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高2の冬の鬱とあの子

わざわざ告白することでもないけど、もう時効だし言っちゃうんだけど、わたし高2の時ちょっと鬱だったんだ。
病院からそう言われた訳じゃないから、完全なる自己申告なのだけど。10年以上前だし、今みたいにすぐスマホで調べるとかもできなくて情報もなくて、鬱なんてバリバリ働いてる大人がなるものであって、子どもがなるもんじゃないと世間的に思われてたし、自分も「頭の中でぞわぞわする何か」としか捉えられてなかった。
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4ヶ月くらい毎日頭が痛くて(孫悟空が着けてる輪っかの部分がずっと痛かった)頭痛がひどい時は耳鳴りもして、人の笑い声が嫌で、電車通学で高校生(特に他校)が騒いでるのとか本当に恐怖で、だから無駄に早いのに乗って、席は空いてるけど窓際に立って隙間から漏れる空気を吸ってないとダメで、たまに集中力が散漫になって、英語の文法は完璧なのに(これだけはまじで言わせて欲しい笑)悔しいくらいに簡単な英文も覚えられなくて、でも何が原因かわかんない日々が続いてた。今思うとまあまあやばかった。たぶん友達もこのことは知らない。(こんなことを言っておきながらなんだけど、高校生活は普通に楽しかったから安心して)

頭痛が酷くなる前は、なんだか頭の中でモヤモヤする感覚があって、それを私は"Gloomy Wave"(陰気な波)と呼んでいた。本当に何かドス黒い波に飲まれそうな感覚があった。POPなネーミングにしたが故に、深刻さは全く伝わらず、友人たちも何かの節に使っていたけど、当の名付け親は悶々としていた。10年以上たった今振り返ると、「ああいうことが嫌だったんだな。」「こういうことを求めていたんだな。」「もしかしたら、こうしたらよかったかもな。」「でも結局は自分が変わらなきゃダメなんだよな。」って客観視できるんだけど。その頃は、脳みその中で不安分子が分裂して増えていくのを感じながら、ただ過ごすしかなかった。
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頭痛が酷くなってからは、親は心配していろいろ連れて行ってくれたけど、病院でも「過保護な親が来たな」って感じであしらわれるし。MRIを撮ったけど、特に何も異常はないし。なんか変なお寺みたいなところに行ったりもした(そして変なシールをもらったけど効果はなかった)。正直高校の先生達もあまり信頼していなかったので、特に相談することもなかった。「私のことを理解してくれるのは偉人たちしかいない」とか思ってて笑、無駄に難しい哲学の本を読んでみたりもした。難しすぎて1ミリも頭に入ってこなかった。

今思うとなんじゃそりゃってことを悩んでて、というか気に食わなかったっぽくて、それをある日ぽろっと友人の1人に言ってみた。修学旅行の夜だった。泣かないように、そしてどんな反応がちょっと怖かったから、ヘラヘラして言ってみた。そしたら彼女は「わかるー」といつもの気怠い感じで答えた。拍子抜けした。私がこの4ヶ月間あたためておいたこれを、あっさりと共感してくれたから。だれも理解してくれないと思ってたのに。頭の中のもやもやぞわぞわが、すーっと解けていく感覚があった。嘘みたいに頭痛もしなくなったし気持ちも軽くなった。だから彼女のその一言にはとても感謝してる。今年の2月、10年越しにそのことを伝えられた。(向こうは覚えてなかったけど)
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前置きがすごく長くなった。
これで彼女の話は一旦最後にしておこうと思う。
でも、その彼女はもうこの世にいなくて、私はあの時すごく救われたのに、私は何もしてあげられなくて(病気を治せる訳じゃないから結局は何もできないんだけど)、思い返せば彼女のSOSに気付くタイミングなんていくらでもあったのに全然気付かなくて。イギリスに来る前のあの時が最後だなんて思ってなかったからさ、どんな話をしたのかもあまり覚えてないまま、もう会えなくなっちゃったの。

あの夜のことを思い出すと、それ以上でもそれ以下でも救われなかったんだと思う。
あんまり興味がなさそうな「ふーん」とかだったら、「あ、やっぱり誰もわかってくれないよね」ってなったかもしれない。一方で「うんうん。わかるよ。〜〜ってことだよね」って親身になってくれようとした結果、ちょっとずれてたりなんかしたら「ほらみろ。わかってないやんか」ってなってたかもしれない。だから。気の抜けた「わかるー」がちょうどよかったんだと思う。何百年も前に生きてた、ぐるぐるパーマのカツラをつけたおじさんたちに答えを求めようとしてた。何か「バチコーン」ってはまる言葉や理論を探してた。なのに、答えはとても近くにあった。たぶん多くのことは近くの存在でしか解決できないのかもしれない。そしてたぶん多くのことはひょんなことでどうにでもよくなる。(だって、John Lennonを救ったオノ・ヨーコの言葉は天井に書いた"yes"だし、Paul McCartneyが考えに考えた末の答えが"Let it be"なんだから)


私はつくづく、喋るのが下手だよなと思う。本当にいつももどかしい。
前は接客販売の仕事をしてたから、はじめましての人と話すことなんてとくに苦手じゃないんだけど。そうじゃなくて、友人や家族や仕事の同僚とかが、大変な状況にいる時、自分の気持ちをその場でぱっというのが本当に下手くそ。近しい存在だとなんか恥ずかしさもあるけど。大事に思っているからこそ、自分の気持ちを表して、かつ相手のその時の状態に適切な言葉が出てこない、最初の一言が見つからないっていうのが理由かな。

だから、友人の癌を知った時も何も言えなかった。「あなたには高校の時に救われたから、私も何か言ってあげたいけど、言葉が見つからない」としか伝えられなかった。なんかギャグみたいにいうのも違うし、明るく振る舞うのも違うし、かと言って「辛いよね。」とか言うのも全部違った。

様々な場面で、言葉の瞬発力があった方が、よしとされる風潮にあるけど、テンプレートのオンパレードなら、なんて薄っぺらい言語空間だよとも思う。でも、知ってる。これは器用に生きれない者の負け惜しみなんだ。
このnoteなんて、誰に向けたものでもない自分の日記みたいなもんだけど、それでも文章にすることで、やっと過去の自分と向き合えるし、数ヶ月前、いやずっと前から、あの子に何もできなかったことへの罪滅ぼしをしていることにしている。



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