水平線

涙で浮上した水平線のうえへ、ちいさな笹舟を浮かべ、そうすることによってのみ、世界を征服することができるという確信を、いま一度深めてみよう。にじんだ水平線が徐々にほつれてゆき、行き場を失った体積が再びあたらしい海面をつくろうと、波頭のなかで終わりのない握手を求めている。岸壁の下に手を伸ばして、恐怖までの水深を推し量ろうとするならば、袖を浸す前に暫定的な覚悟を決める必要がある。例えば、私が膝を抱えて浅い入り江をつくってみせたように。

海流の終着点では、背骨のない生き物ばかりが集まって、私たちには聞こえないうたを歌っている。そのうたは螺旋的音階にしたがって、右から左へとしびれるように抜けていき、静止の信号を模倣しつづけている。耳を澄ました者だけが見ることのできる、灯籠の並ぶ海底の小径があり、そのような幻視を幻視たらしめているのは、私たちが背骨のない生き物に似ているからだ。そうして私たちは、私たちが形を与えられただけの塩水でしかないことに気づかされる。

視座、と呼ばれるものを一切持たない私たちが難破しないはずはなく、それゆえ洋上はいつも難破船で渋滞している。塩性湿地から吹き付ける風の淡い匂いをたよりにして、転回の回数ばかりを気にしていては、いつまで経ってもこの海域から抜け出すことはできないだろう。岩礁に設置された道標に付き添って最小の還流が発見される。しかし、それは手遅れだった。私たちはもうすでに北極星を探すことをやめていた。

世界がほろんだ最後の日、私たちは琥珀糖の丘にのぼって日光浴をたのしんだ。海の向こうには名前のない天国が無数にあって、それらの一つが私たちの背中をじっと見つめている。私たちが浮かべた笹舟は、海流に乗って一体どの天国へたどり着くだろうか。あたたかな入り江で膝を抱えた私たちは、一体どの天国と友人になれるだろうか。