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【ニュージーランド取材ルポ・後編】車中泊をしながら冬のラグビー場を巡ったら凍えた

車中泊の様子。画像では分かりにくいが、絶妙に足が伸ばせず快眠できない

【ニュージーランド北島のラグビー場を巡る⑤】ネイピア ~ ロトルア


 ラグビー留学後、ニュージーランド北島のラグビー場を凍えながら巡った2015年のレンタカー旅。(前編はこちらです↓)

 第3の目的地はロトルアにある「インターナショナルスタジム」だった。

 高地にある地熱地帯・ロトルアは温泉を楽しめる観光地だ。マオリ文化を体感できる郊外のマオリ村など見どころは多い。しかしロトルアへと至る道が、三途の川に架かっていることは知られていないのではないか。

 ネイピアのバックパッカーズで一夜を明かし、まずはロトルアの経由地となるNZ最大の湖・タウポ湖を目指したのだが――。

 そこへと至る山道がいろは坂あり、一車線の橋ありで難所のオンパレードだった。しかも早朝5時に出発してしまったため、闇夜に沈む山道をひたすら上ることになった。

 さらに断続的に濃霧にみまわれ、フロントライトが映写機になってしまう。しかも突兀たる峰が障害物となり、朝になっても陽が差し込まない。しかしこんな運転状況でもキーウィたちは猛スピードで後方からやってくる。たちまち満塁のランナーを抱えたルーキーの気分になり、頭の中で『剣の舞』が鳴り続けた。これが2時間は続いた。『剣の舞』を2時間聴き続けると顔が阪神の藤浪に似てくることもあまり知られていない。

 死に体でようやく到着したロトルアでは、2度目のバックパッカーズ(BASEという名前の良い宿だった)に泊まった。

 このバックパッカーズは清潔で値段もお手頃。そして特に窓からの眺望がすばらしかった。窓外にひろがる敷地内の温水プールで、宿泊客の女性たちが頻繁に水遊びをしていたのである。しかし残念ながら水着とかいうものが美観を損ねてしまっていた。

 宿泊先で一休みしてから、第3の目的地「インターナショナルスタジアム」へ。ロトルアの中心街から徒歩15分はかかるであろう遠地にあった。

温泉地のロトルアは硫黄のにおいが立ちこめる街。途中の湖もこの通り
「インターナショナルスタジアム」。オリジナルは1911年開場。現在は約3万人収容。過去のW杯でも使用されており、国内選手権などにも使用されている。スタンドは正面スタンド(ジョンケネディスタンド)がひとつ。バックスタンド側は高台の斜面を利用した造りで、空と斜面のあいだに住宅が挟まる。
 バックスタンド側の高台の住宅街は試合が見放題。おそらくと思って回り込んでみると、地元の人々によるものだろう、案の定「特等席」が作られていた。

【ニュージーランド北島のラグビー場を巡る⑥】 ロトルア ~ マンガヌイ


 これほど素晴らしい白砂の景勝地が、どうして「マンガヌイ」という地名なのだろう。マンガヌイは「土居仲」(愛媛県宇和島市)くらい名前で損をしているような気がする。

 僕の言語感覚からすると、マンガヌイには「グレート・ビューティフル・ビーチ」とか、「スーパー・ファイナル・ビーチ」とかそういうスゴイ名前がふさわしいと思う。

 ベイ・オブ・プレンティ地方にあるマンガヌイは、セレブ御用達のリゾート地だ。

 太平洋に面する遠浅のビーチは、全長およそ20キロ(!)にわたり、海岸沿いには高級コンドミニアムが連なる。弓なりの美しいビーチはヒルは燦然と輝き、夕方にはこの上なく詩的になる。部活の練習風景と同じだ。

マンガヌイの遠浅ビーチ

 さらに半島の先には、標高232mの円錐形の低山「マンガヌイ山」があって、山頂までキレイな散策路が整備されている。

 またマンガヌイは海辺の有名リゾートということもあって、食事が美味しい。僕は懐事情からフィッシュ&チップスと、スーパーの『カウントダウン』で売っている激安パンしか現地食を食べていないが、余裕のある方には食べ歩きをオススメしたい。そしてその予定が決まったら、ぜひとも連絡を頂きたい。

