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壺阪寺🏺ハンセン病と天武系レイライン


近鉄吉野線壺阪山駅から壷阪寺までバスで行きました。


この日は飛鳥ハーフマラソン後だったので、私の首に青龍ちゃんがついています。つけたままで壷阪寺へ。

周辺は歩道がしっかり確保されているわけでもないので、
駅からはバス利用が良さそうです。
多宝塔
本尊は大日如来。

壷阪寺の強い印象は、ハンセン病救済事業との関係性の深さ。

これで想起するのは古代における他の「社会福祉施設」。
四天王寺 四箇院(しかいん)(聖徳太子)
悲田院 施薬院(光明皇后。45代聖武天皇の皇后)
北山十八間戸(忍性にんしょう。西大寺の僧。西大寺は46代孝謙48代称徳女帝の寺)

共通するのは蘇我派天武系
※天武系 40代天武天皇~48代称徳天皇までの7人8代と、7人とつながりの深い人たち。46と48は同一人物で47代は廃帝。

天竺渡来大観音菩薩

こちらの菩薩様 20m
東大寺大仏15m
高徳院大仏11m

足元に、女の子たち。
「六十六個の石が一本の巨石」
法華経の六十六部経典、六十六の霊場というところ由来かと思われます。

壷阪寺の正式名称は南法華寺
元興寺の僧、弁基上人が開山した寺。
元興寺(奈良市)はもともとは飛鳥寺(明日香村)。
平城京遷都の時に飛鳥から奈良に移った蘇我のお寺です。

高取のご城下とか、生駒山系とかですね。

壺阪寺は高市郡高取町に位置しているので、高市郡明日香村に隣接。しかし、行政区分の違いに加え、場所も離れるので、飛鳥巡りの時には外されてしまうことが多く惜しい気がします。

大涅槃石像

宗旨は真言宗
壷阪寺を南法華寺というのは、北法華寺(京都の清水寺)に対した呼び方でもあります。

この地域の地蔵さんや石仏さん、ニット帽率高いです。
特産いちご「あすかルビー」風の帽子。
あすかルビー
そして
あすかルビー
奥に涅槃像。
あちこちに涅槃図や涅槃像があります。

え?すいません、今更ですけど死因て下痢でしたか。
慈眼堂の涅槃仏。
・・あー、2とか3とか株屋が言われがちなことですが(汗)、
私は「交換」「取引」は、「評価」「人望」よりもずっと公正だと思ってますよ?


巨大観音様を先に拝みましたが、ここから八角円堂へ。

八角円堂。

八角。というのはかなり興味深いですね。

日本初の八角堂はここである可能性もあるそうです。

八角で有名なのは
法隆寺夢殿聖徳太子
興福寺北円堂不比等。建立を命じたのは43代元明女帝
とか

八角、つまり全方位的にその力を及ぼすことができる皇帝、天皇級の人のお堂であるということです。

八角。


八角墳も天皇陵。
例えば牽牛子塚古墳35代皇極37代斉明女帝陵墓天武持統陵

盲人が観音に帰依して目が見えるようになった。
という話。

壷阪寺、いまは眼病封じのお寺だとかで有名になっていて、目薬とか眼のお守りとかが土産品になってます。

でも、もとはおそらく44代元正女帝41代持統女帝の供養のために創建した寺。持統天皇火葬と壷阪寺創建は同じ703年とのことです。

本尊 十一面観音像
こちらは室町時代のもので創建当時のものではないです。

それから藤原京から壷阪寺までの天武系レイライン説が壷阪寺HPでも明日香村のガイドさんの話から確認できます。

藤原京の中軸線と壷阪寺のライン上に天武・持統陵、高松塚、キトラなどの天武系の古墳、陵墓が確認できるという話。そうなると、飛鳥巡りでも壷阪寺はやはり外したくないところです。

しかし、いろんな時代と地域の寺宝があります・・・
いいですねこの多様性というか、詰め込み方。

時代の流れの中で、たくさんの要素や信仰や願いが組み込まれた結果、なんだかなんでもあるお寺になっているようです。

歯並び。


西側、灌頂堂は平成の落慶。
高取藩の高取城とはそもそも、
南北朝時代に南朝方の越智氏が築城
豊臣秀長の重臣、本田利久が初代高取藩主
天誅組の変でも攻撃対象

灌頂堂
弘法様よりも豊臣公と本多公のほうが大きい。

南北朝から幕末までの、このあたりから吉野までの地域の役割は本気で興味深い。

そしてこの灌頂堂には「風の手紙」と「風の電話」なるものが。

「風の手紙」
今は直接言いたいことが言えなくなった相手へ書く。
亡くなった人とか、どこにいるかわからない人とか。

これをみて、近くにいらっしゃった女性お二人が、

これが必要になることがならんようにせんとね。

とおしゃっていたのが心に染み入りました・・・

「風の電話」
「供養塔」
どれだけの手紙が供養されてきたんか・・・(涙)

古い寺院はどこもですが、開山開基の時期と寺宝が納められた時期は、開きがあったりします。長い時間の中で焼失や棄損で修復や再建もあったでしょうから、創建当初の姿をそのまま残すことはできずに変容することはやむを得ないと思います。

十一面観音像
桜の季節には、本当に華に包まれるようです。

しかし現代のインドでのハンセン病救済事業も、古来からの、ある信仰や思想が確実に世代を超えて遺伝していて、さながら当然になされたことのように思われました。

いたるところに天竺とのつながりが観られます。
ここに参拝したのは10日ほど前、三月上旬ですが、
きっと今はもう少し春めいているのでしょう。

kumokchiさんの夏の記事は写真とかきれいで参考になります。

帰りの壺阪山駅から橿原神宮行へのの近鉄は、飛鳥駅で青龍キャップとともに飛鳥ハーフランナーが大量乗り込みで乗客が驚愕。無関係の乗客さんたち、小声で「飛鳥・・・人気?」「怪獣・・・?」
私はゴール後に壺阪山へ行きましたが、いま飛鳥駅から乗り込むランナーさんは屋台やイベントを楽しんでいた人たちでしょう。結構な人が私と同じく(怪獣ではなくて)青龍ちゃんをつれています。

青龍キャップ。

ディズニーランドの鼠耳みたいな気分ですかね。いいね近鉄!



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