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自分のために泣いてくれた先生の話

私は小学校の卒業式に出ていない。


息子の小学校の卒業式で、やっと卒業出来たような気がした。私の父が同席してくれたので、まるで自分の卒業式のように泣けてきたのを覚えている。

私にとっての子育ては、自分が親にしてもらえなかったことを丁寧にこなすことの連続だったような気がする。息子と娘がいてくれたお蔭で経験出来たこと、気が済んだこと、知ったことがとても多い。親への感謝を教えてくれたのも子ども達だ。


こんな未熟な私を親に選らんでくれた二人には感謝しかない。


小6の1月に、卒業式を2ヶ月後に控えていた時期に祖母の元を離れ家族で引っ越しをした。卒業式まで待てない切羽詰まった事情があった。
クラスメイトとの別れは辛かったので、皆には私が引っ越してから担任の先生から話してもらうことにした。

小学校最後の日には母親が迎えに来て応接室で校長先生と担任の先生に挨拶をした。
5、6年の担任だったミチ先生は、おそらく私の母親よりもずっと年上で、落ち着いた感じの人だったが人目をはばからず泣いていた。

「あなたと一緒に卒業式に出られないことが寂しい。
こんな残念なことはない。とても悲しい」

私は自分のために大人が泣いている姿をはじめて見て衝撃を受けた。
ミチ先生は大好きな先生だったが、誰にでも平等に優しい先生で、特にひいきをされていた訳ではない。いつも笑顔で優しくて、歌うように語る姿は美しいと思える素敵な先生だった。


「一緒に来てくれる?」

お願いされると喜んで、職員室まで教材を運ぶのをよく手伝った。

「ありがとう、助かったわ」

ミチ先生に感謝されたり褒められるのがとても嬉しかった。



別れ際に

「あなたにどうかと可愛いスタンドを見つけたの。よかったら使ってみて。好きな本をたくさん読んでね」

渡されたのは、小さな電気スタンドだった。スタンドの傘の下で、毛がモコモコした白い犬が座っていて見上げている可愛いデザイン。小5の時、犬の話の読書感想文を書いたのを覚えていてくれたのだ。



帰り道、私は泣き顔を見られるのが嫌で、母と顔を合わせないように横を向いて歩いていた。


「あんなふうに生徒のために泣いてくれる先生をはじめて見た。それに、教師が個人的に生徒にプレゼントを用意してくれるなんて滅多にない特別なこと。いい先生と出会えてあなたは幸せだったのね」


母はそう言うと、顔を両手で覆って静かに泣いていた。



   ♢      ♢      ♢



結婚する前に義母と初めて会った時、こんな綺麗な人の娘になることを嬉しいと思った。

そして、ソックリという訳ではないが、ミチ先生を思い出した。

独身の頃小学校で教壇に立っていた義母の、凛とした佇まいがミチ先生を彷彿させて、私はこの人と母娘になることを喜んでいたのだ。

もちろん人格は違うので、義母とはいろいろあった。それでも決定的に嫌いにならなかったのは、ミチ先生に似ていることが大きいような気がする。


義母が施設に移った後も、自分が骨折の手術で入院している間も、気になるのは義母の事ばかりだった。
1月からずっと一緒にいたので、退院した翌日には我慢できず会いにいった。

施設長から

「お義母さんはお嫁さんのことを毎日心配されていましたよ」

と聞いた。思ったより元気そうで、穏やかな義母の表情を見てやっと落ち着くことが出来た。



先週末は家族四人で会いにいった。
息子と娘も、おばあちゃんの笑顔を見て安心したようだ。お土産のお菓子を喜んでくれて、施設のご飯も美味しいと聞いた。カラオケで100点を出したそうで、楽しそうな様子にホッとした。

今年に入ってから義母は携帯電話の使い方がわからなくなったので、夫が行く度に友人や話したい人に夫のスマホから電話をかけるのが楽しみになっている。先日は、以前のご近所の仲良しさんと嬉しそうに話していた。義母にカラオケの楽しさを教えてくれた恩人だ。


「ここなら子供達に迷惑をかけることもないし、好きな時に休めて寝たい時に寝れて、こんな気楽ないい所はないよ。
ここでは私はまだ若くて元気な方だから、まだまだ長生きしたいと思っている。みんな親切で優しくしてくれるから、あなたも早く施設に入ればいいのよ」


無邪気に笑う義母の晴れやかな顔は、やっぱりミチ先生に似ていると思った。




最後までお読みいただきありがとうございました。

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