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ベランダ歯磨きスクワット

昨夜はいろいろあって本音をぶつけたり受け止めたりした日だった。でもネガティブな本音だろうとポジティブな本音だろうとしっかり受け止めて前を向くことができる、そんな私にとって大切な人間だけだったこともあり、特別落ち込むとかではなかった。ただやっぱりニヤけてしまうほど面白いもので、嫌いになってもおかしくないほど一緒にいる人間なのに何を考えているのか全く分からなかった。夜中の2時だった。

想いに共感して水滴が頬を縦断する人もいれば、悔しさに喉を詰まらせた人もいた。私だって飄々ひょうひょうとはできなかった。重い空気に耐えられずに緊張して欠伸が止まらず(欠伸は緊張のサインなんだって!)、必死の抵抗も虚しく目を充血させることになった。

私だって言葉にできたらもっともっと知ってほしい、伝えたい、聞いてほしいことがたくさんあるのに、「ここでガツンと言いたい!」というところで引っ込み、「考えるより先に飛び出した!」と気付いたときにはなんと言葉を間違えていて、挙句の果てに相手をグサグサと傷付けている。

言葉は道具というよね。
道具は選んで揃えて使って育ててようやく馴染んでくる。想いも乗るようになるし、先の尖った凶器のように振り回すことも少なくなる。さらにそのひとつひとつを世界で私だけが創れる組み合わせにして、あなたに伝えるためだけに使う。

そんなに難しいことだって気付いていたりいなかったりするんだろう。ひとり残らずどこかしら不器用な人間たちが、虚しさを帯びる話し合いに今日も折り合いをつけている。

そこに加えて各々の脳のシステムがコミュニケーションをさらに難しくする。例えば水滴が頬を縦断してた彼女は他人の感情に敏感で優しいけど、深く考えたり想いを言葉に変換するのが特段難しいらしく、いつも悶えている。例えば悔しさに喉をつまらせた彼は、とても頭が冴えるのに感覚や感情などのニュアンスを伝えたり、角を丸めた発言が不得意で苦しんでいる。

本当に困難で哀しいのがコミュニーケーションだけれど、同時に期待と興奮も間違いなく帯びている。昨夜は、そんな夜だった。

そんなことを思い返していると、あの言葉の交換会はもう約24時間前だということを眠気が教えてくれる。風が気持ちよさそうなので、歯ブラシをくわえてベランダに出た。歯磨きをしながらスクワットをするのは、母がよくやっていたので真似していたら癖になった。

春の夜は風が気持ちいい。寝る前に浴びると頭の中を撫でるように吹くから穏やかな気持ちになる。

共感できないこと。
伝わらないこと。
理解ができないこと。
どうしたらいいかわからないこと。

人生にはまだまだ難しいことがこんなにたくさんあるから、死ぬまで飽きることはなさそうで嬉しい。

ベランダ歯磨きスクワット。
おすすめです。


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