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la la la 11. 7割で進んでくプロセスを大切に(by も)

こんにちは。今日、きちんと書かないと大切なことが逆さまに皆様に伝わってしまう恐れがあるので緊張しています。
「神は細部に宿る」という言葉があります。
わたしはこれを大切にしています。
じぶんがこれまで見てきた限り、どんな形でもその当人の望んだ形の結果を残している人たちは、他人から見た時に極度なまでのこだわりを、何かに対して持っている人が多いです。たとえば小さなスナックでも、お客様へのお釣りは全て新札でお渡しするよう準備をしている、とか、たとえば漫画家さんだと「目」だけは絶対にじぶんで仕上げるとか(これはほとんどの人がそうかな)、黒しか着ない、とか。先日テレビで「イカ専門」の画家の特集がありましたが、その人はイカしか食べない、そしてそのイカから抽出した、イカ墨の絵の具でイカしか描かない、そんな人でした。

ここまでは「わかるよ」って話で、自分もそうだという人多いと思うのですが、その「完璧」へのこだわりのあまり、何かを始めるのが億劫だったり、続かない人へ、今日は「まずは始めてみようか」ということがわたしはお伝えしたいのです。そしてそれを7割くらいの完成度で継続していくこと。

「理想と現実」という言葉って、今、言葉自体がネガティヴな意味合いでしか使われていない気がします。「理想と現実」というと「マイナスの話」って感じがしちゃうような空気。でも、ものごとのスタートから「理想どおり」に始められることってなかなかないと思うんですね。その潮目を待っていたら、いろんなことが遅れてしまう。だから理想と現実の間を埋めていくのが”戦略”であり”継続”であり”日々”だと思うのです。

わたしは今、知り合いの飲食店の経営に関するちょっとした相談役なんかも友情の延長でやっているのですが、とある人気メニューがあって、しばらく辞めていたのですが、それを新たに看板メニューとして復活することになりました。それは絶対に「持ち帰りたい!」とすぐになるタイプのメニューだから「持ち帰りに対してはどうする? 同時に対応できるようにしたほうがいいと思うけど」と言いました。それに対して料理人であるオーナーは、店で提供しているのと同じクオリティで持って帰るとなると......と容器とかソースの容れ物のことやそれをどこから仕入れるのか.....などで「すぐには難しい」ような言葉がありました。友人であるので、わたしは伝えました。「今、まずは職人としてのこだわりは捨てて欲しい。持って帰りたい、それに頑張って対応しますよ、というお気持ちからの、まずはサランラップでもいい。持ち帰れることを浸透させて、その持ち帰りで出た売り上げから、そのこだわりを形に変えて行ってほしい」
持ち帰りなんかサランラップでいい、と軽んじているんじゃないのです。
「完璧な状態で始めよう」とすると、スタートがどんどん遅れてしまう。
そこで大事なのが当初の目的がなんだったのか、です。目的を果たすためにスピードはあまり関係ないなら良いのです。
目的を果たすためにどれくらいのフットワークの軽さが必要か。

もちろん自分の中の「極端なこだわり」と、それによって「止まってしまう時間」への覚悟があれば、それでいいと思います。
わたしはもう何年も単行本を出していませんが、次に出す小説には極度なこだわりがあります。それはもしかしたら世間が求めていることとはずれているかもしれない。けれどもそれを優先している。そうなった時、わたしの小説家としてのタイムラインは表向きは止まっています。それに関してはそれでいいと思っています。ただ、わたしは当初、そっちのタイムラインを動かしてからではないとラム子を始めてはいけない気がしていました。でも、時代は今、そうではないと、感じたのです。これに関してはそっちと関係なく、今すぐに始めて、拙くても続けていくべきだと。

昔のように何か始めるのにある一定の初期投資がかかる時代は終わりました。コストを抑えようと思えば今はもうほとんど0円でいろんなことを始められる時代になりました。まず本人のポテンシャル(素質)とモチベーション(やる気)だけで事がスタートして、それにいろんな事が肉づいてくる時代です。
準備してドカン!じゃなくってじわじわの時代。

今日、わたしが書くのを緊張していると言ったのは時代が変わったから「こだわり」を捨て、スタートアップの早い、スピードの時代に対応せよ、と言っていると誤解されたからとても危険だなと思っているからなんです。
そうではなくって、
そういった時代背景をかんがみながら、自分のこだわりの置き所をはっきりと定めて、その中でじゃあ理想と現実の間で「ここはじゃあしょうがないか」という部分を決めスタートし、トータルとして”ほどほど”で継続しつついかにそれを”完璧な形”まで持っていくのかということなんです。
こだわりは絶対に捨てないで欲しい。そしてそれ以外を捨てて欲しい。

例えばわたしは毎日の投稿につけている「タグ」を、本当は全然気に入っていません。スピチリュアル、とか、アセンション、とか、占い、とか、オカルト、とか、その限定される箱に入れることで「ほんとうはそうじゃないことを書いている」のに、それらをちょっと苦手だなと思う人には「そういう系ね」と思われてしまいます。もっと広く「生きていてあたりまえのこと」としてこの概念を伝えていきたい、だから「ラララ世界」としていて、願わくば「ラララ世界」というジャンルになって欲しいぐらいです。そしたらタグは1つですみます。でも。「伝える」ことが目標のこのマガジンは、その「伝わり方」にまでこだわっている場合じゃないのです。伝わり方へのこだわりが、たくさんの人に伝える機会を損失してしまう。
だから今は、入り口になると思える、いろんなタグをつけています。

「理想と現実」という言葉が、プロセスの重要性を見誤らせているとわたしは思います。「理想」はゴール地点であって「現実」がスタート地点です。
「理想と現実」にギャップがあるということでスタートできないってもはや、駅伝とか全て中止、ですよね。笑。
プロセス(過程)がなければ「理想」と「現実」は常に別の場所にあって、自然に重なることはあまりありません。(長い時間経過の中で起きることはあるでしょう)

プロセスは「過程」ですから、完璧じゃありません。でも仕方ない。プロセスなんだもの。
世の中の「カリスマ」たちはカリスマとなった現状を特集されるので、貫いているマイスタイルの全て、みたいなものがメディアでは映し出されます。けれども彼らだってそのプロセスの中では、呑みたくない提案を呑んだり、
逆に呑まないことで逆境に立たされたりしながら、理想と現実の間を行ったり来たりしてここまで来たはずです。

大事なのは「始めてしまうこと」そしてとにかく「続けること」です。
7割くらいの完成度で、試行錯誤しながら。
わたしも毎日、ちょっと長かったかなあとか、もっとぴったりくる写真あったかなぁ、なんて思いながら、続けています。笑。

それではらるらるらん♪
ラララ世界で会いましょう☆ 

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<ラム子より不器用さんたちへ>
「東の魔女」に聞きたいことがあれば、気軽にコメントしてくださいな。
それをテーマに次の記事を書くなど、一緒にこのマガジンを作っていきたいと思っています♪ la la la♪


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