「ラブリー」 1
第1章 指輪狂想曲
みのりん、というのは、仲良しの斉藤実里のあだ名だ。もう高校1年の頃からずっとそう呼んでいるので、7年間は呼んでいることになる。
そのみのりんの左手の薬指に、この度真新しい、傷ひとつないダイヤの指輪がはまった。
「おおー」
私…藤崎瑠璃は、腹の底から感激の声を上げた。っていうか、変な声が出た、というのが正しいかもしれない。
「うふ」
みのりんはニコニコしながらそれを眺める。
「私、4月生まれだから、ダイヤが誕生石なの」
それを羨ましそうに眺めるのは、みはるん…みのりんの双子の妹だ。斉藤美晴という。
「私も誕生石ダイヤなんだけどなあ…」
何もついていない自分の左手薬指を見つめる。
「みのりんはいいなあ。まあ、なんだか一番最初に結婚しそうな気はしてたけどね」
私たち3人は、高校3年間を同じクラスで過ごした親友同士だ。
現在は23歳。4月生まれの双子は24歳か。なんだかんだずっと一緒にいて、ずっとお互いの様子を見守っている。
彼氏ができたのも、3人とも高校1年の時。
まずはみのりんに彼氏ができた。クラス1の秀才で、かつイケメンで社交的で人気者という、どうにもすごい人と突然お付き合いを始めたのを覚えている。
それが同級生の長山修二くん。23歳。
どっちかというと非社交的で人馴染みの悪い私ですら、この人とは友達だと思ったくらいには人懐こくて、何より真面目な人だ。恋愛感情を持ったことはないけど、好ましい人だとは思っている。
現在は東京の区役所に勤めている。
そして、私。
将来に不安を感じていた私とみはるんが、修二くんに相談した結果、彼のお兄さんが家庭教師に来てくれることになった。
抜け目のない感じの弟に比べて、抜け感しかない感じだけど、心底優しくて人のことばかり考えている…それが、私の彼、3歳年上の長山聡太さん。早生まれで、今は26歳。
教えてもらっているうちにどうにも気になる存在になって、来てもらって2ヶ月もしないうちにお付き合いすることになっちゃって、そのままずっと。
現在は横浜の中学の先生。
さらにその後、みはるんは、聡太さんの高校の後輩であるところの柴田薫さん…この人のことは私たちは薫(くん)ちゃん、と呼んでいるけど…と知り合うことになる。
この人は研究者になるのが夢で、現在は大学の博士課程の1年生だ。私たちよりも一学年上で、24歳。
同じ時期にお付き合いを始めたそれぞれの彼氏と、なんだかんだずーっと一緒にい続けている私たち…その最初に、みのりんが一抜けた感じだ。
「婚約指輪」
「そう、婚約指輪」
「兄を差し置いて…弟が…」
私はなんとも理不尽なことを口にしていた。ええ、3歳年上のお兄様からはそういうお約束はいただいていませんよ?
