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自分がスランプで他人の幸せを喜べない人へ

他人の幸せを見てモヤモヤするときありませんか?

それは自分が冷たい人間とかではなく、心が満たされていないからかもしれません。

ちなみに、他人の幸せを喜ぶ人にならないといけないという思い込みも手放してみましょう
別に喜ぶのは個人の自由です!それでももやもやしている人一緒にもやもやの脱出方法を考えていきましょう!

”出来る”モノサシ」を手放すとスッキリするかもしれません!


喜べないし、なんかもやもやするのはなぜだろう?

仮説1_余裕がない
もし今、睡眠不足で、好きなことをする自由時間も取れないくらいやることがあって、おまけに頭痛で体調が悪い上に、お腹も空いてるとしましょう。
こんな極限状態で人の幸せ、考えている余裕ありますか?
おそらく、自分だけでも手一杯ではないだろうか。

自分が満たされていないとき、人のことを気にする余裕は生まれません。
もしかしたら、まずは自分の心をケアしていく必要があるのかもしれません。

あと自分にかける言葉を気にしてみるのも、面白いかもしれませんね!


仮説2_比較癖
あの人ずるいな、私より収入のいい人と結婚できて とか
あの人いいな毎年海外旅行行けて とか

こういう比較から生まれるもやもやの場合は、私はそんなことないから満たされないという気持ちが隠れているのではないだろうか。

このタイプは比較したり、ジャッジしたりする思考を手放していくと楽になっていくと思います。

あと、自分は一生懸命頑張っているのに、他の人が楽々手に入れているところを見ると落ち込んでしまうこともあります。
でも案外、頑張っているから苦しいのかもしれません。
頑張らない方が物事はスムーズに進むのかもしれません。
頑張ってやらないといけないことは案外向いてないものかもしれませんね。
参考までに↓


相手の幸せが祝えず、そしてスランプで何もやる気が起きないときの解決策

1_休んで充電する

しっかり寝る、栄養のあるものを食べる(加工品・ジャンクなものは避けて)、お散歩する(朝の新鮮な空気はおすすめ)、何もしないをする、もやもや環境と距離を置いてみる

「何かをする」のに必死
「うわ〜...今日何にもしてないわ...」と嘆く人は多いと思いますが、
「今日は何もしなかったぞ〜」と気にも留めない人はどれほどいるでしょうか。

「"何もしない"をする」 プーさんの哲学|青より

まずは体、心の充電。しっかりコンディションを整えみる。案外それだけでベストコンディションに復活できたりします!
マズローの5段階欲求によると下位の欲求が先に満たされてる必要がある(食べる寝る→安全に休める空間が欲しい)
だからまずは生理的欲求を満たしてみて欲しい!!


2_もやもやを整理してみる

そもそもなんで自分をいじめてるんだろうループにハマっていませんか?
私も、もっとできるようにしなきゃという原動力で自分に何もしていないことのダメ出しをしていました。

愛情のモノサシを無意識に使っているときは、気づいたら「できること」ばっかり探してしまう傾向があります。

何が出来ないのか?ではなく何が出来るのか?何を”もっと”出来るようにならないといけないのか?そうやって人生が『課題』だらけになってしまうのですね。

(中略)

自己肯定感が低いから自分の出来ることを探すクセをつけましょう、といった方法もありますが理論として間違っているわけではありません。

しかし、それでは結局、モノサシを捨てていません。「出来ることが多いか少ないか」という視点で自分の価値を測っていることに変わりないからです。

だから、モノサシごと捨てるのです。
自分のことを人生のことを、生きるということを”何がどれくらい出来るのか”という基準で測らない、ということなのです。

何をやっても満たされない理由【10年かけて見つけた、心の穴を塞ぐたったひとつの方法とは】|秦由佳(はたゆか)より

このnoteを読んですごい共感しました。
確かに自分も資格取らなきゃ、勉強しなきゃ、もっとできるようにならなきゃと自分を追い詰めていました。

できる物差しを手放して身軽になります!!(思考もミニマルにシンプルに整えたい!)


3_自分の心を満たしてみる

自分を大切にできていますか。満たせていますか?

自分のご機嫌を自分で取れる人は最強です!
世界で自分を大事にできるの唯一の人は自分だけです。いくら優しくされても自分が受取拒否している限りは他人の優しさも届きません。


自分を満たせていないと、いろんな問題が起きやすい。それは心のSOSかもしれませんよ。

心が満たされないと起こる5つの問題
1_必要のない買い物をしてしまう
2_暴飲暴食を繰り返してしまう
3_物が多すぎて、部屋が片付かない
4_予定を詰めすぎてしまう
5_依存的な恋愛や不倫にハマりやすい

上の問題の解決法は下記参照


4_小さな一歩から行動してみる

ここまで読んでいただきありがとうございます。
まずは今日三十分早く電気を消して寝てみませんか。

朝起きたら頭はもう少しスッキリしているかもしれませんね!

