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息子と日本旅:仙台編 大人になるってどういうこと?

岩手のあったか~い今泉一家に後ろ髪を惹かれつつ、リュックを背負って東北本線に乗り込み、到着したのは仙台。駅で迎えてくれたのは私の姉である。

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実はここに、凛太郎が会いたくて会いたくてたまらなかった1歳の甥っ子(みーくん)が住んでいる。(姉は脇役…笑)

みーくんのお世話をできる幸せ

「みーくんへのお土産」と言って出発前から準備していたインドの太鼓をあげると、みーくんとの関係は順調にスタートした。

歩けるようになったみーくんはよちよちと息子の後を追い回し、ご飯を食べさせるのもママより息子、息子が見えなくなるとすぐに探しまわって、見つけると盛大にハグ。

これには息子、鼻の下が伸びまくりである。

我が家にも2歳半の弟がいるのだが、年子の気が強い妹がいつもベビーのお世話を買って出、息子はいつも邪魔者扱い。実際妹は赤ちゃんの扱いもお世話も母親級に上手なのでぐうの音も出ないのであるが、それでも一生懸命相手をしようとしている息子が、仕事を横取りされてしょんぼりしているのを見るのは心が痛んだ。

ところがどうだ。ここでは息子、放っておいてもみーくんが息子を求めてくる。

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にーに いっしょに うたおう 

にーに いっしょに あそぼう

にーに ごはん たべさせて

にーに ぎゅーして

にーに にーに にーに・・・

こんなふうに必要としてくれる小さないとこの存在は、息子とって貴重だったに違いない。オレがいなくては。オレがこの子のために。そんな小さなお父さんのような気分を味わったのだろう。心なしか息子が力強く見えた。

中瀬先生の特別授業

実は息子が書いたnoteの記事を読んだ東北大学の工学部の先生が、日曜日にもかかわらず、大学においでと招待してくれた。

どんな先生なのかもあまり存じ上げないまま、いわれた時間に待ち合わせの場所に向かってみると、機械やお菓子やペーパーが雑然と置かれたゼミ室の席に案内され、おもむろに中瀬先生の授業が始まった。

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大学についての説明をしてくれたあと、大学がどんな場所か?という質問にだまりこくってしまった息子。「知らないことはいくら考えてもわからないんだから、わからない、と早く言ってしまったほうが、わからないことを知るチャンスになるんだから得なんだよ」

つづけて、インドで学校に行くのが嫌になってしまったという事情を知っていた中瀬先生、「どうして学校で勉強しなくちゃいけないと思う?」と息子に質問した。息子は、「将来のため?」と自信なさげに応える。すると今度は「将来っていつのこと?」と聞かれる。「うーん…」少し考え込み、「大人になったとき?」とまた自信なさげに答える息子。「大人って、いつになったら大人なの?」

「・・・・わかりません!」

最初に「わからない」という言葉を使っていいのだと知った息子、元気よく「わかりません」と言い放った。これには中瀬先生も苦笑いしつつ、「これは自分で考えた方がいいから、少し考えてごらん」とそっと思考を促す。

中瀬先生は少しずつ質問を積み重ね、息子は考え、なんと1時間半以上、息子は考え続けた。

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こうしてゆっくりと思考を繰り返しながら、「なんのために勉強するのか」「大人になるとはどういうことか」に対する中瀬先生の考え方を導いてくれた。(息子のnote参照)

何のために勉強するのか

「何のために勉強するのか」
この質問に関連して、私には一つ思い当たる記憶がある。  

小学校から変わらぬメンバーで中学校に進むような、山あいの、ごく田舎で私は育った。小学校1年生から3年生までは当時すでに珍しかった分校に在籍し、同級生はたった7人。ちょうど南牧村にいた頃の長男の同級生と同じ数だ。川で魚を捕まえ、蓮華畑で花を摘み、裏山に秘密基地を作り、休み時間はいつもみんなでサッカーかドッジボール、うさぎとヤギと植物を育てて、毎日歌を歌った。

小学校4年生で始めて岩手への一人旅をし、のどかで豊かな生活に溺れていた自分に疑問を抱くようになった私は、みんなと一緒の中学に進学することをやめて、少し離れた場所にある全寮制の中学に進学した。 

「他の人と違う道を選択するということは、人の何倍も努力が必要だし、大変なことだ。おまえが人と違う道を選択するなら、責任を持ってその道をゆけ。おまえの人生は、おまえのものだ。」  

この時、正座で向かい合って父に言われた言葉だ。
私はこの言葉の意味をその後何度も反芻しながら、新しい環境で自分の人生を歩き始めた。 

 ーこれは私の人生だから、私の足で歩かなくては。 

 そう自分に言い聞かせながら、責任を持つことの意味すらまだ良くわかっていなかった私は、とにかく目の前に提示されたことに必死で食らいついた。立ち向かったという言い方の方が正確かもしれない。何をそんなに恐れていたのか、なぜそんなに必死だったのか、今振り返ると不思議なくらい、必死で勉強した。その時の私が「なぜ勉強をするのか」と聞かれたら、「責任をもって自分の人生を歩むため。」と迷わず答えただろう。

勉強はすればするほど奥が深く、美しくて、楽しかった。世の中や言葉のしくみを考えるのは純粋に楽しかったし、先人の努力で集積された知識を知ることは心に安寧をもたらしてくれたし、数字の秩序は美しかった。 