「3人の中で一番年下の修二くんが…」
みはるんも理不尽なことを続ける。別に年齢は関係ないし、みんなお付き合いしている年月は大体一緒なんだから、…ってことは7年くらい付き合ってるんだから…いつどうなったってかまわないはず。
でも、というか、だからこそ、私たちは言いたかったんだ。
「私だって、今これもらっちゃうの、不安なんだよ」
みのりんがちょっとため息をつく。
「就職したてだし、まだ訓練中だし」
みのりんはずっと目指していたキャビンアテンダントに、一年就職浪人してやっとなったばかりだ。
背も高いし顔は文句なく美人、頭もいい…それでも就職浪人が必要なくらい、狭き門なのだ。…まあ、そうよね…人気の職業だもんね…。
「乗務するようになったら、お家にいられるのって4日に1日くらいになるのよ、あとは外泊」
「修二くんは公務員だもんね…ちゃんちゃんと土日休み…」
「そうなのよ。お休みが合わないの」
みのりんはキラキラひかるダイヤを眺めながらもう一度ため息をついた。
「うまくやっていけるかしら…」
それでも、やりたい仕事を無事に掴んだみのりんを、私は眩しく思う。
私はもともと、小説家になりたい夢を持っている。でも、いくら作品を投じても、なかなか賞というものは取れるものではない。
現在は小さな会社で翻訳の仕事に就いている。独立系のほんの小さな会社だけど、まだ日本に紹介されていない本を探して紹介していくやり方が気に入って入社した。
でも、これを生業にしていきたいと思っているわけではなくて、本当は小説家になりたいという夢を抱えたまま、まだ燻り続ける気持ちを抱えて仕事をしている。
これから先どうしていこうか、見えてこない。
みはるんも多分、みのりんを眩しく思う一人だ。
彼女の抱える事情は複雑で、薫ちゃんが博士課程を終える再来年の春には渡米するかもしれない、ということがある。
彼と一緒にアメリカに行くとしたら、日本で就職はできない。だから、モラトリアム的に今は大学院に通っている。大学に入るときに浪人しているから現在大学院修士1年生。
ただ、一緒にアメリカに渡る…つまりは結婚の約束を、彼女もしているわけではない。
「いいなあ、みのりんは…」
これは、私とみはるんの本音の中の本音なのだ。先行きが少なくとも明確になっているということは、私たちにとってはダイヤよりも輝くものに見える。
窓の外を見ると、夏の日が燦々と照り付けている。
ちょっと冷房のきついカフェで、私たちは揃ってコーヒーを飲んでいた。行きつけのお店で、マスターが気が利いている。カップはブランドの可愛いのをそれぞれに合わせて出してくれる。
私のところに出てきたのは、イチゴ柄のカップ。みのりんにはピンクの花柄で、みはるんには水色の幾何学模様。毎回毎回このカップで出てくるので、マスターが私たちに抱いているイメージはこれで固まっているのだろう。
その「イチゴ柄」の私は、美人で背が高い双子に比べて、いかにもちんちくりんだ。何しろ身長が135センチしかない。イチゴね、はいはい、っていう感じ。
私は窓から入る西陽に、自分の右手薬指の指輪を透かした。灰色に近いブルーが、角度によって色を変える。
「それは?」
みはるんが指を指した。
「うん、アイオライト。9月の誕生石の一つなんだって」
この間、なんの記念日でもない日に、聡太さんがふと買ってくれたものだ。わざわざ指のサイズに合わせてお直しまでしてくれて、この間やっと私の指に収まった。
「こっち、じゃないんだ」
みはるんは自分の左手の薬指を指差す。ううん、と私は首を横に振って、苦笑する。
「違うよ、そういう指輪じゃない。ファッションリングだよ」
淡い、なんとも言えないすみれのような青に、土台のゴールドが可愛い指輪で、いかにもあの人が選びそうな感じだ。でも、みのりんの指輪と意味合いは全く違う。
「みのりんはいつ頃結婚する予定なの?」
私はまた彼女のダイヤに目をやった。
「結婚式、みはるんは当然出るとして、私呼んでもらえるよね?」
「当たり前じゃない。スピーチやってよ」
みのりんは私の肩をトンっと叩いた。
「んっとね、来年の6月にはって話になってる」
「ジューンブライドかあ。いいなあ」
「その頃には私の仕事の見通しも立っていると思うし…」
いいなあ。
この美しい人が、真っ白なウェディングドレスで、トレーンを引きながらバージンロードを歩く…なんて素敵な光景なんだろう。
私の妄想脳がぱあっと輝いた。
大きな目がキラキラと輝き、まるで絵画のように左右対称の口元が喜びでキュッと引き締まっている…。
