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【海外ボランティア】大学2年生で初1人海外!ベトナムで障害児支援ボランティア

現在まさに「医療インターンシップ inケニア」の真っただ中の私ですが、今回はちょっと前に戻って、大学2年生の時に参加した「障害児支援ボランティア  inベトナム」のお話です。

初1人海外に挑戦

大学1年生の時に「カンボジアボランティアツアー」に参加。
そこで、さらに深く現地の人と関わりながら働きたいと感じた私は、大学2年生の春休みにNPO法人NICEが提供していた「障害児支援ボランティア inベトナム」に2週間参加しました。
「カンボジアに続いてまたアジア?」と思った皆さん、その通りです。アフリカに憧れを抱きつつも、高校生の頃まで海外経験は修学旅行のみ、カンボジアのボランティアツアーには友達と2人で参加した私は、初の1人海外でアフリカに行く勇気はなく、再度東南アジアを選びました。

最初から最後までサポートされていた前回のボランティアツアーとは異なり、今回は滞在先のボランティアハウスに現地集合。そのため、集合日の前日にベトナム・ホーチミンの空港に到着し、SIMカードを購入、自力でホテル (至るところダニだらけでした笑) まで行き、街散策をしながら夕飯を食べ、次の日は観光をした後に滞在先まで自力で向かいました。

1日目の夕ご飯 フォー&マンゴーラッシー
2日目の朝ご飯 バインミー&コーヒー
食中毒が怖くて、氷なしを注文したらこのコーヒー笑
思わず、追加で氷をお願いしました。

初1人海外を楽しんだように書いてしまいましたが、内心はガクガクブルブル。2日目の街散策の途中に緊張しすぎて頭が痛くなり、デパートの中に避難、椅子で休憩したのは親にも友達にも秘密です(笑)

「海外で活動する人=行動力がすごい、勇気がある」
「自分は海外に一人で行く勇気はないから無理」
と感じている人も多いかもしれません。
しかし、私も最初から大きな勇気があった訳ではありません。自分が持っている小さな勇気で行動できることから初めて、そこで自信を獲得していけば、きっとどんどん大きな挑戦ができるようになるはず!と私は信じています。

活動中の生活環境

活動内容の説明に入る前に、滞在していたボランティアハウスの生活環境について少しご紹介。
活動期間中は、ボランティア全員と現地スタッフ3人が一緒にボランティアハウスで生活していました。寮のようなイメージです。

みんなの共有スペース

一応海外の人も参加できるのですが、「NPO法人NICE」は日本の団体であること、かつ春休みであったことから、私が参加した期間は1人の外国人女性を除いて全員日本人でした。
(英語上達のためには、外国人に囲まれるのが1番ですが、やはり日本人がいることの安心感は莫大です)

住居環境については、部屋は扇風機のみでエアコンはなし、2段ベッドが1部屋に2~4つで風呂・トイレ共同。
私の部屋は4階だったのですが、水をくみ上げるポンプの力が弱くてシャワーが出ず、かつお湯も出なかったため、トイレ脇、膝くらいの高さに設置してあった蛇口から出る冷水で毎日体と頭を洗っていました。(その蛇口は、現地ではトイレ後に使用するためのものであったことを知ったのは帰国後…)

白矢印の蛇口です
2週間お世話になりました笑

ちなみに、他の階にある部屋はちゃんとシャワーも温水も機能していたみたいですが、帰国後いつでも使える話のネタになっているので、良い思い出です。

1日のスケジュールは、朝8時頃にみんなで家を出発し、ローカルバスに乗車。しかし、ローカルバスは日本みたいに親切に止まってくれず、徐行になるのみ。バスの扉がない場合もあるので、バスが加速する前に頑張って乗り込みます。
午前中活動し、そのままお昼を活動場所で食べ、約2時間のお昼休憩。

いつもお昼休憩時に訪れていたカフェ
昼寝をしたりギターを弾いたり、快適な空間でした

午後は17時まで働いて帰宅し、夜は街で観光をしながら夕食を食べる。ホーチミンの街は割と治安が良いので、メインロードであれば夜に女子だけで歩いていても大丈夫でした。そのため、帰宅はだいたい22時頃。帰宅後は、深夜までみんなと共有スペースでおしゃべりするのが1日の流れでした。

ちなみに、土日は活動が休みのため、ホーチミン観光やメコン川ツアー、ベトナム戦争で使用されたクチトンネルを訪れるなど自由に観光していました。

1. サイゴン中央郵便局

世界各国の時刻に設定された時計たち

2. 聖母マリア教会

撮影後、写真を撮ってくれたおばさんにアイスを買うようにお願いされました笑
海外で写真を他人にお願いするときは、気を付けましょう。

3. ホーチミン人民委員会庁舎

夜はライトアップ

4. 市民劇場

5. ベンタイ市場

食べ物から衣服・小物までなんでも買える市場、値段交渉必須
お店の人が普通に座ってご飯食べてるゆるさが好き笑

6. メコン川クルーズ

お土産にはココナッツキャラメルがおすすめ

7. クチトンネル

地下に隠されたトンネルへ
当時の軍の人々様子が展示されています。
戦車や仕掛け、トンネルの中を見ることができ、
ベトナム軍が知恵を絞って戦った様子が伝わってきます。
平和の大切さを改めて感じました。

