20世紀の歴史と文学(1908年)

東京株式市場が大暴落して1年が経ち、国民の生活はすっかり疲弊してしまっていた。

株式市場が暴落したのは1月21日だったのだが、よりによって同じ日にこんなものを出すか?という耳を疑うニュースがあった。

増税法案が国会に提出されたのである。

当時の与党は、立憲政友会であり、第一次西園寺内閣が政権を担っていた。当然、国民が納得するはずもなく、野党は内閣不信任案を2日後の1月23日に提出した。

日露戦争のときでも軍費調達のために増税をして、さらに増税するのだから、当時の内閣も不信任案が可決されることは覚悟していたようである。

ところが、フタを開けてみると、決議結果は168対177で、かろうじて否決されたのである。

そんな中で、衆議院議員の任期満了に伴う1904年以来の衆議院議員総選挙が5月15日に実施されたのだが、西園寺公望が所属する立憲政友会は、政党の中では唯一議席を7つ増やし、379議席のうち187議席を確保した。

いつの時代も、増税反対の声が国政になかなか反映されないのは同じなのである。

ちなみに、増税法案はすでに通っており、3月16日に増税法は公布されていた。それで、この選挙結果だったのである。

当時の投票率は85%であり、低投票率が当たり前の今の時代では考えられないが、有権者の資格は限られていた。

当時、選挙に行けたのは、直接国税を10円以上納めた25才以上の男子だった。

当初、1890年の第1回衆議院議員総選挙では、選挙権を持つ有権者は、直接国税を15円以上納めた25才以上の男子だったのだが、1900年に衆議院議員選挙法が改正されて、納税額を「10円以上」として引き下げたのである。

そうすると、今までより有権者が増えることになり、当然、各政党に入る票も投票率が高ければそれだけ増えることになる。

ただ、直接国税を10円以上払っている有権者とは、どんな人なのか考えてみよう。

国税とは、所得税と考えればよい。そして、当時の円の価値は、今とは違うのだが、15円は今で言うならば約11万円、10円は約7万円に相当する。

所得税は、給与等の収入にかかるものであるから、所得税11万円を払っている人は、今で言うならば、年収400万円以上の人だった。

当時の年収400万円は、今の時代の富裕層である。そんなに稼ぐ人はほとんどいなかった。

日々の暮らしがギリギリの人が選挙で自分の意思を反映させることなど、とうてい無理だったのである。

さて、今はどうだろうか。

18才以上の男女であれば、選挙で自分の意思を反映させることは可能である。

政権への不満は、今こそ当時と同じくらい大きいはずなのに、この低投票率では、昔と一緒である。





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