「フィッシュ&チップス」と対面すると毎回2秒くらい静止してしまう。脳が勝手に「これは何だ。料理なのか」と考える
海に突き出したマンガヌイ山のふもとで車中泊

【ニュージーランド北島のラグビー場を巡る⑦】ハミルトン


 第4の目的地は、2011年ラグビーW杯で日本代表がオールブラックスと戦った「ワイカトスタジアム」(ハミルトン)だった。

 ウェリントンにいた頃、ホストファーザーにハミルトンについて尋ねたことがある。するとスコットランド人のホストファーザーは「半そで短パンのムキムキの男たちが、ビールを飲みまくっている場所だ」と答えた。余計なことを訊いたと思った。 

 荒々しいチーフスの印象も相まって、それ以来ハミルトンには恐れを抱いていた。

 しかし目的地であるワイカト・スタジアムへ到着すると、拍子抜けするようなマスコットキャラクターがまず目に飛び込んできた。

 フェンスに掛かっていたのは「サッカーU20W杯仕様」の見取り図。何よりも、この大会マスコットキャラクターである。

サッカーU20ワールドカップ、NZ大会の会場だった

 この名状しがたい異物感はなんだろう。ヒツジのようでもありロバのようでもあるということが漠然とした不安を与える。なによりもサッカー感がゼロだ。僕は断言するが、このキャラクターはサッカーのルールを知らない。

 到着したワイカト・スタジアムは1925年に「Rugby Park」として開場した。

 2年の工期を経て2002年に誕生し、2011年ラグビーW杯では3試合(日本対NZ。ウェールズ対サモア。ウェールズ対フィジー)の舞台となった。

最大収容人数は約3万人。西スタンド「Brian Perry Stand」が 約8000人、東スタンド「Wel Networks Stand」が 約5000 人を収める
ハミルトンでも車中泊。キャンプ場「ハミルトン・シティ・ホリデーパーク」。この頃からなんと車中泊でもぐっすり眠れるようになり、僕にとって「為せば成る」は真実になった

 ワイカトスタジアムを訪れた日は大雨で、麗しい初対面とはならなかった。しかし禍福は交互にやってくるという先人の教えはまことであった。

 泊まったキャンプ場の目と鼻の先に、あの高校ラグビー界の世界的強豪「ハミルトン・ボーイズ」があることに気づいた僕は、翌日学校パンフレットだけでも貰おうと同地を訪問した。

 そして総合窓口で「できれば学校パンフレットを頂きたい。ついでにラグビー場の写真だけでも撮りたい」と申し出ると、同校にラグビー留学中の日本人学生(高校生2人)に引き合わせてくれた上、彼らの付き添いで学内を案内して頂いたのである。

 卒業生には有名選手も多く、元オールブラックスのSHタウェラ・カーバーロ。元豪州代表のWTBヘンリー・スペイト。また元ウェールズ代表HCのガットランドなども、この学舎から羽ばたいた一人だ。

 ハミルトン・ボーイズくらいの世界的強豪になると、敷地内には4面のラグビーグラウンドがあり、学内だけで約20のラグビーチームがある(在学中だった日本人学生も数えたことはないらしい)。一発勝負のセレクションマッチが年一回あり、それで各チームに振り分けられるという。

日本でいうところの東福岡状態。全国NZ高校大会優勝(08、09、13、14年)。サニックス・ワールドユースで歴代最多の3度優勝(10、11、14年)※2015年当時
ハミルトン・ボーイズのトレーニングルーム。この施設を含む総工費7億円の施設が世界のHBHS(Hamilton Boys&High School)を支える
サニックスワールドユースの表彰状が飾られている。サニックスユースは日本ラグビーの財産
キラキラ系男子校

【ニュージーランド 北島のラグビー場を巡る⑧】ハミルトン ~ オークランド ~ 帰国


 オークランドの印象は「多国籍都市」だ。特に中国人とおぼしきアジア人がとても多い(なぜかなんとなく判別できるのだ)。ケーブルテレビで中国語チャンネルが3つほどあった理由を理解する。