8. ランドマーク81

地上81階、461.3m
東南アジアで1番高いビル

活動内容

私たちがパゴダと呼んでいた活動場所は、寺院に併設された孤児院でした。(一般的にパゴダとは仏塔のことを指します)そのため、中には僧侶も暮らしているのですが、100人を超える孤児の子供たちが暮らしており、その中には障害を持つ子供たちもいました。

そんなパゴダでの私たちの活動内容は主に2つ。
1つ目は、障害を持つ子供たちのお世話をすること。2つ目は、一般の子供たちに向けて英語の授業をすることです。英語の授業は、お昼後の約1時間のみなので、多くの時間は障害を持つ子供たちと一緒に過ごしていました。

ベトナム戦争の時に、米軍が枯葉剤を使用したのは皆さん聞いたことがあると思いますが、ベトナムではその枯葉剤の影響が今もなお続いているのです。というのも、枯葉剤の被害を受けた親から生まれた赤ちゃんは、先天的に身体障害・精神障害を持って生まれる可能性が高まってしまいます。そのため、今でもベトナムには枯葉剤の後遺症に苦しむ人々がたくさんいます。そして、その子の親たちもまた障害を持つ場合が多いので、障害を持つ子供を育てることができず、捨てざるを得なくなってしまうのです。私が活動していた孤児院には、門の前に子供が捨てられていることが頻繁にあり、その子供たちを預かって育てる施設でした。約40年前の出来事が今もまだ人々を苦しめていることに心が痛みました。

当時は、まだ1~2歳の小さい子から15歳くらいの子まで、約40人の障害を持つこどもたちがパゴダで暮らしていたのですが、日本でも障害を持つ方々と接する機会が少なかった私は、最初どのように接したら良いのかと戸惑ってしまいました。さらに、彼らは捨てられてしまった子供たちなので、元の名前や誕生日も分からず、どのような障害を持っているのかもきちんと診断されていません。しかし、おそらく子供たちの多くは、何らかの原因(生まれつき、出産時の問題、出生後の感染など)で脳にダメージを受け、運動障害、精神障害などを生じる「脳性麻痺」で、その他にもダウン症の子や盲目の子もいました。

生活スペースは1部屋程度で、マットレスにはダニもたくさんいます。そして、彼らの面倒を見ている現地スタッフは1~2人のみ。また、歩けない子は鉄で作られた直角の車椅子に縛り付けられていたり、精神障害によって外に出て行ってしまう子はベンチのような椅子に縛り付けられていたりなど、日本では考えられない状況でした。障害を持つ子供たちはきちんと病名を診断されていて、一人一人に合わせたサポート・治療が提供されるという環境を当たり前だと思っていた私は、違いの大きさにショックを受けました。

お昼寝の時間
脚が曲がってる子はクッションに固定してから寝かせます
奥の子は脱走防止のために足が壁に繋がれていました

私たちが手伝っていた内容は主に、リハビリ・遊び、食事、シャワー・着替え・おむつ交換などの就寝準備です。リハビリと言っても、歩ける子はリハビリも兼ねてパゴダ内のお散歩に出かけたり、おんぶ抱っこなどをして一緒に遊びます。
一方、歩けない子は補助器具を使って立たせるのですが、ここでも鉄の板に膝や腰などを固定することで立たせて、そのまま一定時間キープ。脳性麻痺の根治は困難であるものの、日本では理学療法や作業療法などのセラピーを導入することで、症状を和らげ、患者さんが少しでも楽に生活することができるように治療を行います。しかし、理学療法士も作業療法士もいないこの場所で、リハビリとして行われていたのは「固定して立たせる」のみ。現地スタッフがなぜこのリハビリ方法を導入しているのか、何に基づいて導入しているのかは不明でしたが、日本で教育を受けてきた私から見れば、正直あまり効果的とは思えない状況でした。

奥にいる子供たちは立ってリハビリ中

食事は、「お米+スープ」が基本スタイル。スープは日替わりで、子供によってとろみ具合が調整されていました。

子供達のご飯 お米+スープ

そして最も衝撃的だったのは、現地スタッフの食べさせ方です。自分で食べることができない子には私たちが食べさせてあげるのですが、中には食べることを拒否する子供もいます。障害を持つ子供にとっては、食べるという行為自体が不快であったり、上手く飲み込むことができずに苦しい思いをしたり、大変疲れる場合があるからです。器を叩かれたり、口に入れても吐いてしまったりと、慣れていない私たちはかなり苦戦しつつも、その子のペースで食べることができるように少しずつ口に運んでいました。しかし、現地スタッフは、その子たちを叱責し、叩いて、スプーンを喉の奥まで突っ込んで流し入れます。むせてかなり苦しそうな場合もあります。私はかなり心配になってしまったのですが、それが通常スタイルなので現地スタッフは気にする様子もありませんでした。