そして、巻毛の天使がそのまま大人になったみたいな修二くんが、長い手足をタキシードに包んで待っている。
うわあ。
絵だ。絵でしかないぞ。そんな美しい光景、ぜひ見たい…。
…と同時に、やっぱり何か置いて行かれたみたいな気持ちになってしまう。
「…3つも年上の兄を差し置いて…」
「また言ってる」
みはるんが笑う。
「3つも年上って言っても、聡太さんだってまだ26歳だし、男の人としてはまだ結婚する年齢じゃないわよね」
「したっていいじゃん」
私の唇は、いつの間にか尖っていた。
「日本人は18歳から結婚する自由があるんだから」
「何言ってんの瑠璃ちゃん」
みはるんは高らかに笑った後、急に真顔になった。
「わかるわそれ」
二人と別れた後に、私はスーパーに寄って今晩の夕食の食材を物色した。
お料理はどちらかというと苦手だ。お掃除はもっと苦手だ。基本的に家事は向いていない。
「茗荷が美味しそうだな…茗荷とかき卵のお味噌汁、決定」
それから豚肉と野菜の炒め物。あとはお漬物やお惣菜でテーブルをなんとかする。
そして、絶対欠かせないのはチクワとキュウリ。それに枝豆だ。
家に帰ればビールが冷えている。おつまみは必須。
「ただいまー」
「おかえり」
冷房の効いた部屋の中で、ランニングシャツと短パンの…もはや半裸に近い格好で寝転がっているのが、私の彼である聡太さんだ。
「暑いー」
「暑いね」
「ビール飲むー」
「飲むよねこれは」
私が冷蔵庫に買ってきたものをしまっているのを彼は、後ろから、というか後ろのずいぶん高いところから覗き込む。身長差、実に45センチ。
「今日何食べるの?」
「茗荷のお味噌汁と炒め物」
「オッケー、じゃ俺何やる?」
「食材は切るから、炒めるのやってくれる?」
私たちは同棲している。一緒に住み始めて1年とちょっと。私が社会に出てすぐに、彼が一人暮らしをしているお部屋に転がり込んだ。
長い付き合いなので、私の両親も、彼の両親もなんの反対もしなかった。あたかもそうなることが当然のように自然に一緒に住み始めた。
二人で一緒にいて、何一つ困ったことがない。
ご覧の通り、家事はほぼ完全に分担制だ。というより、むしろ彼がやってくれることの方が多いかも。二人ともできないお片づけはどうにもならないので、部屋は雑然としているけれども。
私は現在それほど残業があるわけでもなく、彼は学校の先生で部活動の顧問も生物部を任されているだけなので、大体定時で帰ってくる。
二人とも土日休み。時々お外でお茶して帰ってきたり、面倒な時は外食をしたりしている。気楽な関係だ。
夕食の支度を済ますと、私はいつもの通りチクワにキュウリを詰める。それと枝豆でビールを楽しむ。
「お疲れ様!」
そうして乾杯をするのも日課だ。
グラスを持った私の手に可愛く光るすみれ色の石を、聡太さんはにこにことながめた。
「それ、可愛かったな。よく似合ってる」
「うん、ありがとう。可愛い」
私ももちろん、まんざらでもない気持ちでそれを眺める。
「そう!」
私は今気づいたかのように…本当は話すきっかけを待っていただけなんだけど…話し始めた。
「みのりんと修二くんのこと、知ってた?」
「俺も今日、奴から連絡もらった」
そこから…
私たちは、何か気まずくなって、一瞬黙り込んだ。別に気まずくなる必要はなかったんだけれども、お互いがお互いに「何を言い出すだろう?」って探りを入れた感じになったわけだ。
「まだ修二くん、私と同い年なのに、思い切ったよね」
「まあ、働き始めて2年目だし、付き合っては7年だよね…それはそれで、いいんじゃないかと」
聡太さんは、あたかも何も考えていないかのように、鼻歌でも歌うかのように返事をしてきた。でも、目がこちらを窺っているのがわかる。
多分「私たちは?」って聞かれるのを待っている…もしくは、警戒している?のだろうか。
なぜなら、私がそう思いながら彼の目を窺っているから。
でも、私は素直じゃないから…それはたっぷり自覚しているんだけど…そう聞くことができなかったし、彼も言い出さなかった。
あなたはどうしたいのよ?
私の頭の中で、そんな言葉が渦巻いた。
まあ、ランニングに短パンのゆるゆるの格好で、このタイミングでプロポーズされても困るし…私だって、ヨレヨレのΤシャツにスウェット姿だし、これじゃロマンも何もあったもんじゃないから、いいんだけど。
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