見出し画像

ブラック校則 を読んで

教採やバイト、モンストSAOコラボであんまり本読めてなかった。

今回は図書館で借りたこの本について整理していきます。

学校における厳しい頭髪や服装に対する検査が話題になっているが、実際それに妥当性はあるのか考えていきたい。

例えば、
「日本人なら黒髪」なので、全員黒統一、もしくは地毛証明書が必要なことについて。
実は生まれつき茶髪の割合は、8%ほどである。それなのに、黒染め強要はナンセンスだと思われる。もともと生まれの髪のはずなのに、それに対し染め直すことは、お金がかかりさらに頭皮へのダメージを考えてもあまりいいこととは思えない。

また
日焼け止めやリップクリームについても禁止されているところがある。健康維持を考えても不可欠なものであり、大人であれば使って当たり前のものが学校では使えない。この学校と社会のギャップは謎すぎる。
そして、こうした項目を禁止することで、教育にとってプラスになるというデータは見当たらない。
つまり、社会に出るためでなく、学校の秩序を護る(笑)ために、無駄な統制が取られているということだ。

さらに近頃言われるのは、痴漢予防のための拘束だ。具体的にいえば、下着の色についてやスカートの長さである。(実際の校長へのインタビュー)
しかし、痴漢が被害者の服装によって引き起こされるというのは、性暴力についての典型的な思い込みである。
スカート短いから痴漢されたとか、そんなみたいな被害者が悪いとかいうまじでクソみたいな考えの奴がいるってこと。加害者が全面的に悪いです。

画一的な校則による指導は生徒のストレスを増加させ、教室での居心地の悪さを助長する。
校則は、学校や保護者の都合で発生したものが多く、そのため学校でしかあり得ないものが多い。つまり社会に出たら使えない。それを守り、児童の権利を侵害することは本当に必要なことなのか。

校則にはリスクと利益がある。

校則の定義(児童の権利に関する条約での定義)
児童生徒等が健全な学校生活を営み、より良く成長発達していくための一定の決まりであり、これは学校の責任と判断において決定されるべきものであること。

校則には法的根拠がない。うまり、現在の学校現場では法的に明確な根拠のないまま子供たちの基本的人権を拘束によって制約している。
そして実際に国連子供の権利委員会からの指摘があり、学校制度において子供が参加する権利が制限され、意見尊重が限定的にっていると勧告されている。

また、校則は経済面への影響も大きい。
正直自分の感覚では「靴下くらい買えるだろ」
くらいだが、
実際はそれすら厳しい、苦労している保護者をみて言えない児童もいることは間違いない。

私たちが過ごしてきた学校生活は、集団の中でも他者と同じように揃って行動することを強要するシステムだった。

男の子は男の子らしく
女の子は女の子らしく
というのは性の多様性が少ない。
これは大前提となっている。たしかに経験がなければ仕方ない面もあるが、自分の常識を疑うということは教員にとって重要な点である。
制服などが理由で不登校になるトランスジェンダー生徒はMTF、FTMそれぞれ33,4%。
Xジェンダーの不登校経験率は27%

制服の役割
①着心地や安全性など被服としての実用的な機能
②組織集団のユニフォームとしての心理社会的機能
学校への帰属意識による問題行動のブレーキ。
あとは、着心地という面でも、1日、毎日来ていられる制服は強い

ルールはそもそも、価値観の異なる多様な人間が互いに尊重し合いながら生きるためにある。学校がこうした目的を逸脱した特殊なルールを運用して良い空間であってはならないが、子供たちのためという(実際はそうでない)理由でまかり通っている。
ルールを管理のために使うから子供の生きる力が削がれる。
そもそもルールからの逸脱は、何か生徒の心身精神の問題の現れであり、チャンスである。ルールから逸脱してる、なんだお前は!ではなく、なんかあったん?でありたい。
校則は大人のものではなく、
「子供自身が考えたり参加したりして決めるものでありべき。」

高速を厳しくした結果ひこうが改善されるのはかくしんできない。

先生が、
「世の中には理不尽なこともある」といって校則を強いるのはおかしい。思考停止だ。
子供たちは
「自分で理不尽に気づき、声を上げられる人材を育てるべき。学校をもっと温室化して社会を温室化したい。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?