パゴダの子供たちは「可哀そう??」

ここまでの様子を聞いて、驚いた方も多いのではないでしょうか。可哀そうと思ったでしょうか。そして、子供をそのように扱う現地スタッフを批判したい気持ちになったでしょうか。

日本とはかなり違う状況なので、そのような感情を抱くのは自然なことだと思います。もちろん、私も最初はかなり衝撃的でした。しかし、子供たちを叱責し、叩き、怖く見える現地スタッフも、子供たちが遊んでいるのを笑顔で眺めている時があり、子供たちからも慕われている様子でした。また、私も子供たちと一緒に過ごすうちに、子供たちの笑顔をたくさん見ることが出来ました。どの子供にも個性があって、好きなことと嫌いなことがあって、一緒に遊んであげるととても楽しそうな表情をしてくれます。障害の程度によって出来ることは人それぞれですが、とてもやんちゃで遊ぶことが大好きな子もいます。言葉はしゃべれないけれど、子供たち同士でコミュニケーションを取りながら一緒に遊んでいて、私も徐々に子供が何をしたいのか分かるようになってきました。そして、活動が終了する頃には子供たちのことが可愛くて大好きになっていました。

そのような経験から、
「現地スタッフの対応を責めることができるのか?」
「あの子たちを『可哀そう』と思うのは、正しいのか?」
「どのような支援が彼らにとってベストなのか?」
と疑問を抱くようになりました。
当然、改善すべきポイントはたくさんあると思いますが、約40人の子供を1~2人のスタッフで面倒を見なければいけない場合、一人一人に多くの時間を割いていては生活が回らなくなってしまいます。そのため、リハビリが不十分であったり、食事の与え方が少々雑であるのも仕方ないことかもしれません。
親がいないのは悲しいことですが、ここで笑顔で暮らしている子供たちは、自分たちを「可哀そう」と思っているでしょうか。第3者の視点から、人の幸福度を判断するのは、とても難しいです。
さらに、価値観や社会事情、金銭的事情、宗教などあらゆることが日本とは違うこの場所に、支援という名目で日本のやり方を導入、場合によっては強制してしまうことは、私は正しい支援だと思うことができませんでした。

改善しようとしても、改善するための資源や人材が不足していたり、良かれと思った行為・支援でも、実は自分たちの自己満足に過ぎなかったりなど、本当に現地の人のためになる支援は、実はとても難しいことだと思います。この経験から3年経った今もまだ正解は見つかっておらず、絶賛模索中です。

まとめ

1年生の時に参加したカンボジアボランティアツアーとは違って、現地の生活にどっぷり浸かり、現地の施設で活動することで様々な衝撃もありました。同時に、本当に貴重な経験をたくさんすることができ、学びの多い2週間でした。そして、当時は人生で一番楽しかった2週間と言えるほど、充実して楽しい時間でした。
日本とは異なる環境に戸惑う方もいると思いますが、実際に行くことで感じること、分かること、気づくことは本当にたくさんあります。知識だけでなく現地での経験を積むことは、必ず私たちを成長させてくれると思います。もし興味がある人がいれば、ぜひ恐れずに挑戦してみてくださいね。

あとがき

私がベトナムボランティアを終了する頃は、ちょうどコロナが世界的に流行り始めた時で、私が参加したボランティアプログラムも私の次の週に来た子で最後となりました。街でもパゴダでもマスクを着用するようになり、コロナの脅威を感じていました。

私が滞在していたパゴダでは、先述した通りスタッフの数が足りていなかったので、ボランティアがそのサポートすることで日々の生活が成り立っていました。しかし、ボランティアが来なくなってしまった場合、
「労働力は足りるのか?」
「免疫力が不十分な子供たちが集まるこの場所でコロナが流行った場合、子供たちは無事なのか、病院に行くことはできるのか?」
など、様々な心配を抱きながら帰国することになりました。今回のコロナのように社会的な災害が起きた場合、一番致命的な影響を受けるのは、社会的に弱い立場の人だということを痛感しました。

コロナ流行によって、しばらく海外での活動は休止していた私ですが、3年後の大学5年生の秋、「大学生のうちに行く予定だったアフリカにまだ行っていない!」と思い出し、3月にルワンダへ。
ということで、「シングルマザー支援 inルワンダ」も近々投稿します!

相変わらず私見満載な長文になってしまいましたが、最後まで読んでいただいた方、本当にありがとうございました。

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