マジで何もしたくない時は、何もしないをするのが一番です
限界まで何もしないをしてたら、いつか動き出すかもしれませんね。


おまけ:私事ですが(長文)

私がこの記事のスランプに落ちたのは、大学4年の就活の時期です。
文系の普通の大学に進学しており、周りの知り合いは次々に内定が決まっていきました。

私は5・6社程受けてみたり、なんとなくイベントに参加していましたが9月を最後に就活の動きを完全停止しました。

今は良い時代になっており、フリーランスやYoutubeなど個人で楽しく出来る働き方の選択肢も不可能ではなくなってきました。

大学を卒業するまでに収入を獲れるようになりたい焦りと、現実何も収益が出る行動ができない焦りと、学校の授業は少なくなり空白が多いスケジュール
そんなフリーランスのような生活スタイルを実現していましたが、毎日小学校の夏休みのようでした。(遊びとゲームと睡眠を好き放題できる天国)
でも一方で何か動かないとと焦ってもいました。バイトはあまり得意ではなかったので、就活のタイミングでやめてしまっていたし。

こんな完全自由な人生の夏休みで感じたことは、言い訳できない焦り創作の楽しさでした。


<言い訳できない焦り>

嫌なことを片っ端から減らしていった結果、半年で9割好きなことだけするスケジュールを獲得できました!
完全自由な時間だからこそ、1日ゲームして終わってしまう日もありました。そしてそいう日の夜は大体自己嫌悪に陥りました。
何か成果出さなきゃと思っているからです。

義務ですること、バイトや長い通学や興味がない勉強などは結構スケジュール(時間)を圧迫します。
そうすると自分の悩みと向き合わなくて良くなるんですよね、忙しいので。
だから逆に、暇だと言い訳がなくなってしまい、やるかやらないかは完全に個人の責任になってしまいます。
暇すぎて、だらけて何も成果を出してない自分を責めていました。

また、毎日が休みだからこそ、毎日労働日にしないといけない気もしたりする。だから毎日休んでるんだから(ゲームや映画をみて終わる日が何日も続いていた)、友達と遊んでる余裕があるなら何か成果出せやとまた責めていました。自分の休暇日をうまく作れていませんでした。
自由なスケジュールを望んだはずなのに、コントロールできず自分を責める道具とかしていました。

今まで、塾・部活(運動部週7練習日)・学校・バイトと歯車のようなスケジュールで周りに流されながらさらに上を目指していました。
きっとその反動が大きいのかもしれませんね。純粋に何もしたくない。
人生で一番楽しかったのはいつなんだろうと考えていたら、小学校の夏休みが最高だったことを思い出しました。

中学から運動部に入り、真面目さを美徳としていた私は学校もサボらず部活の練習も毎日出ていました。ですが正直辛い時期もあり涙が止まりませんでした。今思えば心が限界だったのかもしれません。
そんな若い貴重な中高生時代を、家畜のように誰かのために生きていたので今では後悔していますが、当時は誰も教えてくれませんでした。
いやアドバイスをくれたのかもしれませんが、私の心は思い込みでがんじがらめでした。

もっと自由にしていいんだと思い始めたのは大学生になってから時間の余裕が生まれたからです。本もたくさん読み漁るようになりました。自己啓発本や心理学、経営、物理、生物、建築、芸術、お金など幅広く読みあさっていました。あとミニマリストという考えにも出会い、人生ゲームの攻略は一通りじゃないんだなと思うようになりました。そこから少しずつ視野が広がった感じがします。


<創作の楽しさ>

実は小学校の頃は創作活動が大好きでいろいろ作ってました。

中学に上がるとまだ家近いし、部活の時間も短いし、塾も週1だけだったので少し減りましたがまだ創作してました。高校受験期間は勉強と創作半々で楽しんでました。部活がなくなったのでその分自由な時間が増えたためです。

高校に上がると環境の変化についていけず、正直心からの友達できませんでした。あと部活に入ってしまいやめてはいけないと自分に鞭を打って無事引退できました。高校生の頃は創作をする余裕がありませんでした。部活で肉体的精神的に疲弊し、長時間拘束、また大学行かなきゃと思い塾行かなきゃと頑張ってました。当時は高卒の人は芸能人並みにレアなものだと思ってました。大学進学までは当たり前だと思ってました。大学は国公立に入れという親のプレシャーから闇雲に9科目勉強していました。

地方の大学ならもしで合格判定出ていましたが、親は実家から通って欲しいという縛りをつけ、結局地元の国公立は偏差値が高く、実力が足らず滑り止めで受けた私立1校のみ受かってました。

大学入ってすぐは馴染むのに背一杯でした。そしておろかなことに、また体育会系部活に入ってしまいました。結局3年の引退する時期まで粘りました。大学で本に触れたり、いろんな人と交流したりして過ごしてました。創作を本格的に再開したのは就活辞めてからでした。ブログを50本書いたり、占いをしたり、声優学校にか通いだしたり、物作りも始めました。
改めて思います、創作楽しいです!


今までスケジュールに忙殺されていたことと、
世間と同じことしなきゃという焦りで体に鞭ばっかり打っていましたが、
何もない自由って素晴らしいなと思いました。
私がなりたかった一般像は私がみていた狭い世界で作られた幻想だったのです。

最近思うことはみんな同じじゃなくてもいいんだ、むしろそっちの方が面白いんじゃないか?
今まで追いかけていたみんな像の背中って別に私を幸せに導いてくれないんだなと思いました。
せっかく生まれたんだからもっと人生を楽しみたいなー
人生楽しんでると愚痴より感謝の気持ちが持てます。不思議ですね〜
これからは楽しそうと思う情報を積極的に取り入れて行こうかな!!

ここに想いを綴らせてもらえて少しスッキリしました!!!
以上!最後までありがとうございました。


サポートしていただける発信ができるよう、頑張っていきたいと思います。