古典100選(10)伊勢物語

コロナ禍が始まった2020年に、小説家の高樹のぶ子氏が『小説伊勢物語    業平』を世に発表したのは記憶に新しい。

読書好きな人なら、すでに読んだ人もいるのではないだろうか。

伊勢物語は、紫式部の『源氏物語』よりも昔の時代に書かれたとみられ、物語の登場人物の「男」は、実在した在原業平(ありわらのなりひら)ではないかといわれている。825年から880年まで生きていたといわれ、藤原道長よりもはるか昔の時代の人である。

伊勢物語は、地名の「伊勢」はあまり関係がなく、在原業平の元服から死ぬまでの生涯が、全125段にわたって書かれているという。

その中でも、最初のほうの第5段は、比較的短い文章で読みやすい。

では、伊勢物語の第5段の全文を読んでみよう。

①むかし、をとこありけり。
②ひむがしの五条わたりに、いと忍びていきけり。
③みそかなる所なれば、門よりもえ入らで、童べの踏みあけたる築地のくづれより通ひけり。
④人しげくもあらねど、たびかさなりければ、あるじきゝつけて、その通ひ路に、夜ごとに人をすゑてまもらせければ、いけどえ逢はで帰りけり。⑤さてよめる。 
⑥人知れぬ    わが通ひ路の    関守は
宵々ごとに    うちも寝なゝむ 
とよめりければ、いといたう心やみけり。
⑦あるじゆるしてけり。
⑧二条の后にしのびてまゐりけるを、世の聞えありければ、兄人(せうと)たちのまもらせ給ひけるとぞ。

以上である。

①②を訳すならば、「昔男(=在原業平)がいて、(京都の)東五条付近の(女性の家)に、お忍びで通っていた」という。

③④を訳すならば、「人が通らない静かなところだったので、家の門から入らずに、土塀の崩れたところからこっそり(女性のいる屋敷に)入っていたのだが、度重なる侵入に、家の主人が気づいて、守衛を置くようになったので、その後は女性の家に行っても逢えなくなった」という。

⑤⑥を訳すならば、男は女性に歌を贈り、「人に知られていない通い路だったところに、毎晩のように立つ関守(=守衛)が、(私が行くときくらい)寝てしまってほしいものだ。」と詠んだところ、女性はひどく心を痛めたという。

結局、⑦⑧のとおり、女性の家の主人は、ショックを受けた女性の様子を見かねたのか、許すことになった。最後に、この女性の正体が明かされているのだが、「二条の后」というのは、実在した藤原高子(こうし)であり、後に清和天皇の后になった人である。

それだけ高貴な身分の家に、男(=在原業平)が出入りしていたわけだから、世間の評判を気にして、藤原高子の兄たちに見張らせていたということなのである。

平安時代の男女交際は、こんな感じだったのである。



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