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辻政信氏追悼のための調査考察

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2024年5月3日の追悼法会に向けて 「ツジマサノブ氏の無念は何か」をテーマに 調査考察をした記事をまとめています。
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#潜行三千里

3月19日の開白に向けて「辻政信氏の調査考察」2024.3.15

3月19日の開白に向けて「辻政信氏の調査考察」2024.3.15

2024年5月3日、和歌山県の三石不動尊にて
「辻政信氏と七人の僧 ならびに第二次大戦A級戦犯の方々」の
慰霊祭が執り行われます。

三石不動尊では
毎年恒例で、5月3日に
不動瀧を拝する慰霊祭をされているようなのですが、
奇しくもこの日は、
辻政信氏のお父上のご命日でもあったようです。

今年(2024年)の1月14日に
「辻政信」氏についての調査考察を頼まれて以降、
彼についての書籍や、彼自身

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2024年3月6日 『潜行三千里』を調べる③

2024年3月6日 『潜行三千里』を調べる③

前回、潜行ルートをなぞってみると宣言しておきながら、
今回はちょっと脱線して
辻さんが当時考えていたことを読み解いてみようと思います。
なるべく、彼の言葉を拾いながら。

2019年に改めて刊行された【完全版】の『潜行三千里』には、
「我等は何故敗けたか」という文書が収録されています。

これは、辻さんが潜伏中にGHQの監視を上手くかわしながら
親日派の中国人に頼んで、密かに日本の留守宅へ届けても

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2024年2月28日 『潜行三千里』を調べる②

2024年2月28日 『潜行三千里』を調べる②

辻さんはなぜ潜ったのか戦後、
辻さんとも交流のあった軍上層部の方達が
戦犯として処刑されていく中
辻さんは「潜行」を選びました。

そのことについて、当時からすでに
「死ぬのが怖くて逃げ回っている」と言われ
ご家族が迫害の憂き目を見ていたようです。

『潜行三千里』には、
潜行中、奥様から手紙が届いたエピソードへの
ご本人の言及があります。

辻さんについてなんの先入観もなかった頃に
後年の評を聞

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2024年2月26日『潜行三千里』を調べる①

2024年2月26日『潜行三千里』を調べる①

本日(2024年2月26日)、
午前7時ごろからしばらく庫裡のそうじをし、
正午から『潜行三千里』を手に取りはじめました。
本稿では、
辻さんに関して得た情報から感じたことを膨らませていきます。

『潜行三千里』は、
1949年の3月から潜伏先にしていた
真鶴半島にある同志の別荘で
一気に書き上げたものなんだそうです。

どんなところなんだろうと検索してみると、
神奈川県の真鶴町にあり小さな島らし

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