自分がつくった「枠」を抜け出す勇気
自分なんて
私なんて
と声に出して言わなくても、心の中でふと思ってしまうことありますよね。
昔会社の飲み会で「僕なんて」と語りだした先輩がいまして、
それを聞いた上司が血相を変えてその先輩を叱っていました。
「〇〇くん、自分を卑下するようなこと言ったらあかん!絶対あかんよ!!」と。
あの時の上司は本当に凄かった。
仕事のミスをして注意する時とは違い、見ていた私もびっくりするくらいの気迫だった。
相手を持ち上げるため「自分なんて」と謙った表現を使う場合もありますが、その時叱られていた先輩は謙ったわけではなく「自分はダメな人間だから」というニュアンスでの「自分なんて」という発言でした。
「自分なんて」の後に続くのは「どうせ〜」の様に、自分に対する否定的な話が後に続きますよね。
「自分はこれくらいの人間だろう」と勝手に自分の枠(限界、制限、ハードル)を築いてしまうと、どんなに才能を秘めていても「自分で考えている以上の自分」になれないのではないかな?と私は思います。
血相を変えて怒鳴った上司も、「自分で決めた枠に囚われて成長することを諦めたらダメだ」という意味で、叱るというよりは鼓舞していたのでしょう。
会話をしていると、
「こんなオシャレな服私には似合わない」
「私なんて子育てできる器じゃ無い」
「あんなに素敵な人と自分は見合わない」
「私みたいな人が洒落たお店には入れない」
「こんな責任重大な任務、私には出来ない」
などなど。
聞いてるこちらは「そんなことないのになぁ」と思うのですが、本人はまさに「自分自身はこういう人間なんだ」と思い込んで話している場合が多々あります。
別におしゃれなお店に入りたいと思わない、結婚したいという気持ちも0に近く無いというのであれば問題ありませんが、「本当はこうであったら良いのにな」という気持ちが少しでもあれば、まずは自分がつくりあげた「自分という枠」があることに気付き、一歩踏み出してみる勇気を持つことが必要でしょう。
自分に貼り付けていたレッテルや自分を閉じ込めている枠があることに気付き、今の自分、今の生き方を本気で変えたいと思うようであれば、考えるよりも先に行動に移してしまう方がおすすめです!
入りにくいと思っていたお店に勇気を出して入ってみるなど。
実際体験してみると、「あれ、思った程じゃ無かった」とか「何で出来ないと思い込んでいたんだろう」と、あとになって思えることが割とあります。
私自身も自分の枠に囚われやすい性格であるため、その都度自分のつくった枠にハマっていないかを振り返りつつ、「よし勇気を出してやってみよう!」という感じで人生スローに歩んでいます。
これも30代を過ぎてから思うことですが、何もしなくても一刻一刻と日は過ぎていき、思ったよりもそのスピードは早いです。
年齢に関係なくいつでも挑戦出来るということもあれば、その年齢でないと掴めないチャンスというものもあります。
「なりたい自分」「やりたい何か」があるのであれば、「自分なんて」というつまらない自分の枠に囚われないで、是非一歩踏み出す勇気を振り絞ってみてください^ ^
結果どうなるかは分かりませんが、少なくとも勇気を持てた自分に自信が持てるようになるはずですよ!