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Rui Kawakami
2024年8月31日 21:59
雷鳴のとどろく草原を歩いている一匹の獣のような目。その目だけがあり、雷鳴を聞いたことはなく、それは草原ではない。木立の間を細い尻尾が揺れ、あなたはむかし見た振り子時計を思い出す。しかし、そのような記憶などなく、木立の間にはあなたが立っているだけだ。てのひらでゆっくりと回り始めた方位磁針があり、誰もがそれを止める術を知っている。ただ誰一人として止めようとせず、止める方法も分からない。振り
2024年8月6日 22:13
旅をしていたことがあったと思う生乾きのサバンナを遊泳している裸眼で禁足地をあらう雨をはるかに見やる花見へ急ぐひとびとを抜けるときに感ずる身熱の橋をわたり奥歯のひかりとするひとびとに告げて回るここより先は、ここより先は陸橋の崩れる音がしてわたしたちの平熱をかえしてほしいすずなすずしろ三月のままでねむることができないのはわたしたちのうつくしい怠慢あるいは密約そ
2024年4月22日 14:44
坂の上から斜面に沿って流れている光の途中で果実が実りごろごろという音に変わる見ている者の存在を対岸に感じるがもう誰もいないだろう月面へ向かって開いている窓のいつから開いているのか知らないが風よ もう閉じてもよいと言う林の奥へ羅針盤を埋めなおしここへ戻ってきてもよい架空と虚構とにまたがって横たわる鰐の死体を四つ辻に見ていた事件でも事故でもないと警官は言い川がない
2024年1月25日 16:59
どこへもいけない どこへもいける ここからできるだけとおくへいく ここにいるままで ここにいるままで夜明け前廃棄されたコインランドリーの数々が街の外縁を形作っているその稜線はあざやかなままであざやかなままで枯れてゆくからわたしたちはいつも夕景が画布を隠していることに気づかないそれでいて徒歩のような日々の鈴なりにどこか退屈しているのはもどかしさでいっぱい
2023年9月17日 12:57
夕日の巨大な親指が尾根を下ってこちらへやってくるもうじき環形動物の夜なのだそっと輪郭を書き留めている書生のまなざしなのかそれとも日記を焼く二日前なのかそれは分からないが落ちている眼球のさみどりはもう誰のものでもない 街から海へとつづく一本の道があり 一本の道だけがあり この街の誰も 海へ行くことがない なぜなら すべてのものは海からやってくると 街
2023年10月20日 07:06
あなたの喉元に降りかかるそれは決して綿雪などではなく何もない海食崖ただ正視をつづけるわたしたちの声が消え尽きてしまう地点から西日が低く落としている眦その海岸線に沿ってたくさんの過去を持たぬ生き物が歩いているその目のいろあれはわたしの目だ、と思ったあなたの耕していったなだらかな果樹林を抜けるときおなじ歩幅であるいはおなじ文法で昨季降らなかったぶんの雨が 沈殿するここ
2022年12月5日 04:36
そこへ印字されている隷書が読めなくてもいい、だから閉架の奥で何がこごえていたのか誰にも気づかれないように教えてほしいすべてが恐ろしくなるくらいにゆっくりと唇の動きだけで教えてほしいゴースト扉の向こうから合図の音がしたらそのときはためらいなく開けてほしいすべての未来がうららかにきしむくらい勢いよくあばいてほしいねえゴーストそれは黙字だ直前で発声をやめてもいいだから代わ
2022年7月19日 13:33
涙で浮上した水平線のうえへ、ちいさな笹舟を浮かべ、そうすることによってのみ、世界を征服することができるという確信を、いま一度深めてみよう。にじんだ水平線が徐々にほつれてゆき、行き場を失った体積が再びあたらしい海面をつくろうと、波頭のなかで終わりのない握手を求めている。岸壁の下に手を伸ばして、恐怖までの水深を推し量ろうとするならば、袖を浸す前に暫定的な覚悟を決める必要がある。例えば、私が膝を抱えて浅
2022年5月18日 20:26
夜明け、化膿しかけた肩のうずきが、狭すぎるゴムのトンネルのようになってぼくをしめあげた。不快なしびれが、口のまわりに楕円形の輪をつくる。昨夜、何にあれほど驚かされたのか、もうよくは思い出せない。夢のなかの駈け足。時間が過熱し、燃えつきる。息もたえだえに、こよりの先にぶらさがってふるえている、赤い線香花火の燃えかすのようだと思う。すべての光景から、棘が抜け落ち、すべすべと丸っこく見える。ほら、猫が一
2022年5月4日 19:48
東の干潟に存在する無数の三角錐や、それを見守るようにして配置された二十三の鳥居、それらを見下ろし南中をつづける瓜のような太陽は、いったい誰のために用意された墓標であったか。その答えを見つけることができぬまま、私は十七度目の春の夜を迎え、いつしか真昼の月の幻覚を見るに至った。真昼の月と真昼の太陽を見分けることができなくなったのは、果たしていつのことだったろうか。あの日、東の干潟に甲殻類の骨片を集めた
2022年4月29日 23:08
幾日も前から、私は骨のように白い石段を上りつづけていた。朱に染められた鳥居の一群が正確無比な間隔で立ち並び、蔦に覆われた伽藍の存在をその先に予感させた。傾く日の光を背に受け、額から一筋の汗がしたたり落ちる。忘れ去られた信仰は、夏の木立のなかで猫のかたちをして眠っていた。誰かが夜闇に放った錦鯉の群れが、廃止された参道に沿って夜ごと徘徊している。彼らのその模式的な参拝が、あるいはその瞳が放つ鈍重な
2022年4月7日 15:36
世界を滅ぼす衝動にとりつかれた人間が最初にすべきことは、カーテンを開いて、眼下に広がる海のような群衆の目を、一人一人の目をよく確認することである。彼らの目に映るのは、私でも、あなたでもない。銅貨を詰めるためのほこりっぽい皮袋や、荷を運ぶために揺れる馬の肩。ひづめの音がひびく曲がりくねった街路には、チョークで描かれた黄色の汽車が走っている。問題を先送りしつづけていたのは一体誰だったのか。いま一度考え
2022年3月28日 19:48
空気の澄んだこの山小屋ではとおくの白色都市から送られてくる衛星信号がノイズなくよく聞こえる。私たちは毎朝無彩色の森にひびく野鳥の機械音声のなかから衛星信号を聞き分けそれを記録する。記録した信号に重要な暗号が含まれていると私たちは信じていた。しかし、私たちの誰一人としてその解読に成功しなかった。ふねを持たない私たちはこの島から出ることはできずそしてこの山から下りることもな
2021年10月2日 16:11
永久氷床でつくられた砂糖菓子のかけらをひとつ、口の中へ放り込む。腹の底が一瞬ひんやりとする。その後、口の中に鈍い甘さが広がってゆく。私は首に下げた双眼鏡で海面を眺め、手早くスケッチをとりはじめる。(本日の冬空は快晴、風はよわく波はおだやか、湾内の永久氷床の数は百三十二・・・)遙か遠くの大地で溶け出した永久氷床は、多角形の断片となって洋上へ漕ぎ出し、海流に乗って移動を始める。やがて、この