 オークランド滞在での目的地は2つ。

 まず1つ目は北部ノースショアにある「QBEスタジアム(ノース・ハーバー・スタジアム)」。ここは日本が11年W杯で初戦(対フランス)を戦った舞台。僕は4年遅れでようやくやってきた。

オークランド中心地からは車で30分ほど。スタジアム周辺はショッピングモールなどの大型商業施設が占めている
 1997年に開場した多目的球技場。キャパシティは2万5000人(座席数1万9000)。ブルーズの本拠地のひとつ。ここもサッカーU20W杯の会場だった。ちなみにちなみに2002年の古いデータ「Betaman NewZealand Facts 2002、P184)によれば、NZ国内でスポーツクラブに参加する少年男子(5~17歳)の割合はサッカーが17%で1位である。ラグビーユニオンが16パーセントで2位。ラグビー王国といわれるNZだが、2002年時点で少年男子の競技人口がサッカーの方が多いのだ。

 そして2つ目はやっぱり、ニュージーランドラグビーの聖地「イーデン・パーク」。

 オークランド滞在のメインイベントは、イーデンパークでおこなわれたラウンドロビン最終戦「ブルーズ対ハイランダーズ」だった。

 暫定4位で昨季に続いてプレーオフ進出を決めていたハイランダーズ。のちにWTBナホロもオールブラックスに初招集され、オタゴ大学の学生達の悪ノリが止まらない。その後日本代表HCになるジェイミー・ジョセフHCも加わって乾杯する勢いだった。

 一方のブルーズは開幕7連敗と2015年シーズンは絶不調で、カーワンHCのアルコール依存のリスクが高まるばかり。今になって振り返ればこの試合は「新旧日本代表HC対決」だった。

 NZ最大規模のスタジアム。収容は約6万人。グラウンドとしては115年の歴史を持つ(1900年開場)。過去2回のラグビーW杯(1987、2011)でオールブラックスが優勝杯を掲げた舞台
15年所属したブルース一筋のHOケビン・メアラムの引退試合(試合は7-44で敗北)だった。これぞラグビーというノミが彫刻した漢の顔

 帰国前日、オークランド空港からほど近いアペックスの支店で、レンタカーをドロップオフした。念入りな点検はなく「おつかれ」みたいな感じで手続きは終了した。

 その後約2か月のNZ滞在を終え、僕はすっかり第2の母国となった日本に帰ってきた。

 2015年、生まれて初めて滞在した母国・ニュージーランドでは実にさまざまな体験をすることができた。

 学んだことも実に多かった。2か月も滞在して何も学ばないことは不可能に近いので(何も学ばなくても何も学ばない人間だということを学ぶ)僕も何かを学んだはずだ。今後は今回の滞在で学んだ何かしらを活かして、何かしら頑張っていきたい。

 ここで謝罪しなければならないことが3つある。
 
 1つ目はラグビー留学などと題した投稿を続け、みなさまに精神的苦痛を与えたことだ。スポーツファンにとって、選手でもない他人が海外スポーツを満喫している話ほど不愉快なものはない。

 2つ目の謝罪は、3つ目の謝罪がないことだ。しかし中身はないが、謝罪をさせて頂きたい。これは他にも謝るべきことがあるかもしれないためで、いわば予備の謝罪である。

 ニュージーランドに対して謝ることもある。

 これまで日本ラグビーはニュージーランドから実に様々なことを学ばせて頂いたが、いずれ日本のラグビーがニュージーランドを追い越すかもしれない、ということだ。(僕はすでに予備の謝罪をしているのでそうなっても謝らない)
 
 いつまでもジャパンラグビーはニュジーランドの生徒ではないだろうし、いつか南半球伝来のラグビーを否定するときがくるかもしれない。いまは想像すらできないが、状況はつねに変化する。

 いつかラグビー日本代表はニュージーランドに勝つ。そこを本気で目指さなければジャパンラグビーはいつまでも生徒のまま、お得様のままだろう。

帰国直前に13人制(リーグラグビー)のプロラグビーリーグ「NRL」も観戦
オークランドの空港。ドライブ旅で命をつないでくれたのはスーパー「カウントダウン」の激安パン(2ドル)だった。ありがとうカウントダウン!(了)


 



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