現代版・徒然草【59】(第97段・人の宿命)

生きていたら、さまざまなことがある。

何の障害もなく、自由気ままに振る舞えることなど、誰にもありえない。

蚊に刺されたくなくても、生きていたら刺されるのは仕方がないことだ。

では、原文を読んでみよう。

①その物に付きて、その物をつひやし損(そこ)ふ物、数を知らずあり。
②身に蝨(しらみ)あり。
③家に鼠(ねずみ)あり。
④国に賊あり。
⑤小人(しょうじん)に財(たから)あり。
⑥君子に仁義(じんぎ)あり。
⑦僧に法あり。

以上である。

①で兼好法師が言いたいことが分かったら、後に続く②〜⑦の文は、「なるほど」と理解できると思う。

①の文では、その物に取り付いて、それから何かを奪い(あるいは縛りを与え)、ダメージを与えるものは、数え切れないほどあると言っている。

先ほどの例では、蚊が人間の肌に取り付いて、そこから血を吸い、その結果、人間の肌が腫れるということになる。

②では、シラミが取り付くことを挙げている

③のネズミは、天井裏に住みついて、人の家の柱をかじり、家にダメージを与える例である。シロアリも同様である。

④では、何人も等しく居住する権利が与えられている以上、国内には、悪さをする人間はいるということだ。

⑤⑥に登場する「小人」と「君子」は、徳がない人とある人(=高徳な人)で対比的に使われている。

⑤⑥の文は、兼好法師が愛読していた中国の古典『荘子』からの引用である。

徳がない人は、お金に溺れて浪費してしまう。君子のように高徳な人は、本来の姿であればそこまで葛藤はないかもしれないが、君子である以上、仁義に縛られる。

最後の⑦の僧侶も、仏法に縛られる。

出世欲が強い人は、社長だったり部長だったりそれなりの役職に就くことにものすごく執着するが、逆に役職に就いてしまったことで、それに相応しい振る舞いや言動が求められる。責任も取らなければならない。

それでもそのポストを望むかというと、私は望まない。

結婚して子どもをつくるかどうかも、いっときのラブラブモードに任せてできてしまってからでは、すでに養育責任が発生するから向き合わざるを得なくなる。

そういう人から、独身はいいよねと羨まれても、子づくりの覚悟についてしっかり考えなかったあなたが悪いんですよ、と言われるのがオチである。

ちなみに、兼好法師は生涯独身であった。気楽な人生だったことだろう。





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