【続編】歴史をたどるー小国の宿命(62)

綱吉の時代の「生類憐れみの令」は、現代でいえば、昭和48年(1973年)に制定された「動物の愛護及び管理に関する法律」(動物愛護管理法)にあたる。

動物愛護管理法は、今でも改正が重ねられながら、私たちの生活の中で適用されている。

ところが、綱吉の「生類憐れみの令」は、綱吉が死去してからは、一部の規則は残されたものの、ほとんど廃止されてしまった。

それだけ悪法と呼ばれて、庶民の生活を苦しめたのである。

昨日の記事では、綱吉が幼少期に身に付けた高い倫理観が、生類憐れみの令につながったということに触れた。

生命尊重という一見、崇高な精神にも思えるこの考え方は、綱吉の政策では、行き過ぎたところがあったのである。

例えば、ちょうど今の時期に、私たちが悩まされている蚊についても、生類憐れみの令の適用対象だった。

当時の町人が、蚊を実際に叩いて殺しただけで、投獄されたという記録が実際に残っている。

今では考えられないことであるが、これには、幕政サイドにも事情があったとみることもできよう。

現代の私たちでさえ、蚊を叩いたら刑務所行きだなんて話を聞いたらアホらしく感じるのだから、当時の庶民の受け止め方も同様だったはずである。

今の時代より、障害者や身分の低い人への差別意識が強かった時代である。「生類憐れみの令」のお触れが出たところで、誰が真に受けるだろうか。

最初は、蚊のような小さな虫まで適用することは、綱吉も考えてはいなかったはずだ(と信じたい)。

だが、決められた規則をほとんどの人が守らないと、結局、施政者サイドのメンツに関わることになるのは容易に想像できよう。

孔子の教えから道徳的精神を身に付けた綱吉にしてみれば、自分の学びを否定されたような気分になったかもしれない。

そうなると、法の効力をもっと持たせるために、取り締まりを強化するだろうし、適用範囲をさらに広げて、庶民の認知度を上げようとするだろう。

さて、現在、マイナンバー法で世の中が揺れ動いている状況であるが、施政者の次の手は、いったいどうなるのだろうか。

時代は違えど、政治の考え方は、案外、根底では変わっていないのかもしれないのである。




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