爆竹

ものごとは広く浅く、人は狭く深く好きになりがち。

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最近の記事

「〜したい」と「〜できるようになりたい」の違い

色んなアーティストの、イラストメイキングだとかエッセイだとかを見たり読んだりした時、こう思う事はないだろうか。 「私もこんな風に描けるようになりたい!」 「自分もこんな文章を書きたい!」 そこには相手への憧れや羨ましさがあったり、相手の持つ表現力が自分にもあったら、と願う心があったりするんだよね。 私にもある。 絵の具で綺麗なグラデーションを作って、その上から黒い絵の具で森やら街並みやらを描き足して最後は白で星をちょんちょんちょんと描く。最近インスタに流れてくる海外アー

    • 自分が敵でしかなかったとは思いたくないけど、

      私が一番恐れたのは、自分の目だ。 私を一番貶したのは、自分の声だ。 だから、自分に何を思われても、私はそれを跳ね除けてその声を無視しなければいけない。 だからもう私は、私から自分を切り離して、しようと思ったことは自分が何と思おうとするんだ。

      • 分かりやすく書けない。 昔から「自分語」とでも言うのか、自分の頭の中では完全に理解していて、自分にとって分かりやすいけど他者にはあまり伝わらない言い回しみたいなのがたくさんある。 それを一般的に伝わる言葉に置き換える(自分語で言うところの「一般語に翻訳する」こと)がだいぶ面倒。

        • 得体の知れぬ洋館の主。

          昼間でも薄暗い、しゃがれた木々がざわめく不気味な森。命の気配は乏しいのに、光を必要としない「なにか」は棲んでいそうな、そんな森。 見上げてじっと目を凝らせば、陽の光を覆うそれは木々ではなく無数の鳥であることが伺い知れる。どれくらいいるのか、見当もつかないほどの羽の塊まりが身を寄せ合い、感情の存在など到底あやしい瞳で地上の私をじっと見返してくる。 そんな森の奥には、小さな洋館がある。電波と電気に頼らなければ何もなせないようなこの世の中で、どう暮らしを成立させているのか謎だが

        「〜したい」と「〜できるようになりたい」の違い

        • 自分が敵でしかなかったとは思いたくないけど、

        • 分かりやすく書けない。 昔から「自分語」とでも言うのか、自分の頭の中では完全に理解していて、自分にとって分かりやすいけど他者にはあまり伝わらない言い回しみたいなのがたくさんある。 それを一般的に伝わる言葉に置き換える(自分語で言うところの「一般語に翻訳する」こと)がだいぶ面倒。

        • 得体の知れぬ洋館の主。

          後悔は無意味、だって過去の私は

          今の私とは抱えている事情も心境も、物事の選択基準も異なるから。

          後悔は無意味、だって過去の私は

          存外たくさんのテーマが見つかっていて、それなりの深度で進んでいる。どれもこれも着地点を見つけるのが一苦労だ。集中してひとつ!と決めて書こうとすると逆に気が散ってしまう。 ひとつでいいからいい感じにちまちま進め。

          存外たくさんのテーマが見つかっていて、それなりの深度で進んでいる。どれもこれも着地点を見つけるのが一苦労だ。集中してひとつ!と決めて書こうとすると逆に気が散ってしまう。 ひとつでいいからいい感じにちまちま進め。

          毎日書けなくて良いから、ツイートよりは多少脳が生きてるなと思える事を毎日残す。 いい加減でも良いから。ていうかそれが良いから。

          毎日書けなくて良いから、ツイートよりは多少脳が生きてるなと思える事を毎日残す。 いい加減でも良いから。ていうかそれが良いから。

          自己紹介

          思えば、散々消しては初めましてを繰り返してきたくせに、まともな自己紹介すら書いたことが無かったことに気付きました。 この内容もちょこちょこ変えてしまうかもしれないけど、もう消さないぞ、逃げないぞ、って決意も込めて、私基準での「ちゃんと」した一歩目を書き残したいと思います。 もう消さない。名前も曖昧に変えないで、自分の発信に責任持つ。ビビり散らかしてるけど、最近覚悟が決まったので、その証としても。 消しては組み直し。 やり直しては「やっぱ無理!」 どんだけ自分の積み上げた

          自己紹介