古典100選(48)歌意考

江戸時代は、本居宣長のほかにも国学者がいた。

本居宣長が34才だったときに、67才だった賀茂真淵(かもの・まぶち)は、万葉集の歌について1764年に『歌意考』(かいこう)という歌論書を書いている。

これまで詠まれてきた和歌について、万葉集の歌が詠まれていた奈良時代に立ち返るべきだと主張し、本居宣長と同様に、日本人の純粋な心が詠まれた歌を取り上げ、和歌の本質を説いている。

では、原文を読んでみよう。

おのれ、いと若かりける時、母刀自(とじ)の前に、古き人の書けるものどものあるが中に、 

香具山を

①古(いにし)への    ことは知らぬを    我見ても
久しくなりぬ    天の香具山

子の唐土(もろこし)へ行くを、その母

②旅人の    宿りせむ野に    霜降らば
わが子はぐくめ    天の鶴群(つるむら)

つまの伊勢の行幸(みゆき)の大御供(おおみとも)なるを

③長らふる    つま吹く風の    寒き夜に
わが背の君は    ひとりか寝らむ

筑紫より上る時、女に別るとて

④ますらをと    思へるわれや    水茎の
水城の上に    泪(なみだ)拭はむ

題しらず

⑤下にのみ    恋ふれば苦し    紅(くれない)の
末摘(すえつむ)花の    色に出(い)でぬべし

物語

⑥ある時は    ありのすさみに    語らはで
恋しきものと    別れてぞ知る

旅 

⑦名ぐはしき    印南(いなみ)の海の    沖つ波
千重(ちえ)に隠りぬ    大和(やまと)島根は

⑧淡路の    野島(ぬしま)が崎の    浜風に
妹が結びし    紐吹きかへす

などいと多かり。

こをうち読むに、刀自ののたまへらく、
「近ごろ、そこたちの、手習ふとて、言ひあへる歌どもは、我がえ詠まぬおろかさには、何ぞの心なるらむも分かぬに、この古へなるは、さこそとは知られて、心にも染み、唱ふるにもやすらけく、雅(みやび)かに聞こゆるは、いかなるべきこととか、聞きつや」と。 

おのれも、この問はするにつけては、げにと思はずしもあらねど、下(くだ)れる世ながら、名高き人たちの、ひねり出だし給へるなるからは、さるよしこそあらめと思ひて、默(もだ)しをるほどに、父のさしのぞきて、
「誰もさこそ思へ。いで、もの習ふ人は、古へに返りつつ学ぶぞと、かしこき人たちも教へ置かれつれ」などぞありし。

にはかに心行くとしもあらねど、「承りぬ」とて去りにき。 

とてもかくても、その道に入り給はざりけるけにやあらむなどおぼえて過ぎにたれど、さすがに親の言(こと)なれば、まして身罷(まか)り給ひては、文(ふみ)見、歌詠むごとに思ひ出でられて、古き万(よろず)の文の心を、人にも問ひ、をぢなき心にも心をやりて見るに、おのづから、古へこそと、まことに思ひなりつつ、年月にさるかたになむ入り立ちたれ。

しかありて思へば、先に立ちたる賢(さか)しら人にあどもはれて遠く悪き道にまどひぬるかな。

知らぬどちも、心静かにとめゆかば、なかなかに良き道にも行きなまし。

歌詠まぬ人こそ、直き古へ歌と、苦しげなる後のをしも、わいだめぬるものなれと、今ぞ、迷はし神の離れたらむ心地しける。

以上である。

冒頭にあるように、賀茂真淵が若かったときに、母から万葉集の歌の良さについて聞かされたわけであるが、父からも「ものを習う人は昔に立ち返る」とアドバイスを受けて、しばらくいろいろと調べていると、古代の歌こそ真の心を詠んだものだと気づいたのである。

飾り気がなく、純粋に表現するほうが、聞く人にとっても心打たれるものがあるということは、現代の私たちにも通じる。

変にカッコつけて中身のない演出など、一時はウケてもすぐに飽きられて長続きしないのは、そういうことなのだ。

100年以上、歌い継がれる唱歌が良いお手本であろう。

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