現代版・東海道中膝栗毛【1日目①】
東京の神田にある八丁堀から、弥次郎兵衛と喜多八の旅は始まった。
当時の神田の八丁堀は、今はない。幕末の1857年に埋め立てられ、その場所の地名は、今では岩本町1丁目になっている。
街道の起点である日本橋には、歩いて行けるほど近い距離であり、当時の開けた景観を想像すると、現代に生きる私もワクワクする。
さて、東海道の旅の1日目は、神奈川県横浜市の戸塚区まで、40キロほどを歩いたそうだ。
1872年に新橋から横浜まで汽車が走るなど、当時の庶民は夢にも思わなかっただろう。
十返舎一九が生きていた時代は、まだ日本は鎖国状態であり、約50年後に黒船に開国を迫られることなど、誰が想像できただろうか。
今では、正月に開催される箱根駅伝のコースとなっている第一京浜道路(国道15号)をまっすぐ西へ西へと歩くと、横浜駅前で国道1号と合流し、そのまま戸塚まで行ける。
箱根駅伝の中継所にもなっているので、知っている人も多いだろう。
明日は、この街道の途中にある品川宿と、横浜にスポットを当てて、旅の楽しみ方を紹介したい。