20世紀の歴史と文学(1947年)

1946年に公布された日本国憲法は、ちょうど半年後の1947年5月3日に、施行された。

この憲法が施行されたことによって、明治時代から長らく続いていたある制度が廃止されたことは、意外と知られていない。

憲法第14条をご存じだろうか。

【第十四条】
すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。 

なんだ、それなら知ってるよと言う方もいるだろう。

問題は、同じ第14条の第2項に定められた内容を知っているかどうかである。

「華族その他の貴族の制度は、これを認めない。」

この条文が定められたことで、明治時代から続いていた「華族制度」は廃止されたのである。

そもそも、なぜ華族制度が作られたのか、華族とはどういった人たちなのかを理解していないと、憲法に定められていることも分かっていないことになる。

加えて、この華族制度の廃止によって没落した華族たちの様子を描いた文学作品についても、時代背景が分からず、物語の世界に入り込めない。

ここまで読んで、ある作家の名前とベストセラーとなった小説のタイトルが思い浮かんだ人は、さすがである。

そう、太宰治の『斜陽』である。

現代の私たちにとっては、すっかり馴染みのないものになっているが、華族制度の廃止によって、それまで上流階級の身分を示していた①公爵(こうしゃく)、②侯爵(こうしゃく)、③伯爵(はくしゃく)、④子爵(ししゃく)、⑤男爵(だんしゃく)という5つの呼称は使われなくなった。

江戸時代の身分制度を思い出してほしい。

武士や町人、百姓がいたほか、天皇や公卿、僧などがいた。

武士というのは、徳川家の将軍もそうであるが、全国各地の藩主もそうである。

これが明治時代になると、武士の特権は廃止されて、廃藩置県により藩もなくなり、代わりに各府県に知事が置かれたわけである。

たくさんあった藩は、今の47都道府県の原型ができるまで、かなりの数が統廃合された。

ということは、それまでの特権階級の人たちの存在意義も薄れてくるし、一般庶民との線引きをするための新しい制度が必要になるわけである。

そこで、天皇に近い存在である人たちは皇族、公卿や武士の中で身分が高い人たちは華族、一般的な武士は士族、庶民は平民という分け方をして、明治政府のもとで「四民平等」のスローガンが発出された。

華族には、公卿だった岩倉具視、江戸時代最後の将軍だった徳川慶喜、伊藤博文に大久保利通などが名を連ねた。

そして、特権階級ゆえに、今の時代なら猛批判を浴びそうなことが、当時はまかり通っていた。

その特権とは、一に財産を差し押さえられないこと、二に無試験で入学ができて進学も保証されること、三に選挙で選ばれなくても貴族院議員として政治に参加できることである。

華族の子弟のための学校が、今の「学習院」の前身だったのである。

そんな華族が制度廃止によって没落する様子を象徴する言葉として「斜陽」は、太宰の作品がベストセラーになったことで、世の中に広まっていった。

「斜陽産業」という言葉も、高度成長期の後に日本経済が低迷すると聞かれるようになった。





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