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写真と向き合うという事

 これまででカメラ趣味をやってきた中で今が一番楽しい。そのはずだった。ある日ふと気付く。撮影という行為が好きでひたすら撮っていて、その撮った写真をあまり見返していないという事に。

 ちょうど正月休みで時間もあったので、そこで今まで撮った写真を見返しはじめたのだが、ピンボケ写真や被写体ブレ写真、似たようなアングルの写真など、要らない写真が数多くあるのを発見した。

 カメラを始めてからHDDの使用量も増えてきたため、不要な写真を消す作業を始めた。更にHDD空き容量確保の一環で、JPEGの圧縮率を上げたり、画像のサイズを縮小したりした。
 しかしここで大きな過ちを犯してしまった。どうでもいい写真だと思ってそういった処理を施した写真が、実は自分にとって大切なものだという事を自覚した。しかし後の祭り、細部がガビガビになったJPEG画像はもう元には戻らない。バックアップも取っていなかった。

 もちろん本当にどうでもいい、ただ記録として残っていればそれで良い写真も沢山あった。そして自分にとって大切だったものとは、人を写した写真だった。普段は廃墟や古びた町並みばかり撮っているのにも関わらずである。
 これらのやらかしがきっかけで、自分がいかに写真と向き合っていないのかを痛感した。前述の通り、撮るだけ撮って、その日に見返して、あとはHDDの肥やし。その後は数年単位で見る事は無い場合もある。そのくせ仮にパソコンが壊れてデータが全部消えてしまったら、おそらく数ヶ月は引きずるだろう。普段見返さないくせに。

 しばらく落ち込んでいたのだが、L版サイズなら画像が小さくても鑑賞に耐えられる事に気付き、写真をプリントしてフォトアルバムを作ろうと思い立った。自分のパソコンにしか無ければ見る事が出来るのは自分だけ、そして壊れたら全部消える。写真というものは、色んな人に見てもらう事に価値があるんじゃないか。

 すぐさま古い写真から順番に、家族や友人が写った写真をかき集めていく。こんな事あったな、皆であの場所に行ったな、そんな風に思い出が溢れ出して、年甲斐も無く泣いてしまった。その写真を撮った時には、特に何も考えずにシャッターを押したはずだ。そんなものが何年も後の自分の心を動かしたという事は、とても意外だった。

このフォトアルバムが完成したら、写真の中に写っている多くの人に見てもらおう。そしてこれからは、人をたくさん撮っていこう。地震やテロなど暗い話題が多いなかで、幸い周りの皆は今日も無事に生きている。それらの光景を写真に収めて、またフォトアルバムを作っていこう。そしてそれらはきっと、ずーっと先に生きている、自分を含めた多くの人の心を動かすに違いない。

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