法の下に生きる人間〈第94日〉

生活保護を受けている人が身近にいるという人も、まさに自分自身が生活保護を受けているという人もいるだろう。

ただ、生活保護を受けている人は、基本的に、年齢や体力に応じて働くことが求められている。

そして、収入を得たら、きちんと給料明細の写しなどを添えて申告をしなければならない。

これは、生活保護法の第60条と第61条に定められていることなので、福祉事務所等の職員は、この条文に則って、受給者に指導や指示を行っている。

(生活上の義務) 
【第六十条】
被保護者は、常に、能力に応じて勤労に励み、自ら、健康の保持及び増進に努め、収入、支出その他生計の状況を適切に把握するとともに支出の節約を図り、その他生活の維持及び向上に努めなければならない。 

(届出の義務) 
【第六十一条】
被保護者は、収入、支出その他生計の状況について変動があつたとき、又は居住地若しくは世帯の構成に異動があつたときは、すみやかに、保護の実施機関又は福祉事務所長にその旨を届け出なければならない。

以上が当該条文となるのだが、実際のところは、働けるのに働かずに受給金を遊興費に使って、家賃や子どもの学校の給食費などを滞納している人も少なくない。

そもそも生活保護法は、日本国憲法でいう「健康で文化的な最低限度の生活」を保障するための法律である。

心身の故障などで本当に働ける状態でないのであれば、それは致し方ないことであるが、本来、子どもの養育費や住居費、毎日の食費に充てられるべきお金を他の目的で使うのは、憲法の理念にも反する。

それが認められるなら、みんなが働かなくてもよいことになる。

では、なぜ働かないといけないか。

意外と知られていないことだが、日本国憲法の第27条では、国民の勤労の義務について明記されている。

【第二十七条】
すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ。

国民の三大義務というのが、憲法では定められているが、納税の義務(=第30条)と教育を受けさせる義務(=第26条第2項)に加えて、この勤労の義務がある。

働くことは、権利でもあるし、義務でもある。

人のために働きたい人や、自分の生計を立てるために働かざるを得ない人もいる。

でも、お金に困らない暮らしをしていて働かないのは、そういう人が多ければ多いほど、国家レベルでは国益を損なうことにつながるし、個人レベルでも毎日の生活に影響が出る。

例えば、自衛隊の募集をしても志願者が少なかったら、国防において危機管理に対応しきれない。災害時に、自衛隊に支援を要請しても、そんなにたくさん人を出せないことになる。

公共交通機関だってそうである。バスや電車の運転手が少なければ、運行本数を減らさざるを得ないし、いくら限られた人材でギリギリ対応できたとしても、一人の人間の労働時間は増えるし、そういった人の疲労の影響で思わぬ事故が起きる可能性もある。

だからこそ、みんなが協力してさまざまな分野で働き、日々の暮らしのニーズに応じたサービスを提供するのは必要だし、「お金があるから働かなくてもよい」という考え方は、憲法の理念である公共の福祉に反する。

ただ、公共の福祉の実現には課題もある。

続きは明日である。


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