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自分以外のものにはなれなかった。

(タイトル画像は「みんなのフォトギャラリー」より写真を使わせていただきました。いつも美しい作品をありがとうございます)

嫌いな人といたくないし、嫌いな場所にはいきたくないし、嫌いなことはしたくない。睡眠時間削りたくない。他人からの承認欲求は多分低いほうで、自分軸の個人競技している方がそもそもあってる。長距離走なんていう究極の個人種目がすき。入るときにきっちり入れば、収入は毎月が安定的である必要もない。自分でも大人になるまでわからなかったが、安定的な職業や生活のために決まりきったことをきっちりするのは、どうやら自分に合ってはいないらしい。というか能力的にできない。当たり前のことを当たり前にこなせなくて、突飛なことはやたら思いついて、しかも行動に移してしまえる。高校は出席日数か足りてなかったから補習受けたりしてた。もとより体調面でどうしても安定的集団生活が困難なところがあるから、自己完結でやってるほうが誰の迷惑にもならなくてありがたい。お互い様とか支えあいっていうけど、支え続けてる人と、支えられてることに気づきもしない人で構成されてる集団て、多くないですか。個人投資家なんて不安定な商売ではあるのは承知。アーティストやクリエーターと呼ばれる人たちの中でも、それだけでやってく専業屋はいらっしゃるにはいらっしゃいますが、多くは兼業。漱石も鴎外も賢治も、兼業で文豪。豆がどうこうのメンデルとかも聖職者。私は夢追い人別名無職の生活破綻者になりたくはないので、希望や挑戦ややりがいを語ることが無理な業種で勤め人もやることにした。安心安定安全運転の仕事熱心で誠実な人たちに、ウチに合わない人と思われながら不誠実な勤め人をやって、人事評価や昇進速度と引き換えに、残業もしなければ土日休みのうえに有休を使い倒すこともできる部署と立場にいられる。そういうことで一般的な勤め人より時間の余裕があるし、株式相場からの授かりで給与所得だけでは届くことのなかったであろう金銭的余裕もある。自分は、なるようにしかならなかった。心身健康でやりがいのある仕事してて、日々忙しく充実し、同僚との信頼関係も築ける人生を送る人たちを、とってもうらやましいと思う。でも、そういうふうにできなかった。特技を活かす仕事だとか、興味がある分野での仕事に就くことはなかった。結局、自分の持っているものの中でしか選ぶことができなかった。自分以外のものになることはできなかった。大多数でないこと、誰も思いつかないことを思いついて試行することが、強みや聖杯になる世界が相場だった。忖度したり斟酌されたり、恩を着せあうことも責任を押し付けあうこともない、とても静かで居心地のいい世界が相場だった。結局はこれしか選べなかった。でも感謝している。


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