そうしてある日の放課後、校門の前で夕日に照らされる小さな野の花を見つけた時、ふっとある確信めいた考えが私の頭の中を支配して、目の前の霧が晴れるような経験をした。

「全てはつながっていたのだ。社会科も、国語も、物理も化学も、数学も。この夕日も、この夕日の光が花にさす角度も、この空の向こうにつながっている無数の人々の生活も。すべてがつながっていて、沢山の角度から勉強すればするほど、そのつながりの輪郭がはっきりして、私の視界は広がるんだ。私はこのために勉強していたんだ。」 

勉強することは、受験とか進学とか就職とかそういうのを抜きに、学問として純粋に楽しかった。でもその先にあったのは、もっと突き抜けた一つの真実なのだ、とこの時なぜかひらめいた。その真実に近づくために、私は勉強をするのだ。 

おとなになるということ

「お母さんはどう思う?どうして勉強するんだと思う?」

中瀬先生の声ではっと我に返った。

「そうですね、どうしてだろう。私はただ、純粋に勉強することが学問として楽しかったので…。」

「ほほう、そういう人もいるんだね。」 

大人になった今では、必要に迫られてする勉強の方が多いけれど、私にとって、勉強することの意味は、たぶん、今も変わっていない。

「その先の、まだ私には見えていない新しいものを見るため。」  

私の考える「大人になる」ということは、見えていなかったその先の新しいものを、ひとつずつ見えるようにしていくというプロセス。
どこから先が大人、というのは、多分なくて、そのプロセスを進み続けることが、大人になる、ということなのではないだろうか。 

でもここは、あえてN先生の言葉を借りたい。

「これはあくまでもボクの考え方。ボクの言っていることは間違っているかも しれないからね。ちゃんと自分の言葉で考えないとダメだよ。」

そう、自分で考えることに、きっと意味がある。じっくりと思考を促すN先生の授業には、とにかく感服だった。長男がじっとこらえながら考え、言葉を出すのを待つ、という行為は、親の私には到底できない。 

けれど、勉強する意味を中瀬先生と考えた長男は、N先生が意図した結果とは違うかもしれない結論を、最後につぶやいた。

「オレは、勉強するのが好きじゃないし、別に大金持ちにならなくてもいいから、高校で農業の勉強をして、長野県とかの田舎で農業をしような。」 

中瀬先生としては意図した結果と違うことにずっこけたい気分だったようだけれど、素直にそう言う長男が、私はなんだかたまらなく誇らしく、愛おしかった。 

何を隠そう、私自身も小学生の時、義務教育が終わったら農業をやって生きていきたいと思っていた。ちなみにシェフの旦那さんと結婚すれば、美味しいご飯が食べられて一生幸せだろうとも夢見ていた。結果的に結婚したのはシェフではなかったけれど、時々私だけのシェフになってくれる今の夫に、私は結構満足している。

*   

めいっぱい頭を使ったあとは、ここでしか食べられないおいしいごはんに舌鼓。インドで待っているなまものが大好きな夫と娘には申し訳ない、と思いつつ、でもせっかくだから食べないほうが失礼だろ、とありがたく頂戴したお寿司と生牡蠣。

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「やっぱ日本っていいな〜」と息子。ちなみに息子は普段はあまり刺し身は好きじゃないと言っているけれど、美味しいネタだと食べるのである。つまり実はめちゃくちゃ刺し身好きなんじゃないかと母は思っている。

ねーね、ごちそうさまでした。

駅ビルの中を歩いていると、“大人の理科室”、といったテイストの雑貨屋さん(STUDY ROOM)を発見し、なめるように化石や鉱石などを見て回って、店長とすっかり仲良くなってしまった長男。お小遣いと照らし合わせて、迷いに迷って、最終的に小さなアンモナイトと方位磁石を購入した。 

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長男は、私だったら絶対にお金を払わないだろうな、と思うような、実用的ではないものばかり欲しがる。服や靴やバッグなんて全然欲しがらないのに、いつだって紙の本を何冊も肌身離さず運び歩くし、原宿の参宮橋で見かけたアーティストの絵を、夕飯を我慢してでも買いたいと言って2枚買った。そして今度はアンモナイト。実用的、合理的な生活を考えてしまいがちな私は、普段はそんな長男を否定しがちなのだけれど、ふと、そういうものがほしいと思う感性が羨ましいな、と思った。私は努力して彼のそういう欲求を受け止めてみることにして、アンモナイトの購入を許可した。 

考えようによっては、彼は私の知らない世界を知っていて、その意味で私より大人な部分だってあるのかもしれない。

この日の支出

大学の学食 1600円

駐車料金 900円

アンモナイト 200円

コンパス 1500円

息子は私だったら絶対にお金を払わないだろうな、と思うような、実用的でないものばかり欲しくなるようだ。服や靴やそういうものは全然欲しがらないのに、本はもちろん、絵を買いたい、化石を買いたい、息子。実用的、合理的な生活を考えてしまいがちな私は、そういうものがほしいと思う感性が羨ましいな、とさえ思う。とそれが彼のアートなんだろう、私は努力して彼のそういう欲求を受け止めてみることにした。

しかしアンモナイトはネパールに化石を掘りにいくのがいいんじゃないのか、息子。行きたいところがどんどん増えるな。


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