病手当金を受け取り、静かで空虚な時を過ごしていた。
家の中で、1日中テレビを見ていたのに、ほぼ何も覚えていない。
ただ一つ、電通の新人社員であり、自殺された高橋まつりさんのニュースは覚えている。
ああ、あれは私のもう一つの未来だ、と思ったからだった。

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