歴史をたどるー小国の宿命(56)
1181年、高倉天皇(正確には上皇)と平清盛が相次いで亡くなった。
第81代の安徳天皇は、すでに1年前に即位していたが、まだ3才だった。
父親も亡くなり、清盛もいなくなり、残ったのは、母親の徳子(清盛の娘)と祖父の後白河法皇であった。
そして、清盛の子どもで、五男の平重衡(しげひら)が中心になって、反平家勢力に立ち向かうことになる。
すでに、1180年に、後白河法皇の第3皇子だった以仁王(もちひとおう)が、打倒平家の令旨(りょうじ)を発出していた。
それを受けて、源義仲をはじめ各地の源氏勢力が反乱を起こした。
蛭が小島に流されていた頼朝も、最初は静観していたが、妻の政子の家系である北条氏を味方につけて戦いを始めた。
だが、最初は、小田原の石橋山の戦いで、雨のために計画が狂い、敗走することになる。
その後、船で今の南房総市にあたる安房国(あわのくに)に逃れ、体勢を立て直す。
そこから頼朝は、西へ西へと戦を進めていくのだが、北陸では源義仲が平氏と戦っていた。
この義仲と頼朝は、従兄弟同士なのであるが、のちに二人は対立するのである。
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