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つくる楽しさと見せる恐ろしさ

イラストレーターのみずきのりんごです。

今日はタイトル通り、つくる楽しさと、それを見せる恐ろしさについての記事を書いてみます。

過程の楽しさと出す恐ろしさ

何かを作ることはとても楽しいことです。
ああだこうだと工夫して挑戦して、時には失敗しつつ、時間と労力を割いてものを作り上げる。
結果が全てとは言え、過程が楽しければ無敵にも感じます。

でもいざ完成して人前に出すときに、一抹の恐ろしさを感じる時があります。

私は割と気にしないほうなのですが、ここ数年は人前に出すことを恐れる瞬間がありました。

「これを出したら馬鹿にされるのでは」
「全否定されるのでは」
「下手すると殴られるのでは」

といった気持ちがわいてきて足がすくみます。

なぜそんな風に考えてしまうのか……

例によって少し掘り下げて考えてみます。

恐れるときと恐れないときがある

そうはいっても、毎回恐ろしさを感じるわけではありません。
どこでどう感じるのか振り返ってみたとき、どうやら部分的に感じるだけということがわかりました。

まず、恐れを感じないとき。

私はイラストレーターやデジタルファッションクリエイターとしても活動しているのですが、イラストやデジタルファッションを作っているときは、まったく恐れを感じません。

一作一作、作り終えたらすんなり人前に出してしまいます。
出来たー!みてー!はい次ー!といった感じでトントンと制作しています。

つづいて恐れを感じるとき。

これは昨年末に創作をしていて気づいたのですが、漫画や創作などの「物語」を作ることや、自分の考えを話すことに非常に抵抗と恐れを感じていました。
部分的、と言ったのはここです。

なぜ恐れを感じるのか…?

前述でわいてきた気持ちから考察するに

「自分の考えたことを明文化・形にして人前に出すことが恐ろしい」

となるようでした。

考えを出すことの恐ろしさ

イラストやデジタルファッションなども、自分のフィルターを通して表現しているのですが、どちらもビジュアル的なもの。
言葉で語るというよりは、見た目で語るといった感じです。

それとは逆に創作や考えを出すことは、そのまま自分の言葉で伝える形になります。このnoteとかもそうですね。

考えてものを作って出すことと、考えて書いて出すことの間に壁があるようです。

もともと考えるのはとにかく好きで、思考遊びをしているくらいでした。
Twitterでだらだら呟いたりして、脳内駄々洩れ状態なこともありました。
同人誌も出したり、web漫画もたくさん描いたりしていました。

でもここ数年はその思考遊びや漫画を描くことすら出来なくなっていました。

どうしてそうなったのか自分ではよくわからないのですが、なぜか恐ろしいから止めておこう、となっていたように思います。

実際のところは、止めておいたのは表に出すことだけで、ノートやメモなど、人目につかないところで、変わらず思考遊びは続けていました。

恐ろしさと向き合う

思考遊びは続けているので、どんどんネタは溜まっていくし、イラストや衣装などで表現できないものが増えていきます。

少し心身に余裕が出てきたころ、一度ちゃんとまとめてみようと思い、まずは二次創作の漫画を描いてみることにしました。

それが昨年末。

描いている間はずっと恐ろしかったです。
何を言われるのかわからなくて。

実際何も言われないし、言われなかったのですが。


怖いと思いながら描くのはとにかくしんどいことでしたが、ずっと物語を作ることができなかったので、完成させられたことは素直にうれしかったです。あと描いててうちのこたち可愛い!!ってなってました。

出す以前に、形にするということすら出来なくなっていたので、完成させられるという状態にまで持って行けたのは、結構な進歩だと感じました。

切り分けて考える

漫画を描き終えたあと、noteも書いてみたりして、自分の言葉を外に出すように試みているここ半月ほどの間に気づいたことがあります。

もともと私は自分の作ったものにそこまで執着心がないです。

作り終えて出したら次に行ってしまい、前に出したものの存在を忘れる、みたいなことは割とよくあります。(記録をつけているので見直せば思い出せます)

執着心がないのもあって、自分が作ったものと自分を同一視することはあまりないです。作品の評価と自分の評価は別という考え方ですね。

けれど、どうやら創作や考えを出すときには、自分の評価につながっているようです。自分の考えが自分の評価はわかるのですが、なぜ創作も?
ここがちょっとよくわかりませんでした。

でも、ほかの作品たちと違って、切り分けられていないことはわかったので、切り分けて考えたらいいのではと思いました。

作品は過去

私は制作速度が比較的早めなのもありサイクルを回すのも早いです。
ビジュアル的な作品は割とポンポン作って出しています。

作るたびにレベルアップしているので、作ったものは出した時点ですでに過去で、出し終わった私よりレベルが低い気がします。

noteも今3日連続になると思うのですが、きっと昨日・一昨日の私より今日の私はちょっぴりレベルアップしている、と思います!

なので、過去の私が作ったもの・出したものはその時点ですでに今の私とは違い、今の私はちょっぴりでも成長しているはずなので、気にしないでもいいんじゃないかな、と思ったりしました。

評価基準を自分に

あと、人の目に怯えているということは、評価を他人軸にしてしまっていることも考えられます。

「誰かに何かを言われるのでは」

これこそが他人軸にして、言い訳にしてしまっている部分かなと。

それはもうやめてしまいたいです。
人にどう思われようが、完全に気にしないのは難しいですが、少しでも楽になれたらよいですよね。

素直に過去の自分と比べて評価し、その成長を楽しめるようになって、ビジュアル的なものに限らず、いろんな形の表現方法で、頭の中や心で感じたことを出していけたらよいなと思いました。

何事も挑戦

正直まだまだ怖いですが、このnoteも含めて、少しでも恐ろしさをなくせるように。荒療治気味ですが、書いて出すことを試みていこうと思います。

ちなみに現在は、漫画を再び描いています。
一次創作なので、自分の中から生まれたもの。それを出すのは怖いし作ってる間も恐ろしいと感じている部分はまだまだあります。

でも考えて作り上げるという行為は本当に楽しいものです。
その楽しさをなるべく邪魔しないように、自分をコントロールできたらよいなと思います。


というわけで、最近考えていたことでした。このnoteも書くのが怖かったのですが、書いているうちに大丈夫と思えたので、公開いたします。


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